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会社の代表という件について

2021年7月にUchorlight Kenya Limitedという会社がケニアにできた。本当にいろんな人と思いと縁とが詰まった会社だと思っている。僕はその会社の代表を務めることになった。このnoteではその背景および自己紹介をメインに書くことにする。本noteは自分のお世話になっている人・これからお世話になりうる人へのお手紙的な意味合いと、やりたいことがぼんやりとある方への僅かばかりの励ましになればいいなと思う意味合いを持って綴りたい。
あくまで個人のnoteで所属先や会社PR的な意味で書くnoteではないことをここで断っておく。最初に自己紹介を入れているが興味のない方はすっ飛ばして会社設立のところから読んでいただたい。最後に採用についても触れているので、こちらも読んでいただけると嬉しい。文体は可能な限り単調になっていることはご容赦頂きたい。冒頭最後になるが、現在代表を務めているUnchorlight Kenya Limited (以下UNL KE)という会社は自分の会社ではない。所属先のSKLTと、SKLTとUFの合弁会社が株主となっている会社であり、現在は出向という形で代表を務めている。この辺は僕個人の知人に勘違いされるので、ここで断っておく。


自己紹介

プライベート編

福岡県の遠賀郡という田んぼと山と川みたいな町で育ち、地元の公立校から大学で東京へという田舎者の典型例。現在はケニアにて息子共と高校同級生の妻含め4人暮らし。個人のカテゴリとしては一人っ子のB型という格別なものを持っている。

大学で南アフリカにあるWITS大学というマンデラさん(南アの黒人初の大統領)の卒業校に留学に行ったことをきっかけに、アフリカを自分の人生の舞台にすると勝手に決めた。紆余曲折ということもないが、自分の生き方に正直生きようとして、2021年に10年以上かかってようやく今の場所(ナイロビ)に住み着き、今このnoteを書いている。

大学は創価大学という私立大学で、実は日本で唯一スワヒリ語スピーチコンテストをやっているようなアフリカには非常に関係の深い大学で学んだが、入学前は”アフリカに行きたい”という思いはなかった。どうぶつ奇想天外でサバンナを駆ける動物にときめいていたり、ぼんやり”貧困”のイメージを抱いていただけだ。今後どこかで書こうと思うが本当にアフリカと繋がれたことは、偶然という名の縁でしかなかった。


仕事編

社会人になって日産自動車という会社でバイヤーを5年ほどやった。バイヤーというと一般的には百貨店やセレクトショップのバイヤーのイメージで、商品を自分のセンスで買い付けに行くと思われるが、製造業におけるバイヤーのそれは全く異なり、メイン業務は年間数億~数百億に及ぶ担当部品の購入先をグローバルに選ぶ・その戦略を立てるというものである。その後半年ほど時間を空けて、スカイライトコンサルティング(以下SKLT)という日系コンサルファームにつとめ、その間にUNCOVERED FUND(以下UF)というアフリカメインに投資を行うVCへ出向。出向が終わり、SKLTとUFで合弁を立ち上げ、その子会社のUnchorlight Kenya Limitedの代表として今に至る。


会社設立について

設立前夜

現在のケニアで代表を務めている会社ができるまでには、足掛け3年の歳月を要した。この会社を作るためだけに時間を使ったわけではないが、僕がSKLT在籍時に「アフリカで事業をしたい」と本格的に動き始めて3年という意味だ。SKLTでアフリカ行を模索した1年と、実際にケニアに行っていた時期を含めた1年と、現地に法人を立てるために準備をした1年。それぞれ目的や活動内容は異なるが、今となっては必要な3年だったと感じている。

SKLTでは、10年以上前から起業家支援プログラムを行っており(現在休止中)、2018年のプログラム採択案件がアフリカに纏わるものだった。当時入社2年目だったが、プログラム担当者である小川が打合せの場に呼んでくれた。恐らく社内で「アフリカ!!」って言っている奴がいる程度に僕のことを知ってくれていたのだろうと思う。この打合せには、採択案のブラッシュアップ相談役としてUNCOVERED FUNDの拓摩(寺久保氏)、Share Xの亮さん(中川氏)が参加していた。もちろん当日のトピックは今後のビジネスを検討するための場で、僕はただその場で話を聞かせてもらうだけの場だった。

