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虹ヶ咲幕府の成立と「お台場殿の12人」 【アニガサキ展開予想】

はじめに—優木せつ菜は何のために戦うのか?—

前回の記事では「2期6話で優木せつ菜による独裁政権が確立されたのではないか」という話題について、権力確立までの流れを検討した。

恐らく、これからは優木せつ菜による政権基盤の強化、拡大、(そしてあるいはその衰亡)を軸にストーリーが展開されるだろう。
そして、ストーリーをより詳細に予測するには、なぜ優木せつ菜がそれほどまでに権力闘争に明け暮れたのか、という問題について考える必要がある。

そもそも、彼女は生徒会長なのであって、虹ヶ咲学園の頂点に立つ存在だったことを忘れてはいけない。
それ以上の権力を必要としたのは、やはり相応の野望があるからだと見て然るべきだろう。
そしてこれまでの描写から、それは既存のスクールアイドル界に対する挑戦であり、「虹ヶ咲幕府」によるスクールアイドル新時代草創の野望なのではないかと見るのは、そう的外れでもないはずだ。


これまでの「虹ヶ咲幕府」!

旧同好会の滅亡と「力の論理」

アニメ虹ヶ咲学園1期で言及されたことだが、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は1期1話時点において、一度解散されている。
アニメで描かれるのは2代目スクールアイドル同好会だ(中須かすみによる亡命政権に正統性を認め、最初のスクールアイドル同好会が滅亡せず継続しているとする学説も存在するが、ここでは便宜上「旧同好会」と呼び分ける)。

ではなぜ旧同好会は解散してしまったのか
内部分裂や過労など様々な要因が唱えられているが、その本質はラブライブ全国大会出場、そして優勝を目指すあまり実力主義に陥ってしまったことだ。

ラブライブとは結局の所、力の論理が支配する世界であり、全国大会優勝校→全国大会出場校→ブロック予選出場校→地区予選敗退校という明確な序列が存在する世界だ。
そして、力の論理が支配する世界では、最強の者のみが勝者として総取りし、敗者には何も残らない(ラブライブ!無印劇場版で、μ's以外のスクールアイドルが全てバックダンサーとなっていたことは非常に示唆的な描写である)。
前二作では、主人公たちはストーリーの最後には優勝したが、もしも準優勝という結果だったらどうだっただろうか。それまでのストーリーがすべて実際のアニメと同じだったとしても、最後には何も残らなかったかもしれない。

負ければ、何も残らない。持つ者であるためには、勝者であるしかない。一度勝ったとしても、勝ち続けなければならない。
そのような世界は、辛く苦しい。
そう、優木せつ菜たち旧同好会は、ラブライブという世界の持つ「力の論理」に敗北したのだ。


高咲侑という"封建権力"の発見

ラブライブという世界秩序に敗れた旧同好会は解散し、優木せつ菜はスクールアイドルを辞める選択をした。これは、勝てなかったスクールアイドルの一般的な末路だろう。熱狂的な栄光に包まれるラブライブ優勝校と違い、そこに輝きは無い。

だがそこに、高咲侑が現れ、ラブライブ優勝という目標を一蹴した
これは現実社会に生きる我々から見ればそれほど突飛な発想ではないのだが、ラブライブ世界を生きるスクールアイドルにとってはコペルニクス的転回だっただろう(競争社会、資本主義社会に生きる我々が、生き辛さを感じつつも、流されるままにこの体制に包括されていることを思い起こされたい)。これを期に優木せつ菜は再起し、そして、前回の記事でも指摘したとおり、ここから彼女の活発な権力闘争が始まるのだから。

これ以降のスクールアイドル同好会の活動は、「初期虹ヶ咲幕府」と位置付けることができる。ファンのメタファとしての高咲侑を中心として、スクールアイドルは高咲侑に対し"トキメキ"を贈り、逆に高咲侑はスクールアイドルに対し"承認"と"ライブの場"を保障する。(図-1)
これは勝者総取りの「力の論理」とは明らかに異なる、いわば「共存の論理」だ。
しかしこの時にはまだ、小さな勢力でしかなかった。

