連載「21世紀の資本主義論・序説」、第2回を公開します!

【本連載について】                             日本を覆う閉塞感の、半端ない増大。その根源を問うことは、資本主義の原理的な仕組みを問うことでもある――。21世紀を生きる私たちにとっての資本主義論の構築を目指し、これから半年ほどにわたって、経済学者の吉原直毅さんが随時連載していきます。ご愛読を!                なお、本文において〔ⅰ〕のようにローマ数字を付した用語には、本稿末尾にその解説を付してある。             (筑摩書房編集部)


第2章 資本主義の基本的定義

2.1 近年の「資本主義の危機」論
日本経済新聞による資本主義の「第3の危機」論
 2022年元旦の「日本経済新聞」第1面に「資本主義 創り直す」という大見出しが付された記事が掲載され、「資本主義が3度目の危機に直面している。成長の鈍化が格差を広げ、人々の不満の高まりが民主主義の土台まで揺さぶり始めた。……成長の未来図を描き直す時期に来ている」との現状認識が示された。この記事では、資本主義の1度目の危機を1929年の世界恐慌とし、2度目の危機を第1次および第2次石油ショックを引き金とする74~75年および80~82年のスタグフレーションとしている。
 この記事によれば、第1の危機はケインズ主義的な有効需要政策の導入によって乗り越えられ、その結果として、戦後のケインズ主義的福祉国家による資本主義の「賢明な管理」体制が確立する。しかし、第2の危機のスタグフレーションによって、ケインズ主義による資本主義の管理体制は終焉を迎え、レーガノミックスやサッチャーイズムなどの「小さな政府」の下で、市場競争を促すことで成長力を取り戻すという新自由主義レジームに取って代わられた。
 その新自由主義レジームの行き詰まりとして、「第3の危機」が位置づけられている。すなわち、過度な市場原理主義が富の偏在というひずみを生み出し、格差が広がり、その状態への人々の不満が「民主主義の危機」をもたらし、権威主義の台頭を許している。中国の習近平体制については、最新のデジタル技術を総動員した「統制」によって、資本主義とは一線を画そうとしている、との認識を示している。このような「資本主義への新たな挑戦」に打ち勝つために、新たな「成長の未来図」をいかにして描き、「資本主義を創り直す」ことができるのか? これが日経記事の基本的な問題意識である。
 2007年のリーマンショックを契機とするグレートリセッション以降、新自由主義の行き詰まりが論じられるようになると同時に、貧富の格差拡大と極端なまでの富の偏在化についての認識が世界的に共有されるようになってきた。そうした背景もあって、「資本主義の危機・限界」について様々なメディアで論じられるようになり、広く認識されるようになってきている。しかし、そこでの主要な論調は、「危機的ではあっても、資本主義以外のより望ましい代替的な経済システムは存在しない」というものであり、それゆえ、「資本主義を堅持しつつ、いかに新たな時代に適合して存続させていけるのか?」という課題をめぐって試行錯誤する内容となっている。日経新聞の先述の記事も同様であって、この課題に対する妥当な解と言いうる、新たな「成長の未来図」の提示には成功していない。

