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揺れない天秤 第九話

あれから事務所に帰った俺たちは、少なくない衝撃を受けて、各々が自分のデスクに着きながら、今日という1日を黙考していた。

まずマサキは、束原周二の自殺現場をレイラに探らせた画像を元に、今も考察を続けている。

第一発見者は、あの辺りを移動経路としている主婦の一人。明け方に散歩気分で歩いていたところ、十字路に差し掛かった時点で、電柱に吊るされた束原の死体に気が付いた、という話らしい。

十字路と言って、電柱は通りの奥、宇津木殺害の現場に近い位置の左側に立っていて、縄がやや長く、パッと見では、スーツの男が電柱に寄りかかっているようにしか見えなかったそうだ。だから、十字路に差し掛かるまでは気が付かなかったんだと。

画像は相変わらずレイラが探り当てたものを表示していて、ホワイトボードに映し出された映像では、業者が足場に使う出っ張りに縄がくくりつけられ、てるてる坊主のようにそこから吊るされている、背の高い、体つきもそれなりに逞しい男が見えている。顔は以前レイラが持ってきた眼鏡の優男で、なるほどこいつが束原周二、というわけだ。

首筋には縄の跡に沿って、赤い縦線が見えていて、いわゆる吉川線、首が絞められたた際に抵抗した跡が残っているように見える。だがマサキいわく、自殺者でも予想外の苦しみに見舞われた際など、こうした抵抗の跡が残ることはあるというから、これ一つで他殺とは断定できないらしい。

近くに靴が揃えて置かれていた他、束原の自宅には佐久間が調査に向かっていて、遺書などがないかを調べているという。恐らくはその関連で、先程マサキが佐久間と通話し、何かを頷きあっていた。

それから、俺が今レイラに探らせているのは、例の製薬会社で宇津木と不仲だったという八名の、3年前の動向についてだ。

さっき製薬会社で発案された通り、3年前、誰かスプラッターハウスの近くにいなかったか、当時でもGPS機能の付いた携帯は普及していたから、彼らの動きを探ることで、当時と宇津木の事件、双方に関わりがある人間がいないかを特定しよう、というわけだ。

結果、まだ大学生として上京していたり、実家の関係で遠く離れた場所にいたりと、明らかに関わりのない外れが六名続き、あと残すは佐久間葵と束原周二の二名のみ。どちらに関わりがあるにせよ、閲覧するには気が重い相手だった。

まずは、、既に死者の身とはいえ、まだ見ても不快さも罪悪感もない束原からか。

「レイラ、束原周二は3年前のスプラッターハウス事件の日、どこにいた?」
『束原周二、5月28日当時のGPSを表示します』

5月28日、、パソコンの画面には先程までの六名と同様、地図と移動経路らしき赤い線が表示され、

「、、?」

これは、、車の移動経路だろうか? 随分距離が長く、県を二つも跨いで延々直線移動が続いている。この辺りに線路は通っていないから、恐らくは高速道路を使っているのだろう。

妙なのは、その道路を短期間で往復しているところ、、下道も通っていたらしく、驚くべきことに、俺の自宅近くや、ゴンのかつて住んでいたという家の前も通っている。

スプラッタハウスまでは、1キロ程度の距離までは来ているが、当時の移動を精査してみても、信号待ちでもあったのか、数回停車しているくらいで、すぐに出発をしてしまっているため、こいつがスプラッタハウスへと出向くのは不可能に近い。一見すると、犯行に及んだ可能性は低そうだ。

だが、何か引っ掛かるな、、何故束原はこんな長距離を移動したのか? それも、移動速度を見ると時速にして150キロ近い。そんなに急いで行き着いた先は、県内の山奥、渓流釣りやトレッキングなんかに使われる渓谷へ向かい、1時間ほど留まった後、同じ経路を通って帰宅している。

束原は当時28歳、自分とほぼ同じ年齢で、高速を飛ばして喜ぶような年齢はとうに過ぎ去っているはずだ。俺はその意図に思いを馳せながら、パソコンの画面を眺めやる。

、、その視界の隅で、ゴンはずっとスマホを弄っては、何かに一喜一憂している。葵とLINEのやりとりでもしているのかもな。別に、好きにすりゃあいいとは思うが。

「さて、、それじゃ、私は用が済んだので帰りますねー」

と、そこへ和希の不気味に間延びする声が響き、和希は白衣を脱いで、パソコンからUSBメモリーを抜いてマサキへと手渡す。
そういえば、、こいつら、部屋の段ボールは片っ端から全部片付けたらしく、久しぶりに事務所の広々とした床が見えているが、探し物をしている風ではない。

