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glitch/葬式[爆発オチなんてサイテー!!]

 じっと夜を耐える。俺は歯茎の形が変わるほど奥歯を噛み締めて、短く燃えてゆく紙巻き煙草を唇だけで咥えた。
隣で横たわるトリメが伸びをすると、何も身に纏っていない身体からくたびれたブランケットがずり落ちて、刺青に覆われた肉の付いていない太腿が月光のもとに曝け出された。青く沈んだそこに煙を吹きかけてやると、靄の中で朽ちていく死体のような青白さを浮かび上がらせる。俺は骨のくぼみのある太腿から目線を滑らせ、淡い輪郭の乳房をゆっくりと眺めながら、サイドテーブルの引き出しからパッケージに入ったバッツを取り出した。
 その音にトリメが緩慢な動作で身体を起こす。まるで眠りから目覚めた蝸牛のように重たい瞼にキスをしてやった。トリメは口づけを落とされた瞼を何度か瞬かせて、右目の眼帯の上から瞼を掻くような仕草をした。俺はそのあと一口だけ紙巻きを吸って、すぐに火を消した。
「エリアン、外で猫が喧嘩してる」
 ふと気づくと、窓の外では猫がおうおうと鳴き合い、互いの縄張りを主張し合っていた。その声で目を開いたトリメは慌てた様子で下着を履くと、シュミーズだけを纏い、カメラを首から下げた。
「猫を撮ってくるわ」
 そう言い残すと、トリメは寒さも気にせず薄着のまま飛び出して行った。しばらく紙巻きを吸いながら待っていると、二本目を嗜んだあたりで猫の声が止み、その数秒後にトリメが帰ってきた。
「黒猫と雑種の闘いよ」
 そう言いながら隣に腰掛けたトリメの身体は氷のように冷たくなっていて、俺はしばらく、そのよく冷えた少し硬さのある太腿に頭を凭れさせた。そうしてトリメに慈しむように頭を撫でられながら、この青白く冷たい太腿に生魚をぴたりと貼り付けて、それを舌で掬い取って食ってみたいと思った。
「ね、エリアン」
 ふと顔を上げると、トリメが物欲しそうな顔で俺を見下ろしている。甲虫の背中のように青く潤んだ瞳に、指を突っ込んでかき回してやりたいとも思った。