「資本主義の第3の危機」に関する基本的エビデンス
 「資本主義の第3の危機」とされる、現代の富と所得の格差の歪みや社会の分断化状況に関する基本的なエビデンスは、どのように整理されるであろうか? この論点に関係するのが、2019年10月にピーターソン国際経済研究所で開催された、格差に関する大規模な会議であった。そこには、世界的に名の知られた欧米の経済学者や哲学者たちが出席し、報告と討論を行っている(★1)。そこでの報告者の1人であるルカ・シャンセンが、現代の高所得国が直面する貧富の格差・分断構造に関するエビデンスについて報告している。
 すなわち、1929年の世界恐慌と第2次世界大戦後の脱植民地化プロセスが、所得上位層における資本所得〔ⅰ〕の減少に寄与した。さらに、戦後の高度な累進課税、産業や企業の国有化、資本管理政策などの下で、所得分配の平準化が80年代まで進行していた。しかし80年代以降、先進諸国間でそのペースに違いはありながらも所得格差が進んでいる。この格差は、先進国における高齢化の進行によって説明できるものではない。現役世代だけを対象にした場合の所得の増加に関して、80年以降の米国の下位50%で、実質的にマイナスだったからである。所得の不平等化の要因を人口の高齢化に求める議論は、日本でも小泉政権下の2005年頃に主要な潮流になっていたが、現在では完全に却下されている。
 また、公債の増加と公共インフラの売却によって、公的資産〔ⅱ〕が長期にわたって減少しているのに対して、民間資産〔ⅲ〕の対民間所得比率は80年代以降、資本所得の復活もあって、再び増加している。そもそも公的資産は、包括的かつ持続的な社会的厚生の改善に寄与する社会的インフラの供給・整備により関連する一方、民間資産は、個人間資産格差との関連性がより高いものである。実際、少数の超富裕層への富の著しい集中が起きている。すなわち、米国では70年代以降、人口の所得下位90%の貯蓄率は10%から0%へと落ちる一方で、上位1%は30%から35%に上昇した。その結果、下位90%における資産シェアの下落が生じる一方、上位1%のシェアは40%台にまで上昇している。これは、富の超富裕層への集中が、1940年代と同程度にまで逆行していることを意味する。
 格差問題は、各国内での格差構造に関して考察するのみならず、国際社会の文脈で考察することも重要である。グローバルな所得格差の問題に関しても、世界人口の所得下位50%層の2倍近いペースで、所得上位1%が成長している。40年前であれば、ある成人の所得を世界規模で見たとき、所得分布のどの位置にいるかは、その国籍によって主に説明できた。すなわち、グローバル格差問題を考えるに際して、かつては南北問題が主要因であると理解することが可能であった。しかし80年代以降になると様相が変わってきており、国境の壁を越えて、いかなる所得グループ(階級)に属するかが、より重要になっている。
 80年代以降の所得下位層における所得の増加に関して、富裕諸国間での実績の違いが観察される。それは主に、税引き前所得決定に関わる政策や制度設計の違い、すなわち、高等教育と職業訓練を受ける機会の不平等や、医療サービスを利用できる機会の不平等に関して、米国と欧州諸国間で程度の違いがあることによって説明される。言うまでもなく、米国における不平等のほうが欧州諸国よりも深刻であり、その違いが米国と欧州諸国における、下位層における所得成長率の違いをもたらす。そして最低賃金の上昇の違いは、80年代以降の富裕諸国間での格差再拡大の程度の違いに関連する。その際、米国と欧州との違いとして焦点があてられるのは、1つは労働組合組織率や団体交渉協定制度の有無など、労働者階級の交渉力の違いである。労働者がコーポレートガバナンス委員会に代表を置いているか否かなど、コーポレートガバナンスにおける権力の分散との関連も指摘されている。
 所得上位層における労働所得の上昇は、かつては「スーパースター効果」として説明されてきた。すなわち、技術変化――生産技術の変化――とグローバリゼーションによる市場規模の拡大の下で、トップに上り詰めた人々に対する、経済成長の分け前が増えやすくなった。そこでは、才能や交渉力などにおける小さな違いが、大きな所得と資産の差につながりうる、と。しかし、シャンセンによれば、富裕国間の最上位層における報酬水準のばらつきは、生産性との相関性が皆無か、ごくわずかであると示唆されている。むしろ、富裕層の税引き後所得を左右する重要な要素として、税の累進性が挙げられる。他方、過去100年の資本蓄積〔ⅳ〕の動向は、資本課税政策のより大きな変容には関連づけられない、と見なされている。
 他方で、今日のオートメーション(作業の自動化)、AI、遺伝子工学などのようなイノベーションは、とりわけ所得中位層が担ってきたタイプの労働を代替する性質を持っており、これらが普及することで、格差拡大に破壊的な影響を及ぼす可能性がある。それを防ぐためには、高い技能を身につけるための質の高い教育・再教育サービスに、生涯を通じて誰もが受けられるような教育政策・制度の重要性が一層増すであろう。しかし、シャンセンによれば、そうした対応のみではもはや不十分である。彼は、機械(あるいはアルゴリズム)とイノベーションが格差に与える影響というのは、所有権の問題であり、誰がそれらの知財を所有するかの問題は、生産工程の中で機械に置き換えられるのが誰かと同じくらい重要である、と正しくも指摘している。
 この会議に出席したダロン・アセモグルも、格差問題について、技術革新との関係から論じている。それによれば、1947~87年における米国民間企業における人件費の伸びは人口増加率を上回っていたが、90年代以降に減速し、2000年以降は基本的に横ばいになった。この間に、国民所得の労働分配率は急激に低下したのみならず、低技能労働者と高技能労働者の所得格差も広がった。一般に資本集約的な技術変化は、熟練労働の単純労働への置き換えと、単純労働の相対的な過剰化をただちにもたらすわけではなく、新たな種類の技能労働への社会的需要を生み出し得る。すなわち、「新しい労働集約的なタスクを生み出す可能性」(=「復職促進効果」)ゆえに、ただちに経済社会全体としての労働需要の減少、ならびに国民所得に占める労働分配率が右肩下がりに減少していくわけではない。実際、1947~87年にかけて「離職促進効果」は、「復職促進効果」によって完全に相殺されていた。しかし87年以降、離職効果が復職効果を大幅に上回るようになるばかりか、その時期には生産性向上の減速も観察されており、それらは労働分配率の低下に帰結した。
 しかし、87年以降の30年間は、技術的なブレイクスルーが起きた時期でもある。にもかかわらず、その時期に生産性向上の減速が生じたのはなぜか。その解明が必要である。アセモグルによれば、「自動化」を過度に推進するような、資本集約的なイノベーションが追求された結果として、「自動化」の推進がもたらす「離職促進効果」を相殺するには不十分な程度の「復職促進効果」しか発揮されなくなり、これがために労働需要が低下した。他方で、「自動化」を過度に推進するような方向でのイノベーションの追求は、それによって実現され得る技術進歩率の逓減化をもたらしたのであり、結果的に十分な生産性向上をもたらさないテクノロジーの出現にとどまってしまったのが、最近30年間の事態であると解釈される。
 その背景として、(1)資本投資への補助金政策によって、自動化テクノロジーの採用が偏重されてきたこと、(2)今日、経済のデジタル化にあって、イノベーションの方向性を支配するようになったGAFAのビジネスモデル自体が自動化に力を入れるものであり、労働力を生産プロセスに復帰させる努力の契機が、現在の政治経済システムの下では存在しないこと、(3)この数十年での政府の研究開発支援の急激な減少の結果、新しい研究は、画期的な研究成果とその応用的開発を通じた様々な新たなタスクを生成させる道ではなく、「既存の枠組みの周辺に集まり抵抗がもっとも少ない道を進みがちになった」(アセモグル)こと――が指摘されている。
 さらに同会議では、フィリップ・アギオンが、過去40年間の先進諸国における高所得層とそれ以外の人々との間で加速的に拡大した所得格差にはイノベーションが不可避な役割を果たしていることについて、以下のように論じている。第1に、米国の各州における上位1%の所得シェアは、その州のイノベーション指標(年間特許申請数と特許引用数)と大きな正の相関があり、所得上位層とそれ以外の所得階層との格差構造とイノベーションとの因果関係を反映している。しかし同時に、イノベーションは社会移動(social mobility)〔ⅴ〕をも促進することが、特許件数(特に、新規参入者によるイノベーション)と社会移動との正の相関性より導かれる。
 第2に、上位層とそれ以外の所得格差のもう一つの原因として、所得上位層がロビー活動によって新規参入イノベーターへの参入障壁を設けることが挙げられる。実際、ロビイングと所得シェアの上位1%とは正の相関がある一方、ロビイングは社会移動および新規参入者のイノベーションとは負の相関がある。
 したがって、第3に、かつてのイノベーターであって、今日では盤石な立場にある大企業は、それが稼得する特別利潤(レント)を予算とするロビイング活動によって、新規参入者のイノベーションを阻もうとするようになる。特に今日では、ネットワーク外部性のような収穫逓増〔ⅵ〕構造を伴うデジタル経済化の下で、GAFA等が「スーパースター」企業として君臨しているが、これらスーパースター企業によって先導されてきた、ネットワークを使った社会関係資本の蓄積を他企業が模倣することは困難になっている。結果的に2005年以降の米国では、富が集中しレントが増加すると同時に、全要素生産性〔ⅶ〕の低下が観察されるようになった、とのことである。

2.2 主流派経済学における「資本主義とは何か」という問いの欠如
「資本主義」概念への無関心の傾向
 以上のようなエビデンスによって、現代の経済社会における格差・不平等と分断のありようが浮かび上がるのであるが、ピーターソン国際経済研究所での会議では、これらのエビデンスに対処療法的に対応する様々な政策・制度設計のエンジニアリングについて論じられ、その有効性に関する論争的議論も行われている(★2)。他方、これらのエビデンスを体系的・整合的に説明するような、現代の資本主義的市場経済を理論的に鳥瞰する試みはなされていない。むしろ、「資本主義の危機」について議論しつつも、そもそも「資本主義とは何か」について突き詰めて考えてこなかっただろうことが窺える。
 例えば、アギオンは「資本家から資本主義を守る」ための資本主義への規制の必要性を強調しつつも、他方で、イノベーションが生産性増加や社会移動を活性化させる長所を有するがゆえに、それを「繁栄と社会移動をもたらしうるもの」として奨励する必要がある、と述べている(★3)。そして、この見解を論拠にして、「資本主義とイノベーションに対する財産権保護は必要」だと主張している(★4)。
 しかし、イノベーションが有する長所に関するアギオンの議論に同意できたからといって、直ちにそれは資本主義の必要性を含意しないし、イノベーションに対する知的所有権の制度が必要であるか否かですら、自明な論点ではない。前節でのシャンセンの議論にもあるように、現在および今後、深刻化し得る経済格差の問題を改善するためには、イノベーションなどへの知的所有権のあり方自体を根本的に問い直す必要があると指摘され始めている。それに対してアギオンの議論は、あまりにナイーブな資本主義肯定論に立脚している。おそらくそれは、「資本主義」という概念を学問的に真摯に考察したことがないからであろう。「市場経済」ないしは「市場を媒介する経済活動が支配的になっているような経済システム」程度にしか考えていないのではないか。
 アギオンの例からも窺われるように、主流派経済学界の一般的な傾向は、「資本主義の危機」が話題になる今日にあっても、「…にもかかわらず、資本主義以外のより望ましい代替システムは存在しない」という公理を前提にしているように見える。こうした論者たちは「資本主義=市場経済」、すなわち「資本主義とは、市場競争を媒介する経済活動が支配的であるような経済システム」という程度の理解しかしていない場合が多い。そもそも、現代の標準的なミクロ経済学のテキストでは、「資本主義経済」という概念も用語も登場しない(★5)。