図-1  初期虹ヶ咲幕府の構造はシンプルだ



スクールアイドルフェスティバル開催

優木せつ菜は、この制度が小さな渦のままであることを善しとしなかった。陰に陽に積極的に同好会を拡大し、ライブを開かせて知名度の向上を図った。
幕府首班・高咲侑がスクールアイドルフェスティバル(SIF)の開催を宣言した時にいくつもの学校が馳せ参じたのは、知名度の賜物だ。

スクールアイドルフェスティバルは同好会および優木せつ菜にとって、大きな意義を持つものだった。SIFは虹ヶ咲幕府の御恩と奉公の理念を形にしたものであり、同時に、SIF運営という校外権力が樹立されたのだ。

そして、このSIF運営というものが、初期虹ヶ咲幕府に対し決定的な変化をもたらす。
それまでは、いわばファンのメタファーとしての高咲侑が、"承認"と"ライブの場"を与える主役だった。しかしSIF運営という実体を持った組織が誕生し、実質的に"ライブの場"を与える存在となったのだ。
これはどういうことか。もちろん高咲侑は未だスクールアイドルに対し"承認"を与える権威はある。しかし考えてみれば当たり前なのだが、実質的に権力の源泉となっていたのは"ライブの場"を与える権限だったのだ。
ここにSIF運営というものが介入する以上、高咲侑はお飾りのトップとしてしか機能しなくなる。幕府機能の脱・人格化だ。(図-2)

図-2  SIF運営が権力関係を支配するようになる



優木せつ菜の権力掌握と「お台場殿の12人」

第一回SIFは成功裏に終わり、虹ヶ咲幕府の名は大いに高まった。第二回の開催が発表されない前から、多くのスクールアイドルが参加を申請したほどだ。これは言い換えれば、ラブライブの「力の論理」を嫌ってSIF運営との間に主従関係を結ぶアイドルの激増を意味する。
そして、第二回SIFを文化祭と「合同開催」にすることにより優木せつ菜がSIF運営を支配することとなったのだ。(前回記事参照)
つまり、現状、優木せつ菜が多くのスクールアイドルを支配していることになる。
もっとも、実力部隊として同好会メンバーも少なからず発言力を持っていることから、見込み加入メンバー含め、2期6話現在の体制を「お台場殿の12人」体制と呼んでもいいだろう。(図-3)

図-3 「お台場殿の12人」体制



展望: 「承久の乱」は回避可能か

忘れられぬ恨み

こうして優木せつ菜は幕府を掌握したわけだが、これまでの幕府の軌跡から、将来の展開を予測できることが分かるだろう。
まず、虹ヶ咲幕府はラブライブという「力の論理」に抗することが原点にある組織だ。虹ヶ咲幕府が、形骸化しながらも高咲侑を推戴する形式を取り続けていることからも分かる通り、かつて舐めた辛酸は未だ忘れていない


SIFの拡大と権威の向上

優木せつ菜にとってSIFと文化祭の「合同開催」の永続化が政権構造上必須であることからも、虹ヶ咲学園がスクールアイドルの聖地となっていくことは間違いない。
同時に、第1回から第2回で参加校が増えたことからも分かる通り、SIFの拡大も基調として避けられない。いわばラブライブからの「亡命者」だ。
そして、参加校が増えるにつれて、SIFの大会としての権威も向上していく。


ラブライブVS虹ヶ咲幕府

こうして、アニガサキ2期終盤において「力の論理」のラブライブと、「共存の論理」のSIFが並び立つことになるのは、まず間違いないはずだ。
そして、両者が異なった論理に依って立つ世界であることは忘れてはならない。現状ではやはり両者による最終決戦がアニガサキ2期のクライマックスと考えるのが妥当だろう。


時代の徒花

ラブライブと虹ヶ咲幕府、最終的にどちらが勝つのか。
ラブライブ!シリーズでは、主人公たちは最終的には勝利してきた。が、それは力の論理の支配するラブライブという大会をテーマにしていたからだ。アニガサキは、その論理を捨てたストーリーになっている。
そして、このアニメはあくまでも「ラブライブ!シリーズの外伝作品」であり、シリーズはこれからも続くことが確定している
そのこともまた、忘れてはならない。


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