「寺久保さんのところでちょっと勉強してくれば?」 打合せも終わり、談話モードの中、当日の議題とは全く関係なく亮さんから発せられた一言をきっかけとして、当時はまだ会社設立前の拓摩と一緒にケニアで働くことになった。確か2019年の2月頃だったと記憶しており、その頃はまだコンサルタントとして客先に常駐していた。そこから約半年を経て人生初のケニアの地を踏むことになる。以後亮さんには折に触れて気にかけて頂き、今でもいきなり電話くれて「おう!連司、元気?」と励ましてくれる。起業家・人生の先輩として、心の根っこから人思いの優しい兄貴分としてとても慕っている。

当たり前だが会社員として働きながら、売上が立つわけでも、現地法人があるわけでもないケニアに「行きたいっす!」って気軽行ける訳ではない。ただ有難いことにSKLTでは「これをしたい」「あれをしたい」というような提案を経営層に相談することができる環境があった。実はこの件より以前にも、何度も経営会議にアフリカに纏わる提案を持っていき、「お前の旅行に払う金はねぇ」と断られたことは1度、2度ではない。また当時はSKLTで行っていた海外事業がそれほど上手く行ってなかったこともあり、若干(相当?)厳しい雰囲気を感じていた。だが、この機会を逃すとSKLTではもうアフリカ行きは無いだろうという勝手な思い込みを糧に、前述の小川をはじめ相談に乗ってくれる方々と作戦会議を続けながら、かつ色んな既成事実を作りながらなんとか決裁をもらうことが出来た。

既成事実というのは、"こんなに頑張ってるよ感"を如何に作るかが大事だということだ。当時は2019年TICAD7のタイミングでもあり、日本ではプチアフリカブームが来ていたり、アフリカを取り扱うオンラインサロンなども出来きていた。凡さん(IC Net 横山さん)が運営するAfrica QuestというWebメディアで邦さん(Amoeba X 河野さん)というケニアの起業家の方のインタビューが組まれ、その記事の執筆をさせて頂く機会をもらった。TICAD関連の再度イベントSKLTで協賛し、会場提供などをさせていただいたが、その辺の内容をダメ押しで提案に抱き合わせ、「マジでこんなにアフリカに思い持ってます。なので絶対タダでは帰ってきません」と経営陣に熱弁した。後から聞いた話では、アフリカで生きていく覚悟はあるのかという質問に「骨を埋めるつもりです」という答えが、当時の経営陣には刺さったとのこと。いつも論理性や市場性をバキバキに考えるコンサルタントでも、やはり"思い”というのはまた別次元で説得力を持つものなのかもしれない。

Africa Quest主催TICADサイドイベント時の様子@SKLT


第一ケニア期|調査と営業 (2019年9月-2020年7月)

2019年9月~2020年2月の約半年間、ケニアをベースにルワンダや南アを回りながら、UFの立ち上げや現地スタートアップ調査、新規事業の立ち上げ構想などを行った。役所をたらい回しにされたり、スタートアップを訪問させてもらったり等の当時の活動は割愛するが、UFとSKLTで共同事業の検討を一つの大きな話として進めていた。ある程度形になり、営業資料なども作り動き出したのはちょうど2月頃。人生初めての営業でもあったが、営業リスト作って、アポ取して、打ち合わせをして、、、その頃はまだ構想段階の若干柔らかいものを提案して意見を頂くというようなものだったが、日系企業大手の方からも結構な好感触を頂いていた。年間の売り上げ・コストをはじめ収支計画も作り、次はあらためて内部で資金繰り検討を本格化する直前だった。

2020年初頭、世界中が迫りくる新しいウイルスを知り始めたころ、日本のメディアを通じて良からぬ雰囲気を感じていた。ご多分に漏れず、ここまでの事態になるとは想定しておらず、2020年頭でも無邪気にいろんな計画を立てていた。2月には拓摩と一緒に再度南アへ赴き、南アでの事業検討を進める計画で、その後南アからケニアに戻り、そこで再度1ヶ月ほど滞在して日本に一時帰国、事業を本格的に進める予定だった。ただコロナ情勢がみるみる悪化し、一度出国するともはやケニア国境封鎖とかで戻れなくリスクが出始めた。そのため南アへのチケットは破棄する形で、日本へ帰国することになる。当時は数ヶ月くらいすれば収まるだろうとたかを括って、ケニアに荷物一式を残したまま身軽に帰国した。そこには会社の予備PCを置いてきてしまって、もちろん役員から叱られた。ご存知の通り、その後は日本のみならず世界中で一定期間出張などの動きが止まり、当時計画していたものは全てパーになった。