「資本主義」概念への批判論
 他方で、「資本主義」概念の使用を強く否定する潮流も存在する。近年、アセモグル=ロビンソン理論(A-R理論)として、日本でもよく知られるようになったダロン・アセモグル=ジェームズ・ロビンソンの立場がそれに相当する。
 いわゆるアセモグル=ロビンソン理論とは、ある国民経済における長期的な経済成長や所得分配などの経路を決定する上での技術の内生的進化と政治的・経済的制度の役割を重要視する方法論に基づいている(★6)。ごく簡単に紹介すれば、ある既存の政治制度は、法的な政治権力(de jure political power)の配分のみならず、事実上の政治権力(de facto political power)――暴力的手段へのアクセスや、集団的行為、あるいはインフォーマルな制度などを用いることによって、法的な政治権力や政治的強制力を規定する――の配分のありようを決定する。そして、法的な政治権力と事実上の政治権力は、経済制度のありようを決定するだけでなく、政治制度の安定度や改革をも決定する。経済制度は当該社会における労働技能水準の分布のありようを規定し、価格規制や市場への規制などを通じて、各財の市場価格や各要素価格〔ⅷ〕のありようを規定する。経済制度はさらに、既存の技術がいかに効率的に利用され得るかにも影響を及ぼすほか、内生的なイノベーションと「学習と模倣」プロセスを経て技術がいかに進化していくかにも影響を与える。かくして、政治的制度が経済的制度を規定し、経済的制度が労働技能水準の分布、生産技術体系、市場価格等のありようを規定する。さらに労働技能の分布、技術の内生的進化、価格体系などが、経済成長と所得分配の動向を規定する。このような規定関係の方法論的な枠組みとして制度的政治経済学を展開するのが、アセモグル=ロビンソン理論である。
 アセモグル=ロビンソンは、より複雑で精緻な方法論的枠組みに基づくこうした理論的立場から、古典派やカール・マルクスが展開した、資本主義経済の長期動学に関する法則論に対して批判的立場をとる。具体的には彼らは、マルクスの「資本主義的蓄積の一般的法則」と「利潤率の傾向的低下法則」を批判の対象にする。すなわち、これらの一般的法則論は結果的に失敗だったと論ずる。もっとも、マルクスの法則論に関する彼らの批判自体には色々と問題がある(★7)。しかし、ここでのポイントは、マルクスによって提示された資本主義経済に関する一般的法則論に対するアセモグル=ロビンソンの批判が妥当であるか否かではない。ポイントは、マルクスの法則論が失敗であったとして、失敗に終わった理由として、アセモグル=ロビンソンが挙げている論点にある。
 すなわち、彼らによれば、技術の内生的進化という属性や、技術の進化経路、市場の形成および価格体系の生成において政治的経済的制度と政治が果たす役割に関してマルクスは無知なまま、資本主義経済という概念を構成しており、そうした概念構成に依存して構築された理論であるがゆえに、マルクスの一般的法則論は失敗した。例えば、マルクスの「資本主義的蓄積の一般的法則」論は、19世紀後半期の英国における実質賃金の上昇についての予測に失敗している、と。これが彼らの批判の要点である。さらに同じような理由で、古典派のD・リカードにおける地代論の「失敗」も批判している。
    上述のような古典派やマルクスの法則論批判を背景にして、アセモグル=ロビンソンは、比較経済的分析や政治的分析において「資本主義」という概念の導入は有益とは思えない、とまで主張する。なぜなら、彼らによれば、「資本主義」という用語は、資本蓄積や資本の所有関係に焦点を当てるがゆえに、政治的・経済的制度や技術の内生的進化などのような、経済社会を特徴づける重要な属性への関心を逸らすからである。
 もっとも、このようなアセモグル=ロビンソンの「資本主義」概念批判に関して、目くじらを立てて全面的な反論を試みる必要など全くない。アセモグル=ロビンソンのように、考察の対象を基本的には一国経済に限定し、各国間の経済発展・経済成長パフォーマンスの相違の解明に関心を寄せる比較経済発展分析アプローチである限り、生産手段の所有関係や、資本‐賃労働関係と資本蓄積動学の対応性などのような、より抽象度の高い概念を用いた分析(★8)に関心を寄せるよりは、各国間の政治的経済的制度の違いに焦点を向ける方がより精緻な比較分析が可能となることは、十分に想定できる。そのことは、「資本主義」概念を用いて、生産手段の所有関係や資本蓄積レジームのありようという視角から分析することで、有効な知見を導き出すことが可能となるような研究対象も存在すること自体を否定はできない。我々が関心を寄せるのは、むしろそういった類の研究対象なのである。

アセモグル=ロビンソン理論による「歴史の政治経済学」
 各国間の政治的経済的制度の小さな違いがそれぞれの国民経済の経済発展・経済成長パフォーマンスに関する大きな相違を生起させていく分岐点となることを、アセモグル=ロビンソン理論は強調する。例えば、『国家はなぜ衰退するのか――権力・繁栄・貧困の起源』(以下、アセモグル=ロビンソン(2012)(★9))において彼らは、近世における西欧の繁栄と東欧の停滞という経済発展経路の大きな相違を、政治・経済制度に関する小さな相違から説明する。関連する理論的枠組みの設定として、アセモグル=ロビンソン(2012)は政治制度と経済制度のそれぞれを、包含的(inclusive)なそれと収奪的(extractive)なそれとに分類する。
 包含的政治制度とは、十分に中央集権化された多元的政治制度として定義される。ここで、政治制度が多元的であるのは、権力が広く社会に配分されており、制約の下に置かれていることを指す。したがって、包含的政治制度の典型例は、政治的自由権が保障された近代民主制である。それに対して収奪的政治制度は、包含的ではない政治制度として定義される。独裁制、権威主義的政治体制などが典型例として挙げられる。
 包含的経済制度とは、大多数の人々が経済活動に参加でき、そうした活動を通じて人々は才能や技術を最大限に活用でき、個人は自ら望む選択ができるような経済制度であって、私有財産権の保障、公平な法体系、公共サービスの提供を特徴とする。そのような特徴を持つ包含的な経済制度の下で、市場も包含的に形成される。包含的な市場は、自己の才能に最適な職業を追求する自由を人々に与えるのみならず、そのような機会を与える公平な場をも提供するものと定義される。他方で収奪的経済制度は、包含的でない経済制度として定義される。奴隷制、農奴制、中央集権的計画経済のいずれも収奪的経済制度に分類される。換言すれば、十分に開放的・競争的な市場経済が、包含的な経済制度の典型例であり、唯一の例となる。
 このように、政治と経済それぞれの制度を2種類に分割したうえでアセモグル=ロビンソンは、それぞれの組み合わせによって計4つの政治・経済制度のタイプを提示する。そして、包含的経済制度と包含的政治制度の組み合わせこそが好循環的相互依存関係を形づくり、持続的な経済成長による社会の発展的繁栄を可能にする、と論じる。換言すれば、継起的な技術革新を伴う経済成長は、長期的には包含的経済制度、すなわち自由な市場経済の下でしか持続可能ではないし、包含的経済制度は、包含的政治制度の下でしか持続可能ではない。収奪的政治制度の下では、包含的経済制度は長期にわたって存続できず、いずれ収奪的な経済制度に移行してしまう。そのように論じている。
 こうした理論的枠組みを通じて、中世末期を分岐点とする近世における西欧の近代化と東欧の停滞について、アセモグル=ロビンソンは以下のように説明する。すなわち、14世紀初頭において欧州を支配していたのは封建制であったが、1346年から欧州地域に広まった黒死病(ペスト)が、封建制秩序の土台を揺るがした。つまり、黒死病による大量死の結果、大幅な労働力不足が生じたことによって、農民は強制労働と封建領主に対する多くの義務から解放されるようになり、賃金も上昇した。封建領主間での、稀少化した農民の引き抜き合いがそれを可能にした。当時の封建政府はこうした流れに歯止めをかけるべく、雇用主の許可なく職場を去れば罰として投獄する、という解決策を打ち出した。イングランドにおける1351年の労働者規制法がそれであり、農民を封建的隷属状態に押しとどめようとする試みであった。
 しかし、イングランドにおける1381年の農民一揆などによって、西欧におけるこうした試みは失敗に終わり、以降、封建的な労役は少しずつ減っていき、イングランドでは包含的な労働市場が形成されていった。それに対して東欧では、減少した農民に対して、領主・地主たちが支配を強めることによって、労働力不足に対応しようとした。それが近世東欧における「再版農奴制」の形成をもたらした。1346年の時点で、政治・経済制度に関して西欧と東欧にほとんど違いはなかったものの、1600年までに両者は別世界になっていた。西欧における直接的生産者〔ⅸ〕は、封建的な税金、貢納金、法規から解放され、成長する市場経済の鍵を握る存在になりつつあった。対する東欧における市場経済は包含的ではなく、抑圧された農奴となった直接的生産者たちは、西欧で必要とされる食物や農産物の供給の担い手に過ぎなかった、と。
 以上のアセモグル=ロビンソンによる説明には、「資本主義」という語は一度も登場しない。資本主義という概念を用いずに、近世における西欧と東欧の経済発展の分岐を論じているのである。彼らの理論的解明は、14世紀半ばの中世封建制下において、東欧の封建領主の方が少しばかり、より組織化されていて、やや多くの権利と統合された所有地を持っていた半面、農民たちは組織化されていなかったという、「初期設定」上の小さな相違を前提に、西欧と東欧それぞれの政治・経済制度下で経済活動を稼働させると、大きく相異なる経済成長・経済発展の経路が展開されることになった、というものである。この「別世界」に到る互いの経路の違いは、それぞれの政治・経済制度下での経済成長と技術革新、それらが政治・経済制度の変化を惹起するフィードバック効果など、内生的な相互依存的循環が独自に展開されていったことで生じた、という理解になっている。

