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そろそろ、魂を吹き込もうか。

表現のあり方に迷走して、もう一度鉛筆を握り直してかれこれ3ヶ月が経つ。オスロでトラムの線路を見て、ハッとさせられて、「絵だ、、」とそっと呟いた。

それ以来毎日のように鉛筆を走らせては、どうすれば上手くなるか、また迷走した。そもそも絵なんて描いたことなかったし、学生時代を思い返すと美術が嫌いだったことに気付く。

中学では受験前に評定5をもらえたものの、その時だけだった。高校の選択授業では苦手な美術を避けて音楽を選んだ。ヨーロッパを周遊しては名作に一瞥をくれるためだけに美術館に足を運んだが、滞在時間はせいぜい1時間。ほとんどが広すぎる美術館の館内を歩くのに費やしたに違いない。


今から絵を始めるなんてどう思われるだろうか。そう思って周りにはあまり言い出せずにいる。SNSにはあげるだけで、きっとみんなは趣味として絵を描いていると思っているはずだ。それでもいい。時が来るまでは地下に潜ってひたむきに描き続けよう。下手くそなパーツの組み合わせに辟易しながらも描き続けよう。

とても好きとは言えないことに手をつけてしまったもんだから、モチベーションを保つのが難しい。だから、わざとこうしてSNSにあげては「上手だね」を言わせ、友達に見せたときの真ん丸の目をガソリンに変換して燃やし、描き続ける。

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これからも鉛筆で描き続けるかは分からないが、絵を上達させなきゃいけないことは決定している。光の当たり具合、奥行き、諸々叩き込むことは多い。



絵と並行してやっていることがある。ストーリーを描くことだ。これもまた生まれて初めてやることなもんだから、やり方なんて分からない。加えて、読書が嫌いな少年としてスクスク育ってきたからストーリーメイキングの知識がない。


そう、僕は物語を描こうとしている。


北欧での生活を着火点として、僕が強烈に衝撃を受けたことを絵と少しばかりの文字に乗せて表現しようと思う。

さて、どうしたものか。描いても描いても、、どんなに上手だねと言われようとも、、欠乏感に苛まれる。

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きっとコピーをし続けている以上は、この焦燥感が消えることはないだろう。なぜなら、そこには、魂がないのだから。魂がないものに人の心は動かない。血の匂いのしないものに人は寄り付かない。

味がしないからだ。
噛みごたえが無いからだ。
無味無臭ほどつまらないものは無い。



さて。



「天気」ってなんであるか知っているかい?


晴れの日もあれば、
雨の日もある。
どんよりした曇りの日もあれば、
凍てつく雪の日だってある。

長野県の諏訪湖では
御神渡りという現象が見られるらしい。
これも天気のせいなのだろうか、
はたまた神の仕業なのだろうか。

雪国では冬にだけ咲く花がある。
フロストフラワーだ。
これは人のなせる技では無い。

1ヶ月間も雨が続き、
晴れ間がその終わりを告げに来てくれた時、
人はそれを知り、微笑む。
外へ出て、また微笑む。
その陽を浴びては、もう一度微笑む。

陽の光を奇矯なまでに好む花があるらしい。
人はそれを向日葵、サンフラワーと呼ぶ。

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晴れがずっと続いていてはつまらない。
雨があって、初めて晴れが生える。

風が吹くからヨットが前に進むように、
神羅万象の陰と陽はいつだって
お互いに補完し合う。


人は天気を惧れ、
人は天気を崇め、
人は天気に操られてきた。

きっと、空の向こう側に、
そのまた向こう側には、
天気を操る天気操縦士がいて、
人の心を操る天気操縦士がいる。

そんな「天気」から始まる物語。


ずっと曇り空だった頭に、
ようやく陽の光が差し込みかけた。



そろそろ、魂を吹き込もうか。

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