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居場所ってどこにある?

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居場所ってどこにある?
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自分が自分らしくあるためにはどうすればいいんだろうって考えたときに、認められることってすごく大事だなって思った。高度に発展した社会で生きる僕たちは、マズローで言うところの最初の3つの欲求は満たしていることが多い。蛇口をひねれば美味しい水が出てくるし、ワンコインでお腹いっぱい食べられる。教育の制度も整っているから9年間は小さい社会に身を置くことができる。その中にはまた小さい社会がたくさんあって、クラスであったり、部活動であったりする。犯罪率も低い日本では夜中遅くに出歩いても危なくないくらいには治安が良い。

そんな高度に整備された社会に生きる僕たちが次に求めているのは「承認欲求」というやつで、これは必ずしも全員がそうではないけど、多くの人はこれを無意識に求めている。どこかで誰かに認められたい。そうすることで自分がいることの意義を見出そうとする。思い返せば僕は常に自分の居場所を探していた。

そこそこ裕福な家庭に生まれた僕は4人兄弟の真ん中。上にも下にも兄弟がいるから小さい頃から周りを見る癖がついていて、空気を読むことにはなれていて、あまり怒られたことがない。こんなパッとしない僕は家族の中で「ぼくらしさ」と言うようなものはなかなか見出せなかった。もとより家族と言う小さな社会ではそうする必要はないのかもしれない。

それでも自分がその社会でどんな立ち位置にいるのかを(たぶん)周りに認めて欲しかった僕は、小学校から自分の居場所を常に探していた。

小学生のときの僕はどうだっただろう。幼稚園からサッカーをやっていたから運動神経は平均以上にはあって、運動会のリレーの選手になったりしていた。サッカーをやっていたから瞬発力も持久力もそこそこあってマラソン大会なんかでも毎年一位だった(小さい小学校で同じ学年の男子は全員で20人いないくらい)。3年生になると兄姉の影響でバスケットを始めた。チームではまあまあできる方。でも、学年には幼稚園から始めていた信じられないくらい上手いやつがいて、とてもじゃないけど3年生から始めた僕は追いつけなかった(たぶん彼は今頃日本のプロバスケ選手になってるのかな)。サッカーもなかなかセンスがなかった。自分には何で飛び抜けられるんだろう、そんな風に迷走した結果出した答えは、マラソンだった。サッカーとバスケを途中まで掛け持ちしていた僕はそこそこ体力には自信があった。バスケでは負けてもマラソンでは負けないようにしよう。そう思った僕は、それまでたまたま学校のマラソン大会で1位だったので、それを死守することに徹した。毎年の冬、マラソン大会が近づくと誰よりも休み時間に校庭を走った。結果、僕は周りから「体力があるやつ」って言うイメージを植え付けることができた。

中学校だとどうだろう。小学校の時のあの抜群にバスケがうまいあいつは違う中学に行ったから、もしかしたらここではバスケで勝てるかも。学年でミニバス経験のある人はほとんどいなかったし、同期は僕ともう1人。稀に見る男子部員の少ない代で、僕はここで勝負した。案の定、勝てた。戦う相手が少ないほど1位になりやすいことを実感したときだった。小学校では「マラソン速いやつ」と言うイメージだった僕は中学では「バスケができるやつ」と言うイメージに書き換えた。

そして、高校に進学する。都立の進学校に行った僕は入学早々勉強では勝てないことを知る。地元ではまあまあ勉強できるやつだったけど、それは単なる井の中の蛙で、都心にはもっとできるやつがゴロゴロいる。早々に頭を抱えた僕は「バスケ」というマジックカードを早速使う。ここしかない。最初の半年は腰椎分離で全く練習ができなかったけど、復帰してからは必死にもがいてなんとかチームの中心にまでなれた。学年でも、たぶん「僕=バスケ部のやつ」って言うイメージがついてたと思う。

ここまでどのコミュニティーにいても自分の居場所を探していた僕は、大学では「北欧」というイメージを持つこととなる。スウェーデンに留学するまでの最初の1、2年はボランティア活動をしたりしていたけど、なかなかハマらなかった。それでもたぶん当時の僕は「ボランティアのやつ」って周りから思われていたかもしれない。

それでいざスウェーデンに行って、人生が180度変わって、瞬く間に北欧に目覚める。大学で「北欧史」の授業をとってみたり、履修はしていないけど北欧史の教授のデンマーク語の授業に潜ったり、それから都内の色んな北欧関係のイベントに足を運んだ。コソコソとそんなことをしていた僕はいつしか「北欧のやつ」「スウェーデンのやつ」そんな風に思われていた。

そして、今はどうだろう。ノルウェーに来てもそれを探していた。自分の引き出しを探してみて、手持ちが少ないなりに、1年前に始めたばかりの「写真」を武器にした。スマホで高画質の写真が撮れるようになったとはいえ、まだ一眼レフのクオリティーには届いていない。「ここだ」もちろん狙ったというよりは写真を撮るのが好きで、こうしてブログに写真を載せたりしているだけなのだけど、クラスメイトには「写真を撮るやつ」というイメージがついている。

「マラソン」から始まった僕の居場所は「バスケ」「バスケ」「ボランティア」「北欧」と変遷を遂げて、今は「写真」というイメージも付きつつある。

国という大きすぎる社会で、自分だけの居場所を作るのは難しい。「写真」なんか日本に僕よりもうまい人なんか何千人といるし、「写真」単体で勝てるはずなどまずあり得ない。

掛け算だ。

「写真」×「〇〇」
必ずしも写真ではないかもしれないけど、自分の持っている武器をどうやって掛け合わせたら自分の居場所を作れるかな、こんなそろばんをパチパチと弾くことが多い。だって、自分の居場所があったほうが生きやすいし、純粋にそこでは必ず認めてもらえれるから。

僕のシンボルってなんだろう。

パチパチとそろばんを弾いてみる。でも、もちろんそんな簡単に答えは出ない。掛け合わせで居場所を作るということは、自分だけの競技を作るということ。時間をかけてゆっくり見つけよう。意外な組み合わせを繰り返して行ったらきっとその先には自分だけの居場所が見えてくるはずだ。

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今日の一枚。「君って黄色いんだね」「あ、そうかも。君は赤いよね」こんな感じで色を見える化できたらわかりやすい。僕たちはみんなそれぞれの色を持っている。同じ赤でも他の人と同じであることはほぼなくて、それは「マルーン」かもしれないし「バーガンディー」なのかもしれない。こんな風にそれぞれの色が可視化できたら面白いだろうなあ。

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