2.3 「資本主義」概念を用いた分析の有効性
世界システム論による、16世紀における西欧-東欧間交易の理論
 ここで注意すべき点を一つ挙げるとすれば、アセモグル=ロビンソンの理論的考察には、西欧と東欧との経済的相互関係のありようが、両者の経済発展の相違にいかなる影響を与えたのかの視座が欠落している、ということである。近世において、東欧の市場経済は「西欧で必要とされる食物や農産物の供給の担い手」であったことは言及されているものの、それは東欧の封建領主の権力が強かったがゆえに、包含的な市場経済の形成に失敗し、経済発展に大いに立ち遅れた結果の姿態として述べているに過ぎない。「西欧で必要とされる食物や農産物の供給の担い手」として東欧が「ヨーロッパ世界経済」内の分業体制に組み込まれることの含意について、それが西欧と東欧の経済発展パフォーマンスの相違という結果とどう関連するのかという問いに対し、アセモグル=ロビンソンの比較経済発展論的な理論的枠組みでは十分に対応できないだろう。「資本主義」概念を用いた分析が有効性を発揮し得るのは、こうした視座に基づく理論的解明の論脈においてである。
 例えばイマニュエル・ウォーラーステイン(2011)(★10)は、同じ問題を以下のように、より構造動学的に説明する。12~13世紀には、好況による経済発展が農奴と領主それぞれの交渉能力に与えた効果に関して、西欧も東欧も変わりはなく、東欧の大部分では西欧の場合と同様に農民に対する譲歩がなされ、封建的な労働地代〔ⅹ〕は、貨幣地代へと徐々に転化していった。しかし、14~15世紀になって景気が後退しはじめると、西欧では封建制の危機が惹き起こされたのに対し、東欧では「マナー反動」〔ⅺ〕が起こり、16世紀には「再版農奴制」と新領主階級の勃興によって頂点に達した。このように、景気後退に関して西欧と東欧とで全く異なった結果が生じた理由としてウォーラーステイン(2011)は、「東欧と西欧がより複雑な構造を持つ単一のシステムを構成しはじめた」ことを挙げている。すなわち、両地域は相互補完的に「ヨーロッパ世界経済」を構成するようになった(★11)のであり、そこにおいて東欧は西欧の工業発展のための原料生産者(木材、大麻、ピッチ、油脂)および食糧供給者(穀物)の役割を担い、本質的に「古典的な植民地型経済構造」をとるに至った。他方、西から東へは繊維製品――奢侈品と中級品――のほか、塩、ワイン、絹などが流入した。
 東欧の植民地型経済化は、西欧と東欧との非対称的で不均等な経済関係の生成がその背景にあることを示唆する。実際、ウォーラーステイン(2011)によれば、オランダ、イギリスなどの北欧、西欧の諸国が、「ヨーロッパ世界経済」における先進地帯を構成する「中核諸国家」であり、ポーランドなどの東欧は「周辺地域」に分類される。15~16世紀は、世界の商工業が大発展を遂げた時代であったが、この発展を利用して利益を得たのが、「ヨーロッパ世界経済」における「中核諸国家」であった。すなわち、中核部では都市が発展し、工業が生まれ、商人が経済的にも政治的にも強い力を持つ勢力となった。この時代、大半の人々は依然として農業に従事していたが、比較的高い利潤が期待できる牧畜業(★12)への特化が進み、それに対応する農業労働の熟練労働化が進んでいた(★13)。東欧と比較して、より人口密度が高く、したがって豊富な労働力が賦存〔ⅻ〕する下での、より集約的な農業分野への特化によって、発達する商工業分野へと、より多くの労働力を投じることが可能になった。そして牧畜業からの高い利潤は、より資本集約的な商工業へも投資された。そのほか、スペイン領新世界からの掠奪もあって、資本蓄積も進行した(★14)。
 しかし、中核諸国家が発展する商工業や牧畜業などへの経済活動に特化して、より多くの利潤と経済発展の便益を享受できたのは、本来は基礎的な必需品の自給的生産に費やすべき時間と労力および土地などの自然資源を節約して、より先進的な経済活動に投じることが可能であったからである。それは、東欧が西欧の「パン籠」になって、西欧の人々の必需品を供給するからこそ可能であった。つまり、近世における北欧・西欧諸国の経済発展は、「西欧で必要とされる食物や農産物の供給の担い手」としての東欧の労働集約的な農業分野へのモノカルチャー経済化に依拠しており、このような「ヨーロッパ世界経済」内の分業体制下での東欧との交易によって、基礎的な生活必需品を安価に入手できるからこそ可能となったと言えるのである(★15)。
 もっとも、新古典派の貿易理論に基づけば、自由貿易であるならば、東欧もまた西欧との交易によって便益を享受しているはずである。にもかかわらず東欧が停滞したのは、封建領主の権力が強かったために包含的な市場経済が形成されず、西欧との交易による利益を経済発展に生かせなかったからだというアセモグル=ロビンソン(2012)流の反論の余地はあるかもしれない。確かに、西欧との交易による輸入によって、東欧はより付加価値の高い繊維製品、塩、ワイン、絹などを消費することによる便益を享受している。もっとも、その便益の享受は、主に東欧の貴族・地主層に限られていた。

