魔法のベーグル③ ~魔法で若返ったらなぜかアイドルデビューして推しと結婚していたハッピーエンディング・ラブストーリー~(創作大賞2024投稿用③)
「本気に決まってるじゃん」
そう言いながら、みもりは自分の頬をとめどなく溢れる涙を止めることができなかった。
「ミモリ」
シウの低い声のトーンが変わる。
悲しみ。慈しみ。愛。
ぜんぶ感じる。
「大丈夫だよ。わ、わたしが怪我をしたって言えば、mimiも納得してくれる」
「ミモリ」
シウが腕を回し、自分の胸にみもりの頭を押しつけてくる。
みもりはしゃくり上げた。
どうして涙が出るのかわからない。
これは魔法で、これは夢で、アイドルになったのなんてほんの数日前で、なんのリアリティも感じていなかったはずなのだ。
なのに。
胸が痛い。
ルプテというアイドルグループの一員としての責任感なんか感じてしまっている。
どうして。
「そんなことはさせない」
「シウ……」
「きみは予定どおりステージに立つんだ。きみの声を待っている人たちがいる。mimiの中にはきみだけを観に来た人だっているんだよ」
それはどうかな。
今日の観客って、ほとんどがE-yennph目当てだと思うけど。
みもりは苦笑いしそうになったけれど、涙で声にならない。
と、そのとき、ドアの向こうでカタンと音がした。
「!」
ふたりは思わず互いの身体にしがみついてしまう。
「誰?」
シウが意を決してドアの向こうを確かめに行ったが、どうやら誰もいなかったようだ。
「戻ろう」
「シウ、でも」
「しっ」
シウの指先はいつもみもりの唇に当てられる。
への字の眉になって見上げてくるみもりに、シウが言った。
「きみのことは僕が守る。ぜったいに無茶をしないと約束して」
それはわたしのセリフだよ。
そう言いたかったみもりだが、唇を封印されていて何も言えない。
シウは別れ間際、みもりの頬を軽く押し、くちびるをみもりのひたいにくっつけながら言った。
「プロとして、お互いにステージを楽しもう。いいね」
プロとして。
その言葉はシウ自身の信念から出たものだ。
だから、シウって好きなのよー。
みもりはシウペンとしての気持ちがぶわっと溢れてくるのを感じた。
結婚していようとどうだろうと、この気持ちだけは変わらない。
わたしはシウペン(シウのファン)。
シウのことは、いつだってYennのわたしたちが守るの――――。
みもりたちLes petits bijouxの出番は、E-yennphより早い。
奈落のクレーンの前に立って、みもりはドキドキしながら、それでも目に力を入れてしっかり周りをチェックしていた。
どんな陰謀にも負けない。
それがシウに対して行われるものなら、ぜったいに許さないし、自分自身のことだって、シウのためにもぜったい守り抜いてみせる!
そう思って、周囲の暗がりを隈なくにらみつけるみもりだったが。
――え?
そのとき、黒いスタッフTシャツを身に着けた、ひとりの背の高い青年に目がとまる。
まさか。
みもりはあぜんとした。
シウ?
どんな格好をしていても、他の誰にわからなくても、みもりにはわかってしまう。
やだ、あのスタッフ、シウだ――!!!!
シウもみもりに気づかれたことがわかったのだろう。
キャップを深くかぶる仕種の下で、あの特徴ある完璧な唇がにやりと歪む。
シウったら……!
なんて危険なことをするの……!!!!
みもりは思わず駆けつけて、こんなところにいないでと叫びたかった。
だが、もう乗っているセリが昇ろうとしている。
みもりたちメンバーはステージにあがらなければならない時間だ。
「ああ、もう!」
「ユーリ? どした? おなか痛い?」
リーダーがみもりの顔を覗きこんでくる。
みもりはハッと周りを見回した。
目に留まったのは青ざめたソアの顔。
E-yennphの脅迫状騒ぎはルプテのメンバーにも伝わっている。
特に、シウペンのソアは気の毒なくらい落ちこんでいた。それを必死で持ち上げて、なんとかステージまで引っぱり出してきたところなのだ。
いけない。
今はプロに徹しなければ!
「ううん、大丈夫! 行く!」
「おっしゃ! mimiに挨拶してこよ!」
小さくふたりでこぶしを作って、コツンと合わせる。
ここからは、Les petits bijouxの時間。
わたしは、ルプテのメインボーカル!
解散寸前の弱小グループでも、わたしのグループ!
魔法で生まれ変わったわたしは、とにかくアイドル!
今日のステージは ぜったいやり遂げてみせる!!!!