帰国後もはやアフリカ事業検討はいったん白紙に戻る話になったが、何とか最後に3か月の営業活動の時間をもらった。経営陣に「7月まで何とか頑張るから、もう少し待ってください。それでダメならきれいに諦めます。」と懇願し貰った猶予期間だった。何とかこの期間に少しでも動きを作りたいと思い足掻いてみたもの、どうしても環境がそれを許さなかった。営業してはステータスを”保留”、反応を”良好、ただ時期は検討”というように営業リストの更新を日々行いながら、毎日残りの日数を数えては悶々としつつ焦っていたことを鮮明に覚えている。ノルマなどがある職種に就かれているいる方は、成績が出ないときはきっと毎日この苦しみと戦ってるんだろうな、と勝手に自分を重ねていた。今思い返しても、ちょっと胸が苦しくなる。

当時作っていた資料を見返すと、なかなか荒い。ただ思いが乗っていたことは間違いなく、実力不足ながらも自分の力を何とか振り絞っていたこと、その限界を見て取れる。ただやはりビジネスをやるには”思い”だけでは駄目で、”角度”も大切だとつくづく痛感した。角度というのは、ここではタイミングやその他の環境という意味だ。実力はもちろん必要になるし、僕自身の力不足は否めないが、振り返ると人には恵まれることが多く、人生を通じて自分の実力不足はいつも周囲の誰かに支えて頂いてきた。結局さんざん営業をした末にどうしても案件にすることが出来ず、7月末を迎え最終的に経営陣に白旗を上げた。「どうしてもできませんでした。一旦これでSKLTでのアフリカ事業検討は引き下がります。」と。とても鮮明に覚えているのは、会議中に「はい、了解。」と何の咎めもなく、終わったこと。コンサルワークで売り上げを立てない人間に給与を払いながら、かつアフリカでのコストを考えると、相当額を投資しているにも関わらず。いろんな意味で”投資”とはこういうことかと思った。会議で報告を終えた後、いわゆる虚無感というものを感じた。「あぁこれが噂に聞くやつか」と。

コロナを知る由もない拓摩と二人@南ア


法人立ち上げ準備期 (2020年8月~2021年7月)

確か8月だったと思うが、拓摩から誘われて池袋の喫茶店に向かった。Hondaの方との壁打ち的な事業検討の場で、そこにいたのは向原さんという方だった。実は向原さんとはケニア滞在時に一度一緒に食事をさせて頂いた機会があったが、それ以来の再会だった。向原さんはもともとHRC(バイクレースの長年の王者)のエンジン設計出身のエンジニアだが、2018年から新規事業を立ち上げて、当時は試験的の位置づけでケニアで事業を回されていた。拓摩はその事業の相談・サポートを以前から行っており、その進捗共有をメインとした話し合いだった。

喫茶店で盛り上がり、そのままの流れでバーに行った。話の中で、今後Hondaとして事業化していく上での現地でのパートナー検討の話題になった。向原さんとしては会社名とか企業規模とか関係なく、本当に信頼できる人と一緒にビジネスをしたいということで、拓摩にその相談が来た。当時拓摩のUFではやっとファンドレイズクローズするかしないかというようなステータスで、拓摩個人としてではなくVCとしては投資活動も始まっていなかった時期だ。それでも向原さんはHondaという看板を下げずに、拓摩に対して「寺久保さんと仕事がしたい」という話を持ち掛けた。大企業の中でこれができることにも驚いたし、そういう関係の二人を見て素敵だなと思った。

ただ拓摩もファンド立ち上げ中真っ只中でリソースに余裕があるわけでもなく、また資金力も十分ではなかった。そこで改めてUFとSKLTの共同事業で、ホンダとのパートナーシップ検討を始めた。自分自身のバックグラウンドとしても事業企画などにいたわけでもなく、新規事業の立ち上げを経験したこともなく、そこで初めてJV(Joint Venture/合弁事業)を興し、大企業とパートナーシップを検討する、なんてことは当たり前だが全く手探りだ。コンサルファームでは細かくファイルのver管理を行うのだが、一つの資料当たり20回以上の修正を掛けながら、SKLT内経営層に何度も相談・決裁承認を持ち掛けた。僕一人の力ではどうにもならない点も多々あり、前述の小川をはじめ社内で数人のサポート体制を敷いてもらった。