東欧「再版農奴制」の資本主義的合理性
 そもそもウォーラーステイン(2011)によれば、16世紀における東欧の「再版農奴制」は、封建的と言うよりは、資本主義的な労働管理の一形態であり、一見、封建的諸関係に類似した関係が認められるとしても、それらは資本主義的なシステムが持つ諸原理によって再規定されている(★16)。16世紀における東欧の地主(領主)は中世封建制下のそれとは異なり、資本主義的な「世界市場」を相手に利潤目的の生産活動を行っていたのである。東欧の地主(領主)が、西欧へ輸出する換金作物(特に穀物)の生産に特化したのも、比較優位の原理〔xiii〕に基づいた利潤最大化的選択の結果である。こうして得た利潤は、貴族的な奢侈的消費にも費やされたが、16世紀当時のバルト海周辺諸国における貴族の奢侈的消費に比して、より低い割合でしか費やされていなかった。つまり、16世紀の東欧貴族(=資本家的地主)は利潤のより多くを、西欧との貿易への投資に費やした。さらに、東欧における「再版農奴制」の再生産も、以下に論ずるように、資本主義的「世界経済」の周辺領域における利潤最大化原理に基づく合理的適応として説明される。
 東欧の「再版農奴制」においては、国家による何らかの法によって、農民は少なくとも一定の日数にわたって、領主の直営大所領において、労働する――世界市場めあての生産活動に従事する――ことを強いられる。それは、現金、現物、または土地を自給ないし自営するために使用する権利など、わずかな報酬との引き換えとして義務づけられたものである。東欧貴族(=資本家的地主)にとって、このような労務管理が利潤最大化原理により適う性質を持ったのは、開発して利益を上げることのできる土地の量に比して、労働力が不足していたからである。労働力が不足している分には、熟練度の低い労働者にも依拠せざるを得ないから、それでもやっていける労務管理を追求せざるを得ない。それが「強制労働」という労働管理であった。当時の東欧には広大な未耕地も残されていたがゆえに、「強制労働」に依存するような、比較的能率の悪い粗放的な農法でもやっていけたのである。
 東欧では、こうした「周辺」型の労務管理体制による利潤の最大化が最も適合的であった。自給・自営的農業生産活動を行う権利と引き換えに農民たちが直営大所領で従事する「強制労働」は、地主層にとっては、世界市場へ輸出する換金作物を生産するための無償労働に他ならない。他方、地主層にとっては、直営地を比較的利潤の高い牧場に転換するか、貨幣地代をとって小農企業家に定期借地に出すという選択肢も、原理的にはあり得た。しかし、西欧で進行していたように牧場に転換し、牧畜業を展開するとなると、より専門的な熟練労働を要することとなる。収益性を十分維持できるほどの労働コストで、そのような労働力を現地から調達することは、比較的に豊富な労働力が賦存する西欧では可能な選択であっても、東欧では実質上選択不可能であったと言ってよい。また、未開拓な土地が豊富に賦存している下では、貨幣地代をとって小農企業家に定期借地に出すことは、地主にとって最適な選択とはならない。そのような意味で、「再版農奴制」的な労務管理の導入も、西欧へ輸出する換金作物(特に穀物)の生産活動への特化も、東欧における資本家的地主層の合理的選択によって再生産されてきた、と見なすことができる。

16世紀西欧-東欧間交易における労働の不均等交換
 では、なぜ東欧の地主層は資本主義的合理性に基づいた行動をとり、それによって得た利潤を資本蓄積へと投資していたにもかかわらず、西欧の経済発展とは対照的な停滞が生じるに到るのであろうか? この論点を考察するために、伝統的な貿易理論的アプローチに従って、西欧、東欧それぞれを一人の代表的消費者と仮定し、東欧から西欧へは穀物生産物が輸出され、西欧から東欧へは繊維製品が輸出される交易関係を考察してみよう(★17)。この交易によって西欧は、自給自足経済と比べて明らかに経済的便益を享受している。すでに論じたように、東欧との交易によって西欧は、基礎的な生活必需品の自給自足的生産に費やすための労働や資本を節約し、それらをより付加価値の高い繊維製品の生産に投下することで、経済発展の便益を享受しているからだ。と同時にこの交易は、東欧の地主にとっても自給自足的経済体制と比べて、より多くの経済的便益を享受できている。なぜなら、農業労働力の再生産に不可欠なだけの穀物の自給自足的生産を「農奴」たちに保証しつつ、「強制労働」に従事させることで生産可能となった穀物の剰余生産分を西欧に輸出することで、より多くの繊維製品を西欧から輸入できるようになるからだ。
 しかし、その交易関係を通じて、東欧から西欧への自由時間の移転を分析的に見出すことができる。すなわち、より資本集約的な繊維製品生産に特化する西欧と、より労働集約的な穀物生産に特化する東欧との交易関係が生成される下で、1単位貨幣価値分の繊維製品と1単位貨幣価値分の穀物とが市場交換されることになる。このとき、1単位貨幣価値分の穀物を輸出するために東欧が投じた労働時間は、1単位貨幣価値分の繊維製品を輸出するために西欧が投じた労働時間よりも多いことが観察されるであろう。
 例えば、西欧と東欧の双方が持続的に生存するためには、1単位貨幣価値分の穀物と1単位貨幣価値分の繊維製品をそれぞれ消費する必要があるとともに、双方の労働者にとっての健全な生活時間を確保するには、最大12時間の労働時間にとどめなければならないものとしよう。また、西欧と東欧のいずれも自給自足的経済体制の下で、生存に必要な1単位貨幣価値分の穀物と1単位貨幣価値分の繊維製品を生産するには、計12時間の労働を投下する必要があると仮定しよう。すなわち、自給自足的経済体制の下で、西欧も東欧もそれぞれの労働力の担い手たちの健全な生存を保障するだけの経済運営がなされている。しかし、労働者の健康を維持できる範囲での労働時間を最大限、毎日供給しているので、その暮らしに余裕はない状態である。
 ここで、より豊かな土地が賦存する東欧が穀物生産に特化した場合、1単位貨幣価値分の穀物の生産に必要な労働時間は6時間であるとしよう。他方で、繊維製品生産に必要な物的資本である織機をより多く保有する西欧が繊維製品の生産に特化した場合、1単位貨幣価値分の繊維製品の生産のために必要な労働時間を4時間としよう。
 ところで、世界経済総体で、東欧と西欧それぞれの持続的生存を保証するだけの総生産活動は、2単位貨幣価値分の穀物生産と2単位貨幣価値分の繊維製品生産ということになる。この総生産活動を、西欧と東欧との分業的生産と自由貿易によって行う場合を考えてみる。この場合、比較優位原理に基づいて、東欧が2単位貨幣価値分の穀物生産に特化し、西欧が2単位貨幣価値分の繊維製品生産に特化するものとする。さらに自由貿易によって、東欧が供給する1単位貨幣価値分の穀物と、西欧が供給する1単位貨幣価値分の繊維製品とが貨幣的に等価になり、結果的に交換される。この結果、東欧も西欧も、持続的な生存に必要な1単位貨幣価値分の穀物と、1単位貨幣価値分の繊維製品とを得ている。
 このとき、世界経済総体としては、6時間×2単位貨幣価値分の穀物で12時間労働が投下され、4時間×2単位貨幣価値分の繊維製品で8時間労働が投下され、したがって、投下労働時間は計20時間となる。それゆえ、この世界経済における東西間の自由貿易を通じた資源配分メカニズムによって、各国の持続的生存を保障する1単位貨幣価値分の穀物と1単位貨幣価値分の繊維製品の生産のために、10時間分の労働が投下されることを意味する。自給自足的経済体制の下では、東欧、西欧それぞれ、1単位貨幣価値分の穀物と1単位貨幣価値分の繊維製品の生産のために12時間の労働が必要であったから、結局、東西貿易によって世界経済は、必要な投下労働時間の節約という「分業の利益」を享受していることになる。それは、1国あたり2時間分の労働の節約に相当する。換言すれば、1国あたり2時間分だけ労働から解放された自由時間を享受できるようになることを意味する。
 東欧と西欧によるこの分業体制が確立する結果、穀物2単位分の生産に特化する東欧は12時間の労働を供給しなければならない。一方で、繊維製品2単位分の生産に特化する西欧は8時間の労働供給で済むことになる。したがって、交易をすることで西欧は4時間の自由時間を享受できるようになるが、東欧のそれはゼロである(★18)。その結果、西欧では4時間の自由時間を利用して、科学的研究や技術開発、あるいは人間発達〔xiv〕のための活動に費やすことができる(★19)。それに対して東欧の労働者は日々、生存するための時間を費やすのみであり、将来の経済発展や人間発達のために時間を費やす余地はない。この状態が継続すれば、西欧の経済発展とは対照的な東欧の停滞という、両者間の不均等発展という帰結に至るであろう。
 ここで注意すべきは、自給自足体制から自由貿易体制への移行による「分業の利益」によって、1国あたり2時間分の労働時間の節約が可能になる、すなわち1国あたり2時間分の自由時間の享受が、世界経済総体としては可能になっている、ということである。しかし、自由貿易によって実現される資源配分においては、西欧が4時間の自由時間を享受しているのに対し、東欧の自由時間はゼロのままである。これは、東西貿易による貨幣的等価交換を通じて、東欧から西欧へ2時間分の自由時間の移転が生じている、と解釈することもできる。
 見方を変えれば、東欧、西欧のいずれもが、貿易を通じて10時間労働分の経済的資源――1単位貨幣価値分の穀物と1単位貨幣価値分の繊維製品――を取得しているが、そのために東欧は12時間分の労働を供給しなければならず、他方で西欧は8時間分の労働供給で済んでいる。したがって、東西貿易による貨幣的等価交換を通じて、労働の不均等交換(unequal exchange of labor)が生じている。あるいは、西欧が10時間労働分の経済的資源を取得するのに8時間労働分しか貢献していないために、不足の2時間分の労働を東欧が担うことで、西欧の持続的生存が担保されている、と見なすこともできる(★20)。
 ここでのポイントは、近世における資本主義「世界経済」(=「ヨーロッパ世界経済」)内での西欧と東欧の交易関係は、「中核-周辺」的構造を背景とする(労働の)不均等交換的性質を有していたのであり、両者間の不均等発展的関係も、その不均等交換的交易関係の媒介抜きには語り得ない、ということである。換言すれば、西欧におけるより高い水準の経済発展は、西欧がより多くの自由時間を享受する機会に恵まれるような資源配分が、東西交易を通じて実現されてきたためである。そして、西欧のより多くの自由時間の享受は、東欧に配分され得る自由時間の犠牲によって可能になっている。そのような資源配分が、東西貿易を媒介にして確立してきたということである。
したがって、16世紀において東欧が西欧に比して経済発展に関し大いに後れを取るようになったのは、アセモグル=ロビンソン理論(2012)が暗黙裡に想定するような、東欧が包含的政治制度と包含的経済制度を確立することに失敗して、時代遅れの封建的な権力層に意思決定をゆだね続けたがゆえに発展の機会を失ってしまったのだという「東欧自己責任論」的な議論に還元することでは済まないはずである。なぜなら、西欧の経済発展は、東欧による「時代遅れ」的な制度選択から恩恵を受けている。つまり、東欧のそのような制度選択を利用することによって、より高い水準の経済発展を享受できたのであり、したがって東欧の経済発展の機会の喪失という犠牲につけ入ることによって、結果的に実現されてきたという性質を有しているであろうからだ。
 「資本主義」概念を用いた経済分析は、ここで展開したような、一見すると「自由で、公平に開かれた市場的取引」の背景に、労働の不均等交換のような構造が存在することを読み取り、現実に観察される経済の不均等発展や格差の問題を、低開発諸国や経済的弱者の誤った選択という自己責任論に帰着させることなく、先進国や経済的強者も共犯関係にあるような構造的問題として理論化し直すうえで、とりわけ有効性を発揮できるのである。

