私の経歴的な書。

前回の第1回目では『自己紹介』的なことを投稿しました。
今度はさらに掘り下げた私を知ってもらう為の第2回目の投稿です。
実はこれが1回目の投稿になるはずだったんですけど、長々と書きすぎて『自己紹介の域を出ている』と思ったので、こちらを2回目の投稿に回すことにしました。
その結果、最初に書くべき『名前について』が今回に載っています。

私のネット上での名前は『恋花(れんか)』と言います。
この名前にした由来は好きな漫画の主人公が『梨花(りんか)』だったので、似た響きにしたくて好きな文字をはめていき、しっくりきたのがこの名前でした。
自分がネットを始めたのは『ネチケット』という言葉が流行り出す少し前で、まだまだ子供でしたので本名にメアドを晒すなんてこともしてました。
色々と今現在に至るまでのことを思い返しますと、悶絶することもあります(所謂黒歴史ってやつですね)。
しかしながら、そんな紆余曲折があって今の自分があるのも事実なのです。
ネットを介して成長していった自分については、また別途『自分である定義』というようなテーマで書きたいと思います。

プロフィールの通り、現在は普通に変態で無職です。1年半程前までは医療系の会社で受付事務(医療事務では無い)をやっており、休職期間を含めると11年半程同じ会社にいました。
入社当初3年はデータ入力などを主に行う事務職として働き、会社が吸収合併の際に異動を言い渡され、受付事務として働くことになりました。
最初の部署はデータ入力兼システム拠りの仕事でホームページも作ったりしてました。異動後も事情によりしばらくしていましたが…。
と、言うのも出身が専門学校コンピュータ科システム開発コースだったからで、他にできる人がいなかったので都合良く扱われていたワケです。
ちなみに今現在はシステム系の事はスポーンと頭から抜けました。
(元々文系だったので、シス開はちょっと無理があった…)
ただ、話をなんとなく聞いて分かることはあったり、仕組みが気になったり、そういうことはあったりします。アルゴリズムは追いかけると寝ます。

受付事務に異動になってからは、それまでもでしたが怒濤の年月でした。
異動当初は嫌で嫌で仕方ありませんでした。引っ込み思案だし、人見知りだし、人と話すのは苦手だし…。パソコンを使うのは得意でしたが、周りに気を配って動けなかったり、手作業や確認作業が遅かったり。
不慣れなので仕方無いのですが、できない自分が嫌だったし、周りとの差が気になって仕方が無くて何度も辞めようと思い悩んで、出勤前の電車に乗れなくなって駅のホームで泣いてしまったり。
それでも、仕事を続けられたのは職場の人に恵まれたことと、自分自身の我慢強さのおかげでした。もう少し頑張ってみたら何か変わるかもしれない、入社当時から支えてもらった人たちに恩返ししたい。そんな気持ちが私を会社に引き留めて、結果として10年を超えて勤めることができました。
なんだかんだ勤続年数が増えることに比例して責任や役割、自分の中での仕事へのプライドが積み重なって、自信に繋がったり、少しずつ上向きになって仕事が趣味と言えるくらい大好きになりました。

ただ、全てが良かったわけではありませんでした。私は本当に我慢強く育てられてきました。でも、我慢して良いことと悪いことの区別はできなかったんです。
人より「ここまでなら大丈夫」の線引きがかなり緩く、人から「大丈夫?」と言われて『あっ、これって普通は我慢してることになるんだ』と気付かされることが多く、そして、抱え込み過ぎて暴発することを繰り返して、今現在の『これは我慢か妥協か』という考え方ができるようになりました。ある意味その我慢強さが仇ともなり、徐々に鬱の症状が出始めても最初は気付きませんでした。その前から、少しだましだましやっている感はあったのですが、悪化していると気付くのが遅れてしまいました。


自分には3つ下の妹がいます。妹は私が鬱の症状が悪化してきた時点で既に十年以上は鬱という診断の名の下に暮らしていました。その妹の存在があったから、自分は鬱の症状を少しずつ緩和しながらやってきていましたし、病気に対しての知識があることで予防と、そして遅れながらも自覚でき、心療内科の受診を決められたのです。
初めての受診のことや、受診に至るまでの症状については、また別件で書きたいと思いますので今回は簡潔に。
(一度Twitterで書いた内容は含むと思いますが、まとめる意味も込めて書きたいと思っています)
自分で『鬱だな』と思ってたし、周りも『鬱っぽい』と思ってただろうし、当然のごとく「鬱症状である」という診断が下りました。
光トポグラフィー検査も受けましたが、同様の結果でした。
その時点ではすぐに休職しなかったのですが、有休が無くなってしまったことをキッカケに休職することになりました。
それからは、休職と復帰を数回繰り返して、色々あって退職、現在は普通に変態な無職です。
(退職までに病名が変わったり、上司とメールで揉めたりしてますが、それもまたの機会に)

退職してから落ち着くかと思ったのですが、これがまた意外と落ち着かなくて、結果的に『一段落ついた』と思えたのは退職して、1年以上経ってからという割りと最近だったりします。
現在は双極性障害Ⅱ型で、自分では発達障害が何かしらあるのではないかと疑っている節がありつつ生活しています。
精神障害手帳は取得を悩みましたが、障害雇用枠のことなどを考慮したり、自治体のサポートを受ける為(そんなに多くないですが…)取得することを決めました。
後、何せ自分は自動車免許を持っていないので、保険証以外での身分証で顔付きとなると何も無かったのもキッカケの1つです。

一時は外に働きに出れるようになることを目標にしていましたが、依然として病状が安定しないので、現在は求職はしていません。
ただ、在宅でもお金を稼ぐ方法はないかなーと言うことは考えてます。
実際自分にあるのは、PCに至ってはタイピング能力と一般人に毛が生えた程度のPCに対する知識、一般能力はこうやって文章を書き綴るのが趣味、という程度です。
資格自体もほぼ意味を持つ資格は無く、全日ワープロ1級と日商3級(微妙…)、デザイン検定(ワードでチラシ作るような資格)1級、英検3級、漢検2級。
ね?就活とかに役立つようなモノは無いし、自分自身をアピールできる資格がないんですよ。
ただ、在宅で何かしら稼ぐ術を見つけたとしても今度は『自己管理』っていう大難題が待っているので途方も無い挑戦ですね…。

一方で『心理カウンセラー』という資格に興味を持ってます。さすがに取得するには長い道のりと根気や努力ということが必要になってくるので、自分の病気のことや、人へのちょっとした助けとして使えるような心理学的なことを学べたら面白いかなって思っています。
資格を取りたいと思ってたりもしたんですが、結果的に自分の趣味の延長のような興味の持ち方だと思ったので、今は上記のように自分自身に役立つことを学びたいです。

色々書いてきましたが、本当に同じような病気を抱えながら懸命に生きている人、休職中でも何かをしている人、自分が病のことをTwitterで書くことで色んな方々と知り合うことができました。
これは、病気にならなければ決して結ばれなかった縁で、自分の中でもやもやとした感情を抱えたままでは知り得なかったことも知れました。
私には、そういう病識を広めたり、働き方を支援したり知ってもらう為の活動をしている方々のような発信力はありません。
でも、知り合った人を介して情報を得ること、私のことを必要としてる目の前の人とお話することはできます。
大それたことはできない自分でも、何か人のためにできれば、今日もそんな思いで生きています。

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