並行してホンダとのパートナーシップ検討は、向原さんだけではなく、営業、地域担当等いわゆる大企業のマトリクス組織の中で多くの関係者の方との調整を要した。ホンダ、UF、SKLT3社での公式なMeetingも数えきれないほど行い、向原さん、拓摩含め3人でZoomで相談したり、何度となく作戦会議を行ってきた。特に向原さんとは夜中に電話しては、どうやってこの事業を進めていくかということを語りまくった。夜中と言っても12時とかではなく、2時、3時まで話して「明日もまた仕事だし、寝ようか」なんて会話は1度や2度ではない。でも単に事業を進める話をプロジェクト管理的な視点だけでやっていたら、たぶんとっくに諦めていたと思う。それでも何とか踏ん張り続けられたのは、いつも「誰のためのサービスなんだっけ?」「何のためにやるんだっけ?」という点を確認し、進みたいベクトルを確認して来れたからだと思う。

各種調整は本当に難航した。僕も新卒で日産に勤めていたり、コンサルでクライアント企業の中での決裁プロセスを見てきたりしたので、各種決裁が簡単でないことはわかっていたつもりだったが、通常業務で必要とされる決裁と今回の新規事業のそれとではまた違った難しさがあった。それはパートナーシップ検討もしかり、現地に赴任するという調整もしかり。詳細は割愛するが、何度となく「もう無理かもしれない」って諦めかけそうになった。誰も悪くないし、意図的に止めようとしている人なんていないけど、どうしても上手くいかないことが何度もあった。実はこの頃人生で初めて体調不良で少しだけ休暇をもらった。事業やる人間が体調崩してどうするんだって自分に言い聞かせてたけど、どうしてもだめだった。

ただ幸いなことに向原さん、拓摩、SKLTのメンバーをはじめ、多くの関係者の方のお陰で、話は何とか進んでいった。もはや具体的な議論の内容は覚えていないが、毎日みんなが前に進めようと知恵を絞り、調整をし、アウトプットを出す、そしてまた壁にぶつかりながらこのサイクルを繰り返すの日々だった。出国直前までホントに行けるのか、立ち上げられるのか怪しく、そばで見ている妻も心配してくれながらヒヤヒヤしたが、どうにかこぎつけた。

リリースは年末と、立ち上げ時期と前後するが、以下が事業開始時のリリース。


第二ケニア期|事業開始 (2021年9月~今[2022年1月])

去る2021年8月5日、約1年半ぶりにナイロビに降り立った。1:30am。到着時はまだ外出規制(22:00-5:00)があったため、一泊目はホテルに泊まった。空港を出てすぐに、流しタクシーのおっさんに「待ってたよ!」って声かけられて、「いや待ってもらってねーよ」って返し、そそくさとホテルのバスに乗り込む。日々変わる規制の中で、正直ホントに入国できるのだろうかという懸念もあったので、ホテルに着いたときには通常とは全く違う疲れがどっと押し寄せた。

翌日から早速現地法人の口座開設、オフィス設置、各種役所手続き、現地スタッフなどを黙々と、というよりもガチャガチャに行った。サービスインまで2カ月弱という超タイトのスケジュールの中、窓口をたらい回しにされる、数時間待たされる、指示された書類が違うのなどの"TIA(This is Africa)"な環境を潜り抜け、直前にやっと決まったローカルスタッフ3名と9月1日に空っぽのオフィスに入った。そこから掃除をしたり、中古家具屋(路面店)で中古家具買ったりと、自分たちのこれからの根城づくりを行った。

立ち上げタイミングには、ホンダからも向原さんに加え岩田さんという当初からお世話になっている方もサポートで出張に来ていただき、またSKLTからも取締役が視察に来てくれていた。サービスイン直前までバイクが正規登録されていない(政府がナンバープレートをちゃんと発行しない)とか、GPSが上手く作動しないとか、もうバタバタしまくったが何とか立ち上げることが出来た。振り返ると、ホントに良く立ち上がったなと思う。もうこれは一重に向原さん・岩田さんはもちろんのこと、現地でサポートしてくれている松本さん(Maxy/ホンダ代理店)や、日本にいる拓摩やホンダ、SKLTメンバー、そして何より現地スタッフのお陰でしかない。

以下はサービス紹介ビデオ。雰囲気は感じ取っていただけると思う。


最後に

きっかけはシンプルに人

今の自分があるのは本当に多くの人の支え("支え”というのもおこがましい)と理解あってのことだと自覚している。もう書き連ねたらきりがないほどの人のお陰で今がある。ただ本筋の会社の代表となるきっかけとしては、Share Xの亮さん、UFの拓摩、Hondaの向原さん、SKLTでお世話になっている先輩方および経営者の方々、アフリカで戦いながらいろんな手助けをしてくれた方々。100%以上で人、当人の力はほぼ無。断言。一人ひとりには本noteでは深くは触れなかったが、個別で1本長編noteを作りたいくらいだ。なのでここではまずは御礼だけ述べて終わりたい。本当にありがとうございました、そしていつも陰に陽にありがとうございます。御礼はシンプルに、感謝の気持ちは行動で表すもの。