総括
 以上、我々はアセモグル=ロビンソンによる、近世における東欧社会と西欧社会の経済発展の分岐論について、検討してきた。アセモグル=ロビンソン理論は、自由・民主主義的な中央集権的政治制度と競争的市場経済の組み合わせのみが、社会の持続的な経済発展を保証すると論ずるものであった。その理論では、近世における東欧の経済発展の停滞は、自由民主主義的な政治制度も競争的市場経済も発達していない事に起因すると論じられる。確かに、自由と民主主義の政治か否か、競争的市場経済であるか否か、という視座で各国を分類する理論的枠組みにとどまる限り、一国社会としての16世紀ポーランドなどは、封建制の伝統が強く社会に残る下で、大規模な直営地での農民層への封建的支配を強化した領主層が政治権力を握り、農民層は主に自給自足の経済活動を行い、国内市場も発達していない、という整理で終了しても不思議ではない。
 しかし、「資本主義」という概念を用いて考察することによって、「ヨーロッパ世界市場」の構造の中で、封建領主たちが資本主義的な行動原理に則った最善の選択として、貨幣地代をとって⼩農企業家に定期借地に出すという、より「先進的」な経済行動ではなく、「再版農奴制」の再生産を選択し続け、西欧の「パン籠」になるという「古典的植民地型経済」の路線に到っている事を解明できた。さらに、そのような資本主義的合理性に基づく選択によって、16世紀東欧-西欧交易は労働の不均等交換的構造を孕むことになるのであり、両者間の経済発展に関する分岐もその構造ゆえであると説明できた。つまり、16世紀資本主義世界経済システム内の周辺領域として、北西欧・中核的諸国における経済発展と資本蓄積を下支えする東欧社会という姿態を、見出すことが出来たのである。
 ここまで、「資本主義」概念についての論争的状況について論じてきたが、ここに至るまで、「資本主義」とはいかなるものであるかについて明示的に定義してこなかった。次節で、この論点に移りたいと思う。

【付論】16世紀東欧-西欧間貿易における労働の不均等交換論について
 2.3節で論じた数値例の理論的背景は、2財2国のリカード型貿易モデルの想定ではない。西欧が特化する繊維製品生産がより資本集約的であり、東欧が特化する穀物生産がより労働集約的であることが、両者間での労働の不均等交換関係生成の主要因であることを明らかにするためには、労働のみが生産要素であるリカード型貿易モデルでは不適当である。また、資本と労働の2つが生産要素となる経済環境を想定できるが、労働のみならず資本をも本源的生産要素として扱うヘクシャー=オリーン型貿易モデルの想定も不適切である。なぜながら、繊維製品の生産に投下される資本財も、穀物生産に投下される資本財も、いずれも再生産可能な生産要素であるからだ。したがって、各財の1単位貨幣価値分の生産に社会的に必要な投下労働時間の計上には、その財に投下される資本財の(再)生産に要する労働時間も含める必要があり、より複雑な理論的操作を要する。
 例えば、西欧では、最終財としての繊維製品(毛織物)の生産に、羊毛と織機が投下されるが、それぞれが、中間財として生産されなければならない、と設定される。ここでは16世紀イギリスのように、羊毛は牧畜業の産出物であり、その生産過程は、資本財としての羊の養育過程を含む。他方で織機は、農村における家内制手工業の下で、各農家によって所有されている。この羊毛の生産過程(羊の養育過程を含む)に投じられる労働時間と、織機の自給的生産に投じられる労働時間が、最終財としての毛織物の生産のために社会的に必要な労働時間として計上・加算されなければならない。つまり、1単位貨幣価値分の繊維製品の生産に必要な投下労働時間は、最終財としての繊維製品1単位貨幣価値分の生産工程で直接に投下される労働時間だけでなく、その生産工程において中間財として投下される羊毛の生産に要する労働時間、および織機の生産に要する労働時間のうち、この最終生産工程に投下されることで減価償却されるだけの割合が計上・加算されなければならない。
 他方で東欧では、穀物を種子として投下することによって、収穫物としての穀物を産出するという、生産物による生産物の(再)生産工程として特徴づけられる。この場合、1単位貨幣価値分の穀物の生産とは、その価値分だけの穀物の純産出を意味する。つまり、1単位貨幣価値分の穀物の純産出に要する労働時間が計上されなければならない。
 このようにして計上された各生産物の1単位貨幣価値分の生産のために社会的に必要な労働時間を比べると、繊維製品の社会的必要労働時間の方が、穀物のそれよりも少なくなるという、大小関係が成立することを数値例によって論じている。このような関係の成立についてのより詳細な科学的根拠や数学的裏付け等は、後に搾取理論について詳細に論じる中で、改めて説明する。