 俺は部屋の明かりを落とし、バッツの入ったパッケージを開いた。鼻先を独特の香りが擽って、心臓がどくどくと高鳴る。乱雑に取り出した渇いた藻の塊のようなものを三つに千切り、大きな塊に火を点け、もう二つの塊をお互いに貪り合った。
 安い酒で流し込まれた渇いた草が、腹の底でむくむくと膨らんでいくような熱さを感じる。じっとりと背中に汗をかきながら、俺とトリメは猫がお互いを睨み合い、毛を逆立てて威嚇し合う写真を何枚も眺めた。それはこれまでのどんな時間よりも幸福な瞬間だった。
 しばらくすると世界が大仰に主張を始めて、ヤニで黄ばんだ壁や、埃まみれの床や、ぐちゃぐちゃのシーツの全てが俺に語り掛け始める。俺は先刻で世界の全てを愛し尽くし、今はその全てに怯え、後悔するしかなかった。部屋の暗がりに潜んだ羊が、人間の顔で俺に話しかけてくる。その間抜け面に唾を吐きかけてやろうと勢い勇んで立ち上がると、ぐにゃりと柔らかい何かを踏んだ感触がした。
 見下ろすとトリメが地面に這いつくばって、眼帯をしていない方の目玉で何かを探すように視線を巡らせている。トリメは頭がおかしくなったようで、小さな声で何度も「水よ、水よ」と言いながら床を這っていた。俺はその痩せぎすの横っ腹を蹴飛ばして、ベッドサイドにあった玉虫色の水を飲んだ。牛脂のような味がして、喉が余計に渇いた。
「トリメ、見ろ朝だぞ」
 窓の外でまだ寝静まる街並みが薄ピンク色に染まっていく。空にはまだ貼り付いたような月が残っていて、最期の輝きと言わんばかりに一層白く光っている。その月を凝視すると、尾を引いた火球がいくつも月に向かって飛んでいくのが見えた。
「トリメ、綺麗だ、ほら」
 肩を抱くようにしてトリメを起こそうとすると、テーブルの上に転がっていたガラス灰皿で右頬をぶん殴られた。
頬の内側の肉が噛み締められた歯列に食い込み、柔らかい肉を頬張った時のような微かな爽快感にも似た、肉のほつれる感覚がした。鉄錆の味で腹が冷えていく。唾を飲みこもうとすると、萎びたとうもろこしの粒のような異物が舌の付け根に触れて、反射的にげぇっと吐き出した。灰皿を右手に握りながら床に転がり動かないトリメの傍に吐き出されたそれは、赤い唾液に包まれた俺の奥歯だった。
暗い床の上に落ちた奥歯を拾うと、股間の辺りが熱を持って膨らんだ。赤錆色の唾液のすぐ傍で、ぐったりと四肢を投げ出すトリメのシュミーズから突き出された生足が、ヨーロッパ絵画の裸婦像のように妙に艶めかしく映った。
 何やら呻いているトリメの太腿に彫られた刺青をなぞって、びかびか光るその文字列に舌を這わせた。舌先で感じるトリメの身体は甘く溶けかけている。視界の中で身悶えるトリメの股座を想像して、俺は舌先だけで絶頂しようとした。しかし、右手の中に握られた奥歯が蠢き、俺の掌を内側から押し退けて飛び出そうと暴れ出した。
 俺は脳に上がりかけた血流を逆流させられた怒りに任せて、奥歯を外へ放り出そうと窓を押し開いた。途端に冷えた夜風が部屋いっぱいに吹き込んで、天井にどんよりと溜まっていた煙を外へと攫っていく。まるで春一番のようなその爽やかさに、不意に俺はトリメを振り返った。トリメは最初に俺を灰皿でぶん殴った姿のまま、床に抜け殻のように落ちているだけだった。
俺は右手の中の奥歯をじっと見つめて、灰皿で俺を殴ったのがトリメなのか、トリメを灰皿で殴ったのが俺なのか、さっぱり分からなくなった。
 街並みは徐々に朝へと変わっていく。俺はとてつもない恐怖のようなものに襲われて、裸足のまま慌てて部屋を飛び出した。明朝は炎のように俺へと迫ってくる。訳も分からぬまま俺は抜け落ちた奥歯を空に掲げ、朝焼けを切り裂くように冷たく尖るエナメルの、血肉のこびり付いた裏側を見た。じゅくじゅくした血の塊が、夜明けの空にしつこく残る月光に照らされて、赤褐色の光を放つ。
「起爆だッ」
 咄嗟にそう叫ぶ。奥歯のあった位置にぽっかり空いた穴から血が噴き出して、唾と共に唇を濡らしながら飛び散った。
艶々と発光するかつて身体の一部だったものが、空中に放り出された頭蓋のように見える。とても愉快で、俺は舌が渇くほど笑った。その声に全身が震えて、真冬だというのに額を汗が伝う。
 視界の真ん中で徐々に歪んでいく白い輝きが、閃光のように光を放っていく。恐ろし気な月の光を押し退けた朝焼けがエナメルの表面を撫でる頃、この奥歯を起点に世界がすべて爆発するだろう。そう予感して朝の光に飲み込まれていく街を見ながら、俺は雄叫びのような叫び声を上げた。脳が締め付けられ、血管が何本も破裂する音を聴きながら、この音でトリメが起きてくれればいいと思った。

10人の作家による爆発オチ小説を10篇収録
《収録作品》
1.「渺茫の星園」 鳩
2.「言わぬが花」 二歩
3.「急速決闘セクシーショット」 ひづみ
4.「つがい」 カルノタウルス
5.「僕が潰しました」 ムヒ
6.「パクチート・グミガスキーの復讐」 パクチート・グミガスキー
7.「glitch」 葬式
8.「休日」 静流
9.「コーポ花園の憂鬱」 茉莉花ちゃん
10.「埖夫」 元澤一樹
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◆10篇の爆発オチ小説を収録 全44P
◆商品サイズ 中綴じ製本(A5)
◆2021年発行

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