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我が子の不登校に私が感じたこと、実行したことの続き

前回は 長女の不登校の時のお話を書きました。今回は次女の不登校の時のお話です。
次女は、お姉ちゃんが不登校の時、小学校低学年でした。次女はその頃 とても楽しそうに学校に通っていたのでお姉ちゃんの事を ‘’お姉ちゃんは、学校に何で行かないのかな?‘’ と家にいるお姉ちゃんを見ていて不思議そうな感じでした。
その次女も中学校二年生の夏休みに入る前くらいから学校に行けなくなりました。
          原因は、『いじめ』 でした。
中学校は毎年クラス替えがあり、二年生になったクラスには小学校からの仲の良いメンバーと離れてしまい新しくお友達が出来ました。
ただそのお友達の話を次女から聞いていると、「えっ!」と思うことがあり、大丈夫かな、お友達としてこのまま付き合っていて と思う事がありました。親が子供の友達関係に口出しはしてはいけないと教えてもらっていたので次女の事を見守ることにしました。
それは次女のクラスで一番仲良くしてくれている子が、お母さんに お母さんの感情でよくぶたれたり、部屋からベランダに出されたりするという話を聞くようになってきました。
親の感情で子供に八つ当たりをしたり暴力をふるうことが日常にあると子供の心の成長を歪めて行きます。
1学期の終わりころ、学校に行きたくないと言い出したので原因を聞くとそのお友達が次女にまず無視をし始め、その子がよそのクラスに居る仲良しグループの子達と一緒に次女の姿を見ると嫌がらせを大きな声で言われたりするようになっていたと聞かされました。その子たちに何を言われても我慢をしていたようですが言葉は心を傷付ける暴力になります。限界が来たようです。後で聞いた話ですが いじめる子を次から次へと変えていくグループだったそうです。
私はその事情を知らなかったので、次女の方に何か嫌なことをされる原因があるのかとも思いました。
次女は、そのお友達を信じていたので彼女からいじめられたというショックが大きく、次女を追求する気にはなれませんでした。以前から聞いていた、いじめる子の親の子供への対応の悪さも気になっていたので、次女には学校を休ませ、私は学校の担任の先生に連絡を取り話を聞くことにしました。
先生から言われたことは、学年でも問題グループの子たちなので仲間外れにされて丁度良かったのではないですか と
はぁ~、何ですかその言い方は!と怒りそうになりましたが、私の家庭環境にも原因があったし、(丁度私ども夫婦関係に亀裂が入る事があったばかりの時でした) 私も精神的に不安定だったので、そういう時期にそういう友達との縁に次女が触れ 、こういう事態になったのだから、こちらばかりが被害者と言って騒ぎ立てるのもと思いましたが、事実を相手の親に伝えようと次女の了解を得て、お宅のお子さんにいじめを受けて学校に行けなくなりましたと事実を伝えました。
相手のお母さんは謝ったと思いますが私は怒りで、その時の電話でのやり取りが記憶に無いんです。今でも怒りが沸いてくるくらいなので。
学校には、ここから半年間お休みしていきました。
転校はしたくないと次女の意向でした。
次女が学校を休んでいた半年間、いじめた子たちは のうのうと学校に通っていました。
何でいじめられた子供が学校に通えず、いじめた子たちは 学校に通って
授業を受けられ、遠足も行けて 学校行事にも普通に参加できるのでしょう?
私は 悔しくて 悔しくて 
学校に行けなくて悲しんでいる我が子が可哀そうで
我が子は学校に行きたくても行けないんですと訴えたくて
毎週金曜日、仕事の帰り(フルタイムだったので夕方6時位でした)に
宿題とお手紙をもらいに担任の先生にお願いをして二学期から三学期の終わるまで担任の先生を職員室まで訪ねていきました。先生にお手紙の内容とか遠足へ参加できるかと色々な連絡もその時にしてもらいました。

遠足も学校の発表会も参加出来ませんでした。
中間、期末試験は別室で受けました。
その間、次女は、今のようにズームなどは無い時代なので
区の施設のフリースクールに通わせて次女が一人で行けると言うまで、
歩いて二人で通いました。
フリースクールでは、色々な事情で学校に通えない子が来ていました。
フリースクールの先生たちは、とても優しく子供たちの事に寄り添って接してくれました。
勉強は 学校と同じ内容を教えてはもらえなかったので 塾では追いつけないと思い公文に通わせ 国語、数学、英語の基本を勉強していきました。
公文でも不登校の事はお話して先生に次女のレベルに合わせて勉強を進めてもらいました。
そんな中、次女はフリースクールで色々な環境にあるお友達とかかわる中で、自分の環境よりもっと大変な環境に居るお友達がそこに通っていると感じたとフリースクールに通って何ヶ月か経った頃に私に話してくれました。
勉強では、公文の数学をやっていくうちに、小学校で習っていたはずの分数が苦手だったと判明し、そこを重点的に復習していたら、あんなにお休みしていたのに三学期の期末テストでは80点に近い点数を取っていたと思います。
よく頑張ったとすごく褒めました。
今でも涙が出てきます。
二年生最後の三学期の三者面談では、担任の先生に次女が 「学校に行きたかった」と涙ながらに自分の気持ちを言いました。
先生も次女が学校に行けなかった事を「力不足で申し訳なかった」と言ってくれました。私も「いじめている子が学校に行けているのに 次女が学校に行きたくても行けなかったのが悔しかった」とそのまま思っていることを伝えました。
私は先生にお願いしました。
「三年生のクラスにはこの子がキチンと学校に行けるクラスに入れてください」と。
私は三年生で学校に又通えないクラスだったら転校しても良いと思っていました。
幸い学年主任だった担任の先生は、三年生になった時はきちんとその要望を受けて下さり、小学校から仲の良いお友達を数人同じクラスにしてくれていました。クラスの雰囲気も悪くない感じのクラスでした。
担任の先生達は二年生からそのまま持ち上がり、次女の担任の先生はベテランの女性の先生でした。
三年生になり、環境も次女にとっては良くなり普通に学校に行けるようになりました。小学校からの仲の良いお友達が凄く次女を支えてくれて、そのお母さんたちも私によくしてくれました。本当に今でもその時の事を感謝しています。
三年生になってからすぐの三者面談で担任の先生の最初の言葉は、
「お母さん、ずっと学校に通われてましたよね、大変でしたね」でした。