自分を振り返って

本noteでお分かりいただけたと思うが、僕自身がすごいスキルを持っていたり、何か凄い実績を提げて代表になったわけではない。学生時代に縁したアフリカに、勝手に使命感を感じて「いつかアフリカの人の為になる事をしたい」と青く念じ続けてきた結果がこれだ。そしてその途中で出会い、お世話になってきた・なっている方々、ご迷惑を掛けてきた・掛けている方々の支えと縁が重なり、今の立場にいる。周囲の方が相談に乗ってくれるおかげで、自分の不足している視点や力を補ってくれている。現地スタッフにも恵まれている。なんとかサービス立ち上げ4ヶ月経過しているがほぼ計画通りに運営できているのは、ユーザーであるバイクタクシーのライダーの方と日々細やかなコミュニケーションをとってくれている営業、高い品質でバイクを最終完成品に仕立ててくれるメカニック、膨大な事務処理にも対応してくれている事務スタッフの日々の努力の結果だ。僕は、このように想いに集ってくれる仲間の力を最大限に発揮してもらい、ユーザーの方が一人でもこのサービスを使えてよかったと思い、実際に生活が変わり、そして人生が変わるお手伝いを、彼らが国を社会を変えるお手伝いを、自分の命を賭して(というと大袈裟かもしれないが)やり遂げたい。

ACCELERATE THE POWER OF THE COUNTRY

これは僕らのサービスのタグライン。一人一人のライダー(ユーザー)が国の力であり、彼らは国を変える力を持っていると信じている。そんな力をAccelerateできるように毎日悩み、苦しみ、たまに喜びながら、日々を送っている。現状ではやっとオペレーションが建てついてきたような状況で、ある程度の市場の解像度が上がってきた。これからさらにサービスの”質”に磨きを掛けつつ、”量”を作りに行く段階に差し掛かってきた。


事業・採用説明会

2022年1月28日(金) 18:00-19:00[日本時間]に、事業・採用説明会を行う予定です。本noteではほとんど触れなかった事業内容を含め、採用ポジションや実業務なども共有させていただこうと思います。ご興味のある方は是非ご参加いただければと思いますし、お知り合いで興味のありそうな方に共有いただけると嬉しいです。「海外での就労経験を積みたい」「自分の実力を試してみたい」「代表頼りなさそうだから私が代わりに事業回してやる」等、動機は特段気にしません。ただ、どのポジションについても現地ユーザーと向き合い、その方々に思いを馳せられる心構えのある方と一緒に働きたいと思っています。

冒頭でも記載したが、僕の人生は縁でできている。これまで出会った人も素敵な人ばかりだし、これから素敵な人たちと出会えるんだと確信して、自分の人生にワクワクしている。自分に取り柄がないというと代表としてどうなんだとは思うが、一つ自信があるのは、この”縁に恵まれる”ということぐらいだろうか。一緒に働いてもらう人にとっても、その人の人生がどんな形であれ最良の方向に進むようにお手伝いできることはしたいと常に思っている。

学生時代から「アフリカ、アフリカ」言っていた僕が、かつ学生時代は「コンサルなんて目に見えない仕事は」みたいな感じで就職先としても全く考えていなかった自分が、コンサル会社を通じてアフリカに行くとは10年前は全く考えていなかった。ただ、日産にいた時からデスクトップ画面は南アの国旗、昼飯時にも上司にアフリカの鉱山のニュースの話をしたり、多分ずっと思いは変わらなかったと思う。恥ずかしかったので特段SNS等でも共有などはしてないが、2018年に会社の採用ページに謎に下っ端クラスの中で紹介頂いた。特段パフォーマンスが良かったこともなく、社歴も2年目でなんで僕なんだろうと思っていた。人生よくわからないことばかりだが、それを楽しんでいける自分でいたいと思う。このnoteを読んでくださった方にとって少しでも励みになれば嬉しいし、人生の一部にUnchorlight Kenyaを検討してもらえることももちろん望んでいる。

書き始めた時に思っていた以上に長くなってしまった。今後はもっと事業内容や経営及び運営の中での感じることを綴っていきたい。そして最後に家族をはじめいつも支えてくれる方々への感謝を常に忘れず、明日からも仲間たちと更なるサービス改善・事業づくりに励みたいと思う。


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