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暮らしの中に、いつも母の姿が…

ごきげんよう、くらリノです!
今日も、住まいと暮らしをたのしむヒント、お伝えするわね


・・・と思ったけれど、今日はくらリノ自身のことを少し話します。
わたしにとって今日は、特別の日だから・・・


◆7月10日は、わたしの母の命日

2年前の今日、母が亡くなりました。

もっとも、その前の2年半、母はずっと意識不明の状態で寝たきりだったから、母と言葉をかわしたり笑い顔を最後に見たのは、もう4年半も前になります。

母が入院している2年半は、ほんとにいろんな事があって・・・、
いろんな事がありすぎて、
もう、ずいぶんと昔のことのよう。


◆入院となったきっかけは、不慮の事故

それまで母は、同年代の人と比べても元気で若々しく、ものすごく前向きな考えの持ち主だったから、きっと100歳までもこのままじょうぶで長生きするにちがいないって、私だけじゃなく誰もが思っていましたよ。

年相応の体の不調はあったにしろ、特別大きな病気になったり医者にかかることもなかったので、

こういう穏やかで特に問題もない普通の日々・・・
当たり前の日常が、今日も明日もあさっても訪れるものだと思っていたのです。


なにか重大なコトが起きる時って、「前ぶれ」がありいつもと違う状態が続き、やがてだんだんと大きな問題へと発展していく・・・
そう、
最初はちいさな余震がいくつかあり、やがて本震となって大きな揺れが来るように・・・


だけど、
違ったんです。

◆「日常」と「非日常」は隣り合わせ

日常は、ある日突然「非日常」のできごとが現実となり、そんな「非日常」な状態が続くと、それがあたりまえの「日常」になっている。


わたしは全く油断していた!
明日は決して今日の続きでなんかないことを、うっかり見逃していたのです。

事故や災害などで、ある日突然大切な人と永遠の別れとなってしまうことなど、世の中にはたくさんおきています。
わかってはいたけれど、どこか、自分の身にはおこらないって・・・

過信していたのです、全く!


◆永遠に続くよ、おしゃべりは

そうやって、心の準備とやら何もないまま、母との会話は二度とできなくなりました。

それから2年半後に、静かに母は息を引き取ったのです。


入院中もだけど、母が亡くなり、記憶の中にある母の顔がだんだんと遺影の姿に変わる間、わたしは何度も何度も母とおしゃべりしています。

もしかしたら、実際に言葉にしていた時よりも、いっぱい母に話しかけているかも。

写真に向かいながら・・・
心のなかでつぶやきながら・・・
仏壇に手を合わせながら・・・


母からの言葉は何も返って来ないけれど、それでも母とおしゃべりしていると、いつも何らかの答えをもらっている気がするんです。

きっとそれは、母との会話が、いつも原点を思い出させてくれたり、立ち返ることができるからなのでしょう。


そしてこれが、
わたしが「暮らしをリノベーション(新しい価値を創り出す)」する
きっかけとなっていくのです。

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・・・今日は、いつも母に向かって話していることを、文字に託してみたくなりました。

ではまた、
ごきげんよう!

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