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13章 「 食は命なり 」魔女の奇異な人生

「 病院行くの もうやめた!!」

血液の数値が悪く、腎臓の働きもどうも弱っている。色んな病院へ、さんざんたらい回しされて分かることはそれ位だった。首にできた腫瘍も陽性だからガンではないらしいけど貧血が尋常じゃなく、鉄剤を飲むように出されたがその鉄剤がどうにも身体が受け付けず、胃が痛すぎて食欲なくなりげっそり痩せてきたのだ。

結局、納得のいく説明をしてくれるお医者さんは一人もいなくて、訳のわからない薬を大量に出され、「そもそもなんで、原因が分からないのに薬出すんだ?」そう思ったら病院に行くのが本当に嫌になり行くのを辞めた。

いつも自分でもびっくりするくらい、突然、事の終わりがやって来る。この感覚は自分でもどうしようもない。「そうしなさい。はい次に行きましょう。」と何かに静かに突き動かさられるように、ほとんど自分の判断でない。その感覚に、いつからか絶対的な信頼をしていることに最近気が付いた。こういう感覚を知っている人はいると思う。この話は、長くなるからまた今度にしよう。。。

「 食は命なり 」

身体を壊してしまうと、どんなに気力で頑張ろうと思っても、その気力が持続しないものだ。忙しいサロンだったから昼休みなんてなかったけど体調が悪いのを言い訳にして、一人店を抜け出しサボりはじめた。成城の街を、昼ご飯を買いに行くふりをしてぶらぶらと散歩していた。それまで子どもだった魔女が、困った時決まって行く場所は、大きな森の公園にあるおじいちゃんのお墓だった。東京にそんな風に気の休まる所はなかった。それでも成城の町には、大きな街路樹が道路にはみ出して並んでいて圧倒的な木の存在感があって、そこをぶらぶら歩くと気持ちが良くなって身体の中をすぅーっと風が通る感じが好きだった。

その日もさぼっていたらいい匂いがしてきた。匂いの元へ、ふらふら歩いていくと、一階に「自然食品の店」みたいな確か小さな看板があって、その二階が料理教室で、どうやらここからいい匂いがしてきているようだった。

一階のお店をのぞいてみると、お店番の人は誰も居なくて簡素に食品?が陳列されていた。オオサワという自然食品や「ビワの生葉あります」などの紙が目に入り「なんだろう?この店」と思いながらきょろきょろ見渡した。

その横に「食は命なり」という帯がついた一冊の本があり、東条百合子という人が書いたらしい分厚い本。そして二階は、その東条百合子さんの料理教室だったのだ。ただ、昆布のお出汁の匂い惹かれて辿り着き、結果本を買い夢中で読み漁った。その本には原因不明で体調を崩して一年、今の自分に必要なこと、今まで病院に行っても分からなかった答えが書いてあった。

早速魔女はびわの葉茶を飲み始め、ビワの葉湿布を自分にはじめた。その後、東条先生の本は魔女のバイブルになったいった。一家に一冊おすすめです。

東条百合子 家庭でできる 「自然療法」 

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食は命なり・・・ 水野南北(江戸中期の観相学の家元) (1760~1834)  の残した有名な言葉で食により運命が変わるという意味。確かに、細胞は食べ物、その食べ物の波動により人生は大きく変わっていくんだろうと思う。また、どんなに身体によいものを食べていても、右脳で直感的に感覚的に頂くのと、左脳でこれは身体によいからとか、左脳で指示して食するのとでは、全く波動が違く、細胞となるころには大きな差が生まれるように思う。食は、波動によりおおきく影響するものだ。


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