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力という病

ようやく『シン・エヴァ』を観た。
見終えた。
本放送から四半世紀にして。

お定まりの結末だったかも知れない。
ようやく『還ってくるべき』ところへ還り、そして、そこからまた歩き出すのかも知れない。
それは『指輪物語』や『あらし』(シェイクスピアの)と同様に、【力の抛棄(ほうき)】をテーマにした作品だと感じた。

なにかの喪失をきっかけに、復讐心をたぎらせ、ところがその無益さに気づき、赦し、解放されていく——病と治癒の物語に見えた。『怒りの言動』という原動力にもとづいた淋しさと、その暴走の——。

平凡な結末に落ち着いて回収されたからこそ、多くの「おおきくなった迷子たち」を救う術にもなったのではなかろうか。

みずからの被害者性、それと裏腹な加害者性——暴力に頼るこころの弱さ——精神病の《症状》にしか見えなかった。

そんな《症状》を治癒するためには、自己受容が必要なのでは、と思わせるものがあった——自己犠牲の覚悟も大事だろうが、それもまた加害である側面を看過できない——。
まあ今作(新劇場版)では、「マリ」という『救いの女神』が外からやってきた訳でもあるが——《他者性》の表象であろう——。

そんなことを考えさせられた結末だった。
哀惜とともに拍手を贈る。
『おめでとう!』と。

平凡さ、凡庸さこそが救いであることもあり得るのだと……。

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