おひとりさま娘の嗜み〜服編〜

人間関係で頭がぐるぐるになっていた私は、気づけば靴下屋にいた。レディースしか扱わないチェーンの靴下屋の品物は似たような物ばかりだったが、奇妙なことにその店でかかっているのはABBAのmoney money moneyであった。世の中金がすべてだ、とご丁寧に教えてくれているのであろうか。はたまた、お金持ちが全部一気に買ってくれたら楽なのに、という店側の悲痛な叫びであろうか。

金が全て。服を買うことにはそれが当てはまるとしても、服を選ぶことには一切当てはまらないように思う。その日の自分に似合う服は、その日の自分が選ぶしかない。知らない人と外食に行く時。友人とボーリングに行く時。久々に両親に会う時。製図の課題で徹夜する時。その全ての瞬間で自分に合う服を選びたい。そしてそれを十数着だけで回せることこそが真の実力と言えるのだろう。
私はまだまだ駆け出しの小娘だ。いわゆる服に着られる、が起こってしまうから、ボーイッシュには手を出せない。完全に背伸び。しかたなく"女の子らしい"から探ることにしている。ファッション誌をみていると、世の流行は可愛い系とキレイ系を行ったり来たりだ。全ての局面でその両方を半分は自覚的に、半分は無自覚にこなす事こそが私にとっての"女の子らしい"の終着点である。そして、これは流行が提示してくるさまざまな様式の中で見出していくのが良い。今だったらゆるっとした形と、落ち着いたパステルカラーが流行っている。その統一された様式の物の中で、最も自分の心にフィットするもの選ぶ。多くの店の陳列棚に同系統が並べられるからこそ、流行りが無視されて、その奥が見えてくるのだ。


自分の心にフィットする服。私は服の趣味が確実に変わった。今までは出来るだけ自分が軽く都合の良い女に見え、かつ自分でかわいいと思えるものをお金の範囲内で探していた。忙しいときはテキトーな部屋着みたいなんでいい。これはメイクも同じだった。ただ、最近なんだか変わってしまった。ミニスカートとかフリルとかキラキラとかは着てみたいと思うし、似合うだろうけれど、買いたいとはもはや思わない。出会う相手に圧迫感を与えるし、着心地も悪い。それに私が日常で経験する場にそぐわない。人からの目線をもっと居心地がいいように誘導したい。少し守るべきものがあることを知ったから、派手でかわいいものよりも寡黙で美しいものを求めるようになった。かわいいとキレイの両方と言ったが、そのバランスは自分自身がどうみられたいか、自分自身をどう見ているかで異なっていく。選ぶときは会う可能性がある限りの人とその時の自分の振る舞いを思い浮かべ、そのバランスを考える。そして、これだと思う1着を試着するのだ。最後に、油断してはいけないことがある。それはお手入れ。洗濯方法や服の持ちなど何もわからない私は必ず店員さんに聞く。そうして学んでいく。母が必ず試着しろと言ったのには意味があるのだ。やはり母は偉大である。先輩の背中が眩しいよ。

衣食住というが、今まで衣の大切さがいまいち分からなかった。わたしの今の結論はこうだ。直接関わる環境と相手から、自分を守り、そして相手をもてなす為の最も身近な媒介物。だから選ぶときには、相手と私にとって一番いい塩梅のものを考え続ける必要がある。買い出しはその準備である。関わる一人一人に合わせたオーダーメイドの自分を作り続けるための、楽しい秘密。秘密の努力。それが私にとっての服選びである。

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