※
そんなみもりの決意を神様が聞き届けてくれたのか、実際のところ、そのステージでは何ごとも起こらなかった。
起こったのは、ステージが終わって戻った控え室だ。
「きゃあ! 何これ!」
「ユーリ! あんたの荷物! ズタズタ……!」
みもりはぼう然とした。
私服や着替えはおろか、大事にしていた化粧品まで割られていて、みもりの鏡の前は惨憺たる有り様だ。
「何これ。"別れろ"?」
その上、鏡にはピンク色の口紅で乱暴な文字が書かれていた。
「別れろって? 誰と?」
メンバーがいっせいにみもりを振り返る。
「さあ。知らない」
みもりはかぶりを振った。
どうしてこんなことを。
だんだん腹が立ってくる。
「許せないな」
「え?」
「これ、落ちない口紅なんだよ。鏡、元通りにできないかもしれない」
「そこ?」
「そんなのどうでもいいじゃん! もしここにユーリがいたら、刺されてたかもしれないんだよ!」
ソアが泣きそうになりながら後ろからしがみついてくる。
ソア・ピンクダイヤモンドは、いつだってユーリ・ムーンストーンのことを一番に思ってくれる優しい子なのだ。
「でも、どうやってここに入ったんだろ。さすがに誰かいたでしょ」
「関係者になりすましてたのかも」
「こっわ」
「もー! 早く着替えて、みんな! さっさと寮に帰ろう!」
ジアンがリーダーらしく取り仕切ってくる。
だが、みもりは困った顔になった。
「着替え、なくなっちゃった」
「わたしのを貸すわよ!」
「オンニ(お姉さん)のを?」
「何よ、文句あるの?」
長い沈黙が生まれる。
ジアンの私服はなかなか過激なのだ。つまり、布が少ないというか何というか。
よくよく考えて、みもりはごくごく丁寧に言った。
「うん、お借りしようかな。ありがたいな。貸してもらえますか」
棒読みに近くなったのは、まあ、しかたがない。
控え室のモニターに、E-yennphのステージが映る。
その中にはちゃんとシウの姿もあった。
みもりは思わずホッとした表情になる。
スタッフに扮するような真似までしてきたシウとは話す時間もなかったが、ルプテのステージの間じゅう、みもりのことを見守ってくれていたのは、舞台にいても感じていた。
それがどれほど心強いことだったか、きっと誰にもわからない。
みもりはうつむいた。
無事自分たちのステージに間に合い、いつもどおり輝く表情を見せているシウがアップになった瞬間、みもりの目には意図せず光るものがあふれてしまっていた――。
※
「めずらしい。シウヒョンが音程を外した」
ステージを終えて控え室に戻ってくるなり、ユヌがからかうように話しかけてきた。
シウとは一番付き合いの長いメンバーだ。
汗を拭きながらシウが答える。
「僕は、音は外さない」
「ハハ、さすがシウヒョン。俺の嘘をあっさり見抜いた」
「なんだよ」
「へんな顔をしているから。なんでそんなへんな顔をしているのかな?」
「どこもへんじゃないよ」
シウは親友のからみついてくる腕を乱暴に払いのけた。
付き合いが長い分、どちらも互いに対して遠慮がない。
「そうかな。さっき出番前に消えたでしょ。どこ行ってたの? トイレ?」
「ああ」
「うっそだねー。俺も行ったけど、シウヒョンいなかったなあ…」
ユヌはシウの肩を抱き、しつこく食い下がった。
「なな、シウヒョン宛てだったんでしょ、例の脅迫状」
「なんでそれ……」
「マネージャーから聞き出したから」
「ふう」
ため息をついて、シウが黙りこむ。
ユヌが首を傾げて、そんなシウの顔を覗きこんできた。
「俺は勘がいいの。知ってるでしょ」
「わかってる」
「例の問題? 言っとくけど、俺は誰にもなんも言ってないからね」
「わかってる」
メンバーの中でユヌだけは、シウとみもりの関係を知っている。
他言無用と言われなくても、ユヌが他言しないのはシウにはわかっていた。
「一人でどうにかしようなんて思うなよ、シウヒョン?」
「ユヌ」
「俺たちは運命共同体、だろ?」
「でも、これは僕個人の問題だ」
「個人の問題はチームの問題、チームの問題は個人の問題。ってね」
ユヌがニヤリと唇の端を持ち上げ、シウが鬱陶しげに目を細める。
気楽な相手には表情も気楽に変わる。
「何か知っているのか、ユヌ」
「ルプテの頭ピンクの女の子」
シウの前ではユヌもあっさり持ちネタをばらす。
「あのこ、怪しいなあ」
「え?」
「さっき、ちらっと見ちゃったんだよね。駐車場に行くエレベーターに乗りこむとき、なーんか物騒なものピンクのバッグに入れててさあ」
「!」
「なんでそれを先に言わないんだよ!」
「言ったら、ヒョン、追っかけるでしょ」
「!」
言外に、追いかけるなと言っている。
地下駐車場はともかく、一歩外に出れば大勢の人目がある。
だが、シウは首を振った。
「僕は、大切な相手ひとり守れない人間にはなりたくない」
「そう言うと思ったからさ」
ユヌの心配はシウに痛いほど伝わってくる。
シウは頭をさげた。
「ごめん」
「うん! そうくると思って、特別警備、頼んどいたから!」
「あ?」
(つづく)