謝辞:本論考の作成において、斎藤修(一橋大学名誉教授)、佐々木隆生(北海道大学名誉教授)の両氏より、有益なコメントや示唆をたくさん戴いた。また、伊藤誠氏(東京大学名誉教授)とも本論考に関して意見交換の機会を戴いた。

【用語解説】
〔ⅰ〕資本所得とは、利子や配当など、物的資産からのリターンを指す。
〔ⅱ〕公的資産とは、政府が保有する総資産からその債務を差し引いた純資産を指す。
〔ⅲ〕民間資産とは、民間部門の総資産からその債務を差し引いた純資産を指す。
〔ⅳ〕資本蓄積とは、経済活動に投じられる資本ストックのリターンの一部を投資に回すことで、次回の経済活動に投下される資本量を増やすこと。
〔ⅴ〕社会移動とは、階層間移動の事を指す。例えば、親が低所得層に属していたのに対して、子は高等教育を受けることができた結果として、中間層の職業に就くような場合を、この用語で表している。
〔ⅵ〕収穫逓増とは、資本や労働などの生産要素の投入を増やすにつれて、平均費用が下がるような生産の技術的特性を指す。
〔ⅶ〕全要素生産性とは、生産活動の効率度の測定に際して、投入される資本や労働などの各個別の生産要素の有効利用度という指標の集計のみでは測れない、残渣要因による生産の効率性への貢献度を指す。技術進歩や、経営・労働組織の効率性改善など、生産効率性に関する質的な決定要因が主な対象になる。
〔ⅷ〕要素価格とは、資本や労働などの生産要素の市場価格を意味する。新古典派経済学においては、賃金が労働の市場価格、利子率が資本貸借の市場価格を表すと、論じられている。古典派経済学やマルクス経済学における利潤率は、しばしば新古典派における「資本の要素価格」に対応する。
〔ⅸ〕直接的生産者とは、マルクス経済学に固有な用語であるが、ここでは端的に、農業、工業、サービス業のいずれであれ、生産現場で直接に生産活動(労働)する個人という意味で使っている。
〔ⅹ〕労働地代とは、中世封建制下における、封建領主が領民に課した領主直営地での賦役労働を指す。中世封建制下の古典荘園は、領主直営地と農奴保有地に分けられ、後者では領主による保護の下で、農奴の小規模な土地保有と自給的農業活動が許された。この見返りとして農奴に課されたのが、領主直営地での賦役労働であった。賦役労働は領主の僕婢によっても担われ、他方、小規模保有農民は貢租(生産物地代)や人頭税などを納めることも課された。12-13世紀になって農業生産力や市場経済の発達とともに、領主も農奴も市場経済への依存度が増すにつれて貨幣の必要性も増していく一方、農奴は自給自足分を超える剰余農産物を市場供給することで貨幣を保有するようになる。それに対応して、領主に収める地代も、直接に金納する形態が選好されるようになり、貨幣地代に転化していった。
〔ⅺ〕マナー(manor)とは、封建領主の荘園を指す。「マナー反動」とは、12-13世紀の好況による経済発展の後の14-15世紀における景気後退に直面しての、東欧の対応を指す。封建制の危機が生じた西欧に対して、東欧においては貴族層が、小規模保有農民を追い出しての直営地の拡大、地代のつり上げ、商業の掌握などによって、権力を逆に強化しながら財政危機を乗り切り、大経営的農業資本主義を担う資本家的地主層になっていった。
〔ⅻ〕「賦存」(endowment)とは、利用可能な生産要素として経済社会ないしは経済主体に与え備わっていて、かつ保有されている状態を表す経済学用語である。
〔xiii〕「比較優位の原理」とは、交易関係の成立を媒介として、交易当事者間での社会的分業の生成原理を指す。一般に、ある仕事・産業における、ある個人の他者と比較しての競争力が、他の仕事・産業におけるそれよりもより高いとき、その主体はその仕事・産業に対して比較優位がある、と言われる。例えば、生産要素が労働のみからなる2財2国リカード型貿易モデルでは、他国の労働生産性に対する自国のその比率がより高い産業に対して、自国は比較優位がある。
〔xiv〕「人間発達」とは、池上淳の「人間発達の経済学」における概念に相当する。また、以下で掲げられているような、国連開発計画が称するところの「人間開発(Human Development)」と、基本的には同じ意味で使っていると理解しておいてよい。
「開発の基本的な目標は人々の選択肢を拡大することである。これらの選択肢は原則として、無限に存在し、また移ろいゆくものである。人は時に、所得や成長率のように即時的・同時的に表れることのない成果、つまり、知識へのアクセスの拡大、栄養状態や医療サービスの向上、生計の安定、犯罪や身体的な暴力からの安全の確保、十分な余暇、政治的・文化的自由や地域社会の活動への参加意識などに価値を見出す。開発の目的とは、人々が、長寿で、健康かつ創造的な人生 を享受するための環境を創造することなのである」