「メモリー、見つかったのか?」
「ああ、迂闊だったことに、最初に探したはずの保管棚に入っていてね。今メモリーの中身を和希に確認してもらっていたんだ」

ありがとう、とマサキは礼を言ってUSBメモリーを受け取り、見つかって良かったよ、と和希へと嬉しそうに微笑みかける。和希はお疲れ様でした、と挨拶だけしてそれをほとんど無視するような勢いで回れ右をし、スタスタと事務所を出ていった。時間は定時ピッタリ。相変わらずだ。

「連れない子だよね。段ボールの群れを相手に、来る日も来る日も背中を合わせて奮闘を続けた仲なのに」
「モンスターでも相手取ってたのかよ、お前」

しかも、そのモンスターを連れてきた元凶は間違いなく和希だぞ。
マサキは残念そうに肩を竦め、今度食事にでも誘おうかな、とか言い出している。人の趣味にどうこう言う気は毛頭ないが、それでもこいつだけはやめておけと言ってやりたい。日々スプラッタを見せられてたら身が持たねえだろう。

「まあいい、それより、さっき佐久間とは何を話してたんだ?」
「さっき? ああ、束原についてかな。わりと衝撃的な事実だったよ。もう一つ、報告はあったけれど」

マサキは軽く自分の肩を持ち上げ、その、衝撃的な事実とやらを口にする。

いわく、一つは、研究所の遠心分離機から発見された血痕が、宇津木のものと一致したこと。こちらは驚きはしたが、衝撃というほどではない。だから、次が本命となる。

マサキが続けて話したのは、束原の部屋から、樹を斬り倒す時に用いられるような大鉈が発見されたという話だった。それも、刃の一部が欠けていて、何かおかしいとルミノール反応を調べた結果、凄まじい量の血痕が付着した痕が見つかったとーー


『DNA鑑定の結果、大鉈に付着していたのは、宇津木の血液だったことが判明した』

、、深夜と言って差し支えない、夜中の11時。佐久間からの電話は、そんな第一声から始まっていた。

あれから一週間以上経っていたが、事件の進展は勿論、ドローンからの襲撃も、新たな事件も起きないまま、俺は進展のない捜査を、ゴンは相変わらず佐久間姉妹となにくれとなく共に過ごし、ただマサキだけが忙しく稼働して過ごしていてーーそんな代わり映えしない日常の中、どこか重苦しさを感じさせる声質で、だから、宇津木帯人殺害の犯人は、束原の可能性が高いと佐久間は言う。そして、3年前の事件も。

「遠心分離機に付着していた、宇津木の血液の理由は判明したのか?」
『いや、判明していない。あの部屋は宇津木所属の研究室なのだから、あってもおかしくない、と言われている』
「ならあの、研究室を襲撃したドローンの正体は? あれは宇津木でも束原でもないはずだぜ」
『わからない。わからないが、警察はあれは別の事件と見なし、宇津木殺害の犯人を束原周二と判断して、捜査を打ち切る方針だ』
「宇津木の頭は見つかったのか?」
『いや? 被害者の頭など、あってもなくても事件の終息には関係ないと言うのが上の見方だ』
「、、良いのかよ、それで?」
『いくら私が警視とはいえ、上の方針は上の方針だ』

佐久間は、自身もいまいち納得がいかない、といった様子を見せつつも、仕方ない、と割り切ったように言って、通話を切る。後には、なんとも言いがたい静寂だけが残されていた。

これだけあちこち追ってきて、レイラも稼働し、佐久間姉妹とも協力してきて、、結局、追っていた先に犯人の尻尾も、毛皮の一欠片も発見されないまま、犯人が自殺して、終わりか。あっけない終わりだとは思うが、現実の事件などこんなものだろうか。

俺は眠りに就こうとして、しばらく天井を見つめ、やがて、夢の世界へと旅立っていく。

ーー俺は、自分が小学生だった頃の夢を見ていた。

理科の実験室、上皿天秤に重りを乗せる、ただそれだけの実験を、20人以上の男女で観察をする。それは決して難しい実験ではなく、ピンセットで重りを乗せ、また下ろして天秤が傾くのを見る。ただそれだけのはずだった。

「あれ? 動かないよ?」

俺は確かに、二つの天秤に違う大きさ、異なる重さの重りを乗せたはずだった。だが、天秤はどちらにも動かない。今思えば、単に天秤が古く、どこかで引っ掛かりでもしていたのだろう。案外、重りを入れていた箱にでも、皿の片方が引っ掛かっていたのかもしれない。