私が学校へ通っていた時の気持ちを 見ててくれていた人 には届いていたと。
その担任の先生も次女の高校受験にはすごく協力してくれて、公立の高校を、学年推薦で受けることを承認してくれました。 学年推薦とは職員会議で学年の中から高校受験を筆記試験の前に面談と成績内申書で推薦試験が受けられる生徒を決めます。
推薦試験で合格すると筆記試験より早く合格が決まり、落ちても次の筆記試験をまた受験できるので、私は担任の先生に「二年生の時、不登校でしたが推薦試験を受ける資格がありますか」と聞きました。
先生は
「二年生の不登校は、関係なく三年生で頑張っていますから、推薦大丈夫ですよ」と担任の先生は言ってくれました。
希望の学校には内申点が足りませんでしたが先生が資料を調べ 
「前年度もう少し下の人が受けているので推薦受けてみましょう」と言ってくれました。
次女は推薦試験で受験をし無事に希望の高校に合格して入学できました。
合格発表の時は 
         「奇跡が起きた!」 
                    と 二人で 喜び合いました。

いじめた側に対してどんな対応を学校側が取ったのかは聞いていませんが、学校の先生方が、こちら側の要望を受け入れ三年生の時にキチンとフォローをしてくれたことには感謝しています。
いじめに対して学校側の対応は学校の方針によって、違うようです。
こちら側もどのような選択が子供にとって一番いい事なのかをよく子供と相談し子供が生きやすい環境を整えていく事が大事だと思います。

いじめがあり、不登校の経験を次女はしましたが、その経験で本人が得られたことは、通常学校に行っていてたら経験しない事でした。この中で私どもが気が付けたことは、日常家庭があり普通に心身ともに健康で生活出来ていることが当たり前ではない事、分数の事に気が付けたことも本当にのちに高校でも数学が得意になった未来を思うとラッキーなことでしたし、次女も人と付き合う距離感が学べ良いこともありました。私も次女と色々かかわることが出来ました。悪い事ばかりではありませんでした。
辛い経験でしたが、今元気に成人し社会人となり働けているので こうして何年か経ち 来月無事に成人式を迎える次女、
あの時 次女と私 頑張っていたんだと改めて思い出せることもきっと必然なことなのでしょう。

次女の高校受験の推薦試験は長女と同じ学校を受けました。
長女が高校にとても楽しそうに通っていたからが一番の理由でした。
次女と受験前に学校見学に行きました。学校見学では受験相談を設けてくれています。その時、次女の学力に不安があったので相談に行きました。
するとたまたま担当してくれたのは、校長先生でした。
長女は前年度に卒業をしていましたが生徒会長をしていたので
校長先生にお世話になっていたお礼を伝えると長女の事を良く頑張っていたと言ってもらいました。長女からは学校が楽しいと話は聞いていましたが、好きな学校でやりたいことをのびのびとやらせてもらっていたようです。
校長先生は次女に色々と聞いて下さり学校生活についてのお話を沢山聞かせてくれて、次女が不登校を経験し学力の不安と伝えると受験勉強のアドバイスもしてくれました。
校長先生のお人柄もわかりその高校の良さも改めて感じさせてもらえました。
次女も高校に入学後、生徒会に入り部活と友人に恵まれた学校の生活を楽しんでいました。

私の子供たちは二人共不登校になりましたが大切な何かが見つけられたようです。
不登校を経験してもお子さんに自信の持てる何かが、見つかると生き生きと生活が送れようになります。
そして、心の痛みのわかる優しい大人に成長出来ると思います。

何より不登校から立ち直れたのも、三つ子の魂百までを基本に恩師より教えてもらった子育てで 出来ない自分 と戦いながら出来る事を実行してきたことが大きいと思います。出来ていない部分があったから不登校になったのだと思います。そこは子供たちに申し訳なかったと反省しています。

社会で生きていく基本として必要なのは人間関係における信頼関係です。
以前に書きましたが
信頼関係とは、赤ちゃんが最初に触れるお母さんとの基本的信頼関係の構築が土台となります。土台がしっかりしていないと、もろく脆弱な精神となります。
いじめたお子さんもきっとこのお母さんとの信頼関係が脆弱でいつも心にお母さんへの不満と不安を抱えていたと思います。その不安感はどこから来ているのか解らず不満と共に心のイライラを いじめとして 吐き出していたのだと私は感じました。
是非、これからの子育てには、
三つ子の魂百まで精神で子育てを実行していっていただき
子供たちが精神的にも肉体的にも健全に成長出来る事を願います。

今、不登校に悩まれている方に少しでもこの記事が届くと良いなと思い書かせて戴きました。

いじめがなくなる事、みんなが自分も相手も尊い大切な存在だと思える
世の中になって欲しいと思います。

又、長くなりましたが最後まで読んで下さりありがとうございました。








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