【註】
★1――この会議の成果報告集がオリヴィエ・ブランシャールとダニ・ロドリックの共編著として2021年秋に英文出版され、その日本語訳も『格差と闘え 政府の役割を再検討する』(慶応大学出版会)として出版される予定である。
★2――詳細は、オリヴィエ・ブランシャール=ダニ・ロドリック(共編)『格差と闘え 政府の役割を再検討する』(慶応大学出版会 2022年3月)を参照のこと。
★3――ブランシャール=ロドリック同書188頁。
★4――ブランシャール=ロドリック同書188頁。
★5――数少ない例外は、奥野正寛・鈴村興太郎『ミクロ経済学I』(岩波書店、1984年)における、次のような論述である。「従来のミクロ経済学のテキストブックは、多くの場合、(完全競争的)価格メカニズムを資本主義経済に特徴的な資源配分メカニズムと見做し」(p. ii)、「現代の資本主義経済においては、分権的市場メカニズムと相並び、それを補完する政府活動の比重が増し、このような混合経済における政府を通じる資源配分の重要性が高まっている」(p. ii)。他に、神取道宏『ミクロ経済学の力』(日本評論社、2014年)も、「市場を使って経済を運営する資本主義の国」という記述があり、資本主義を、「市場を使って運営される経済システム」という意味合いで用いている。「資本主義」という用語に言及する例外的なミクロ経済学のテキストにおいて、いずれも「資本主義=市場経済」以上の概念把握がなされていないことが分かる。
★6――以下のアセモグル=ロビンソン理論についての紹介は、
Acemoglu, D. and J. Robinson (2015): “The Rise and Decline of General Laws of Capitalism,” Journal of Economic Perspectives, 29, pp. 2-28.
に基づく。
★7――何より、彼らの「資本主義的蓄積の一般的法則」と「利潤率の傾向的低下法則」に関する理解の仕方自体が非常に一面的であるか、間違っている。例えば、「資本主義的蓄積の一般的法則」については、「強い法則版:実質賃金は資本主義の下では停滞する」、「弱い法則版:資本主義の下では、国民所得の労働分配率は資本主義の下では低下する」と定式化している。他方、「利潤率の傾向的低下法則」に関しては、「資本が蓄積されるにつれ、利潤率は低下する」と定式化している。いずれも、正確さに欠ける乱暴な定式化である。
 マルクスによる「資本主義的蓄積の一般的法則」と「利潤率の傾向的低下法則」に関しては、色々と批判の余地があるのは確かであるが、それはアセモグル=ロビンソンのように、法則論に関する不適切な定式化に基づく批判を展開することで済ませられるような話ではない。
★8――マルクス経済学におけるそうした分析に関しては、例えば、伊藤誠『『資本論』を読む』(講談社学術文庫、2006)、あるいは佐々木隆治 『マルクス 資本論』(角川選書、2018)を参照のこと。
★9――ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍訳)『国家はなぜ衰退するのか?――権力・繁栄・貧困の起源〔上〕』(ハヤカワ文庫、2016年)
★10――I・ウォーラーステイン (川北稔訳)『近代世界システムI』(名古屋大学出版会, 2013年)
★11――ウォーラーステイン(2011)は、1450年から1640年までが意味のある「ヨーロッパ世界経済」の時代であり、資本制生産様式に基礎を置く「ヨーロッパ世界経済」、すなわち資本主義的「世界経済」は16世紀になって出現したと整理している。
★12――16世紀における食肉需要の拡大が、牧畜業の高利潤産業化の背景にある。
★13――ロバート・アレン(2009)もまた、以下のように論じている。すなわち、中世においては、イタリアとフランドルの都市が、欧州における毛織物の輸出地であった。しかし、16世紀までにイギリスとオランダはイタリア製の毛織物を模倣し始め、17世紀までにイタリアを駆逐した。イギリスのこの勝利の背景には、黒死病以後の人口減少によって、多くの優良な土地が放草地となることで、羊の飼料供給が改善され、それが羊毛の質の改善につながったこと、さらに、大陸からの亡命者が、イギリス製品の品質と種類を改善するような熟練技術をもたらしたこと等がある。
★14――ウォーラーステイン(2011)によれば、奴隷労働を用いた新世界植民地の砂糖プランテーションから上がる利潤は、直接経営にあたったポルトガル人の懐を潤しただけでなく、創業資金と生産物の市場とを提供した、西欧のより先進的な地域の人々を潤した部分も少なくなかった。例えば、16世紀のサン・トメの砂糖プランテーションから供給される糖蜜は、アントウェルペンやアムステルダムのような経済の中心地における製糖工場を増やした。ポルトガル人はサン・トメ島からの砂糖輸出では活躍したが、製糖業には関与せず、オランダのような強力な資金源と熟練した自由な労働力を持つ国々がそれを行った。
★15――実際、北西欧諸国における高利潤と資本蓄積の背景には、16世紀における土地資源に対する人口圧の背景の下での労働者の実質賃金の激減がある。しかしながら、これら先進地域において、低賃金とはいっても生存可能な水準を満たすことができたのは、東欧などの「周辺」から安価な小麦を輸入することが可能であったからである。
★16――ユルゲン・コッカ(2017)も、東欧の「再版農奴制」について、農民や他の隷民の土地への緊縛が強められ、また農民追放によって直営地経営が拡大され、賦役による搾取が強化された「不自由労働と非資本主義的労働組織を基礎とする輸出志向」の「大経営的農業資本主義」と称している。そこでは封建制の伝統が強く残り、都市化の程度は低く、ローカルな市場関係の発達は微弱であり、自己利益追求のために資本主義的に事業を営む封建領主たちは、遠隔地交易に携わる商人たちと契約を結び、これら商人たちによって、西欧の消費者に向けて商品が搬送された。
 ポーランドなど東欧の資本主義的封建領主と取引したのはドイツのダンツィヒ商人であり、彼らが遠隔地交易の機能を果たした。ウォーラーステイン(2011)によれば、両者の取引では国際的債務奴隷制的な関係が成立していた。国際的債務奴隷制とは、国際商人が生産物を先物取引することで、将来取れるはずの生産物の代金を先払いすることである。その結果、世界市場への出荷のタイミングを決定できるのは生産者ではなく、国際商人となる。また、貸し付けられた資金は、商品受け渡しの時期までには消費されているので、生産者はこの関係を更新せざるを得ない。この関係の維持は、商人が外国市場に通じており、生産者に対して十分な影響力を持っていることと、十分な資金が持てる程度には豊かであることが必要である。ちなみに、ダンツィヒ商人の場合は、オランダ人から資金の前払いを受けていた。こうした条件ゆえに、東欧の資本主義的封建領主との商品取引は、現地の商人層をスキップして、国際商人に独占されることとなったのであり、結果的に現地商人層は消滅してしまった。
★17――ここでの理論分析は、以下のような想定に基づいている。すなわち、西欧と東欧の交易は繊維製品と穀物という2種類の最終消費財の交換関係のみであり、生産要素や中間財に関する両者間での交易は存在しないし、ゆえに資本や労働の国際移動の自由も存在しない。15~16世紀当時、西欧の中核諸国間では自由な労働移動が行われていたし――注13を参照のこと――、資本の国際移動も、よく知られているように、西欧中核諸国と新世界の植民地地域との間では極めて活発であった。しかし、西欧中核諸国と東欧周辺国との関係について言えば、この想定は当時の現実をあるていど反映している。労働の国際移動が自由でない点は、東欧が「再版農奴制」によって労働者を束縛していた点からも妥当であろう。資本の国際移動に関しても、フッガーやメディチのような金融業がハプスブルクに貸し付けることはあったとしても、西欧から東欧への産業への投資にかかわる資本移動、しかも国際貿易に関係するような資本移動は存在しなかったと言える。
★18――ここで、東欧の自由時間がゼロになるような数値例の設定は、事柄の本質を鮮明に示すためであって、東欧の享受する自由時間がゼロではないとしても、事柄の本質に変わりはない。ここで言う事柄の本質とは、交易を通じて、西欧が東欧よりも、自由時間をより多く享受できるようになることによって、経済発展への自己投資の機会により恵まれるようになる、ということである。交易が果たす東欧から西欧への自由時間の移転メカニズム機能ゆえに、この自由時間の不均等性が生じるということの例示こそが、この数値例の本質的意義である。
★19――ここで、西欧で生じたその自由時間の大部分は「科学的研究や技術開発,あるいは人間発達のために」使われると仮定するのではなく,さらなる利潤を求めて生産を増加するために使われ、それによって増加した利潤が再投資されると想定することも可能である。そのように考える方が、資本主義的生産に適合的だと見なすこともできよう。ここでの分析の目的としては、自由時間をどのように利用するかについて特定する必要はないため、この論点はこれ以上、ここでは追究しない。しかし、この論点は、本節で分析対象とする16世紀西欧の中核的諸国家を、後の17世紀でのイギリス「生活革命」で普遍的に観察されるようになる単調増加的選好型社会――より多くの商品消費を選好する社会――と区別して、その到来以前の「余暇選好型」の社会と想定すべきか否かという論点とも関わってくるだろう。
★20――【付論】を参照せよ。

【参照文献】
Acemoglu, D. and J. Robinson (2015): “The Rise and Decline of General Laws of Capitalism,” Journal of Economic Perspectives, 29, pp. 2-28.

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン (2011):『国家はなぜ衰退するのか?――権力・繁栄・貧困の起源〔上〕』, (鬼澤忍訳, ハヤカワ文庫、2016年)

ロバート・C・アレン (2009):『世界史の中の産業革命:資源・人的資本・グローバル経済』, (眞嶋史叙・中野 忠・安元 稔・湯沢 威 訳, 名古屋大学出版会, 2017)

オリヴィエ・ブランシャール&ダニ・ロドリック(共編) (2021): 『格差と闘え 政府の役割を再検討する』, (月谷真紀 訳, 吉原直毅 解説, 慶応大学出版会 2022年3月刊行予定)

ユルゲン・コッカ (2017):『資本主義の歴史:起源・拡大・現代』, (山川敏明訳, 人文書院, 2018)

I・ウォーラーステイン (2011):『近代世界システムI』, (川北稔訳, 名古屋大学出版会, 2013年)



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