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『車輪の再発明』は是か非か?

(注:この記事は過去の記事の再投稿です。)

今日和~~~♬
「『車輪の再発明』はするべきではない」ということがよく云われる昨今です。
でも、それは本当でしょうか?

いや、『車輪』を、そのオリジナルとまったく同じように作り直すのはムダかも知れません。でも、同じ『車輪』をよく吟味して、別の技術で作り直すのはどうでしょうか? 「作りなおし」の過程で、あらたな問題を発見したり、抜本的な改善を思いついたり、あるいは、まったく別の発明に繋がるかも知れません。

私自身も「相関関数」という、物理数学を応用した『音の顕微鏡』の実装を頼まれてコーディングしたことがあります。異なる時系列データ間の「時々刻々の相関の度合い」や「信号の周期性」を定量的に分析するために。

(01 奇跡.m4a),ACF,timeS0,0.00,timeE0,270.35,tau,0.010

(01 奇跡.m4a),ICCF,timeS0,0.00,timeE0,270.35,tau,0.010

この、『相関解析システム』について詳述するのはここでは控えますが、このシステムの開発を通して教わったことは、「原理から解きほぐして、『車輪の再発明』をすることには大きな意義がある」ということでした。

先年物故した瀧本 哲史 氏は『車輪の再発明』否定論者でしたが、同時に、「異なるモノを組み合わせることが発明である」と喝破していました。ヨーロッパの(視覚)文化史を学んだ人々にはお馴染みの "Ars Combinatria (組合せの術)" ですね。人間なんて、できることはいちじるしく限られる訳であって、先人たちの蓄積を継承したうえで、なにごとかを発明してきたからこそ、人類の発展の歴史があります。『巨人の肩の上に乗って』という、例の言い方です。

そんなことをつらつらと思い出し、『車輪の再発明』をむしろ率先して行うのも悪くはないのでは、と考えるのです。

きょうはここまで。
御機嫌よう。

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