いずれにせよ、俺が声を上げたとき、それは何かの拍子で動いて正しい傾きを示し、

「なんだよ、動いてるじゃん」
「橘くん、嘘つきだーっ」
「嘘つき嘘つきー!」

ーー俺は、思いもかけず、嘘つきの汚名を被ることになった。

俺が見たとき、天秤の重りは確かに平衡を保っていて。
けれど、クラスにおける俺の立場は、こんなつまらない冤罪を機に、見事に傾いていた。


子供など、些細なきっかけがあればすぐにからかい、からかわれる関係になるものだ。当時の俺は、その状況を巻き返せるだけの智恵がなかった。黙って被害者になるのもゴメンだった俺は、代わりに加害者となって孤立する道を選んだ。からかってきた人間を、片っ端から制圧する道を選んだわけだ。

そんな、どこにでもいる子供の、苛烈な日常の一幕、、そんなものを思い出してしまった俺は、どことなく胸騒ぎを覚えながら、まだ深夜、それも午前3時などという時間のうちに目が覚めーー自宅のパソコンの画面が、白く光っていることに気が付く。

「、、ん?」

レイラは事務所にいるが、自宅のパソコンとも連携されていて、事務所に送られたメールはこちらにも転送されるようになっている。

送り主はマサキ。
俺は、何故そんなところに、と思うような場所と、時間を指定した呼び出しのメールを受けて、大きく首をかしげることとなった。


『君は、ゴンの不自然な動きに気づいていたかい?』

マサキから送られたメールの最初の一文は、そんな文言から始まっていた。

『彼は、どうやって事件を見つけているのだと思う? 宇津木帯人、束原周二、、彼はどうやって、被害者を特定し、事件の概要を掴んでいるのだと思う? 都合良く、あんな人の通らない道で。答えを聞いたら君は驚くんじゃないかな』

『それにどうして彼は、今も君に付いて回っているのだろうね? 彼は、どうして君と出会ったのだろう? それも、3年前、君が冤罪事件から解放されて間もなくに。そこに君は、何か作為は感じなかったかい?』

『3年前の、束原の移動ルートを君は調べたと思う。そこに、ゴンの家が近くにあったことに君は気が付いたかな? 束原がその何年も前から、そのゴンの家へと出向いていたことは? 車というのは一人で移動するものではなく、人を乗せて走ることもできるのだということは?』

『君に一つ良いことを教えよう。それは、馬鹿に天才のフリはできないけれど、天才には馬鹿のフリはできるっていうことさ。自分で言うのもなんだけど、僕は天才寄りの人間だ。だから、彼の思考が僕にはわかる。彼はどうして、君と一緒に製薬会社へと乗り込んだのか? 佐久間葵に接近したのか?』

そんな、ゴンへのどうして、どうやってを羅列した文章、、こんなものをマサキが送ってきた意図は全く不明だったが、その最後の締めの一文には、嫌でも反応せざるを得なかった。

『さて、お待たせ、これが最後の問いだ。彼はどうして、今夜部屋を抜け出しているのだろうね? それも、凶器になりそうなナイフなんかを持ち出して』

その最後の一文を目にした時、俺は急いでゴンの部屋へと出向き、本当にこいつのベッドが空っぽになっていることを確認した。それから、自宅に置いてあった、俺のサバイバル用のナイフが一本無くなっていることも。

最後に部屋に戻ってパソコンの画面をスクロールし、ついでのように書かれた一文を見て、俺はアパートを飛び出す。

『悪いことは言わない、ゴンを止める気があるのなら、例の生活道路においで。君なら説得することができるだろう、彼が取り返しのつかない事態を引き起こす前に』

マサキの言うことに、気にならない点がないわけではなかったが、、その指示通り、俺はタクシーを掴まえて飛び乗り、ゴンを待ち構えて生活道路の手前で待機する。指定された時間が時間だからな、周囲には誰もいないし、生活道路も閉鎖されたままだ。

真っ暗で、周囲にある明かりは二車線道路の先にある、電灯が一つだけ。ーーそこへ、ナイターでも始まりそうなストロボライトが照らされ、俺は、思わず一歩後ずさる。

「なんだ、、!?」

ストロボライトは、明らかに俺に向けられている。ゴンが現れた気配はなく、バタバタと何人もの人間が駆け寄ってくる足音と、いつか経験した、無遠慮に人の腕を押さえつける数多の手。

「橘啓! 宇津木帯人、束原周二、二名の殺害容疑と建造物侵入の容疑で逮捕する!」

ーーあ?
なんだそりゃ?


当たり前の疑問に応える者はなく、俺は何の理由だかもわからぬうちに、警察へと連行されていった。

#ミステリー小説部門

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