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【断る余白を残しておく】

何かにつけて余白を持つことは大切だと思っています。


何かを始めるには、それを始めるだけの時間が必要だし、
文章を書く時、文字をぎっしり敷き詰めた巻物のようなものよりも、隙間を作った方が読みやすいだろうし、
スケジュールがぎっしり詰まった状態がずっと続くと精神衛生上良くないだろうし、、

#巻物のような文章は去年の僕です 

そんな色んな余白がある中で、断る余白というのもすごく大切だよな、と思っています。


実話に沿って話します。詳しく説明しすぎると本人が特定出来てしまいそうなので、味がする程度に原液を水で薄めて話します。


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少し前に海外の友達から、とあるお願いをされました。それはSNSのフォローなのかもしれないし、宣伝なのかもしれないし、、まあその辺の類のことです。


それを聞いた時、内心イヤだなと思ったので、流しそうめん程度にサーっと流しておきました。「おっけ!後でやっとくね」みたいな感じです。


僕はやりたくないことをやりたくないので、もちろんそのお願いは流しました。


(ここは明確にしておきたいのですが、何か目標に辿り着くために、必要だと思うことはやります。それが必ずしも好きでなくても)


そして少し経ってから、その友達からまた連絡が来て「やってくれた?」と聞かれました。


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この後もう少し話が続くのですが、こんな事がありました。結構こういう経験をされる人は多いと思います。


ここで余白の話なのですが、何かを頼むときは絶対に断る余白を残しておくことが大切だなと思っています。


今回の例で言うと、友達が僕にお願いの連絡をするのは最初の一回で辞めるべきで、逐一「やってくれた?」と聞いてしまってはいけないと思っています。


もし仮に、僕がそのお願いをやっていたら、「こんな事やってるんだ、面白いね!頑張って!」みたいな感じで僕の方から連絡を入れます。


でも、お願いされた人全員が全員それをやってくれるとは限らないのは目に見えていることです。なので、この手のお願いでは絶対に確認の連絡はしてはいけないと思います。


なぜなら、断る側の気持ちを考えたとき、その人のことを傷付けないようにどんな言葉を選べばいいかなと、余計な時間が発生します。どんなに思考を巡らせて考え抜いた言葉でも傷付く人は傷付くし、でも余計な確認をしなければ傷付く人は誰もいなかったはずです。


何かを断るってすごくコストのかかることだと思います。


これも実話です。


以前街を歩いているときに、途上国の子ども支援団体だったかの広報活動をしている人を見かけました。その時、ついつい見ているとその人と目が合った瞬間に捕まって、長いこと話をされることがあります。


断るということがなかなか出来ない僕は、長話をされて結局その団体に寄付することになりました。


(後日、詳細の電話が来て「実はあの時プレッシャーを感じて断れなくて、、」という話をして寄付の話はなくなりました。ちなみに、活動自体は素晴らしいと思ったのですが、それに寄付するかというとまた話は別です)


僕はシンプルに断るのが下手くそというのもあるのですが、お願いする側はたぶん、お願いされる人が断るかもしれないというところまで考えて声をかけた方が良いんじゃないかなと思います。


これは関係性がない人へのお願いは当たり前ですが、関係性があるからこそ意識すべき事だなぁと思います(今、これを書きながら実際に過去僕が近しい人にやってしまったお願いを思い出しました)。


関係性があればあるほど、断りにくくなるはずなので。


ご飯や遊びの誘いなんかも、


— 今週空いてる?

— あ~ごめん、今週は無理そうだ。また今度ね。

— そっか。いつなら空いてる?


こういうシチュエーションってありますよね?コイツは絶対にモテないと思います。なぜか自動的にその人と遊ぶ(ご飯に行く)ことが決まっている。
#なぜだ 


この手の手法はドアインザフェイスなどと呼ばれる返報性の心理を活かしたテクニックだと思います。恋愛とかビジネスの交渉の場で使われるやつですね。


こと恋愛に関しては、相手に罪悪感を感じさてまでも自分の方を向かせるテクニックを身につける前に、話術なり、気遣いなり、まずは魅力的に見える自分を身につけた方がトータルでみて良いんじゃないかなと個人的に思ってます。
脱線しましたが、色んなところで余白を作ると良いんじゃないかなぁと思ってます!


以上です!


おやすみなさい。



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