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音大卒が音楽を仕事にしたら思いがけない落とし穴にハマった話

こんにちは!私はこちらでは珍しい作曲科出身で、現在はソルフェージュ講師を経て、テレビ番組用のBGM制作の会社で音楽制作をしています。
ここでは主に私が「音楽を仕事にしてみた」時に起こった思いがけない落とし穴について書いてみました。
どのような形でも自身が納得する形で、少しでも長く音楽に携われたら・・という思いで書きました。

夢は「作曲で食っていくこと」

大学、大学院と作曲専攻だった私は「作曲で食えるようになる!」を目標に日々勉強に励んでおりました。とは言いつつ現代音楽もかなり深く学び、そのために海外にセミナーも行ったり、目一杯勉強させてもらいました。
ただ並行して将来食うに困らなそうなスキル、資格を得るために色々と手を出して、その一貫で始めたDTM(パソコンで作曲すること)で現在は職を得ている状態です。(私の時代はクラシック系音大卒でDTMもやっている人は珍しかったと思います。)

ある日夢が叶う

ソルフェージュ講師の職を経て、ある日とある企業に「音楽制作」として雇ってもらえることになりました。憧れの会社員生活!
最初の1年はとっても楽しかったのです。自身がやりたい音楽制作でお金がもらえて、会社の先輩や上司にタダで(むしろお金をもらって)スキルを教えてもらって、しかも会社から帰ってきたらドラマをリアムタイムで観ることができる時間の余裕・・・!
(音大生にとっては録画でCM飛ばさずにドラマを観る生活って憧れではないでしょうか?笑)

と思っていたのですが、2年目から何かがおかしくなってくるのです。

「作曲」には2種類ある・・?

私は、ただ作曲ができていれば幸せだと思っていました。
クライアントに喜んでもらえますし、コンサートでは届けられない人数の方に音楽を聴いてもらうことができます。そのためにずっと努力してきたんだと思っていました。
しかしながら、何かが、毎日何かがおかしいのです。
仕事でも色々と大変だった時期ではありますが、それ以上に「あれ、私、なんのために生きてるんだっけ・・?」的な、意味の分からない空虚感に襲われたのです。こんなことは初めてでした。

あ、そうだ、私「作曲」してない・・

無意識だったのですが私は「作曲」と「音楽制作」という言葉を使い分けていたのです。

私にとって「音楽制作」というのは、クライアントワーク。
自身が思う曲、というよりは商品として、クライアントの意向に沿った音楽を届けることでした。
そして「作曲」というのは
自身と向き合って音楽を作り出すことでした。

その二つは、やっている行為自体は同じでも、まるで違うことです。
向き合う相手が全く違います。
クライアントなのか、私自身なのか。
結果的に同じ音楽が出てくることになっても、目的と手段が違えば、それらは全く違うものです。

クライアントと向き合い続けた結果

私はクライアントと向き合い続けた結果、
自分の音楽が見えなくなっていたのです。

「仕事」として音楽制作をする訳ですから、利益を出すためにはお金を出していただくクライアントに「よしこれ!」と思っていただくほかにありません。ただクライアントに「よしこれ!」と思っていただくために、

自分の音楽を曲げることも、多々あります。

それが私にとっては、想像以上のストレスとなっていたのです。

というのも、
音大では「自分と向き合うこと」を徹底的に鍛えられます。

その1音にどんな意味があるのか
自分は何を表現したいのか

「アーティストたれ」として教育された私たちは、当たり前のように内省し、トライアンドエラーを繰り返しながら自分だけの表現を紡いできました。
それは本当に本当に辛い作業です。

会社員となった私は、作曲で仕事ができることを楽しみながら
それを中途半端に放棄していたのです。
放棄した瞬間、驚くほど「楽・・!」と感じました。
これでもう自分と向き合わなくて良い。

しかし、今まで当たりだった自分と向き合う作業を放棄した時、急に虚無感に苛まれたのでした。
私にとって作曲とは、自分が自分として生きていくための大切な手段だったのです。

そのことに気がついた時から、たまに個人でお願いされていた作曲のお話を受けるようになったり、コンサートやライブ活動をしたり
「アーティストとして」の音楽活動を並行してやるようになりました。

そうすると不思議と、毎日充実感が生まれてきて「生きてる!!」という感じを得られるようになってきたのです。私にとって表現することはとても身体に良いというか、生きる糧になっていたのだと気がづきました。

音楽で「食うこと」だけを目的としていた

最近は「これはクライアントワーク」「これはアーティストとしての制作」としっかり線引きしてやっており、意識としては完全に分業しています。

ただ思うのですが、「作曲を仕事にしたい!」って、その動機って、そんなに重要だったのかなと笑。仕事にした先の将来のビジョンとか、やりたいこととかがあればこんな風に躓かなかったと思うのですが、私には「スキルを活かしたい!」くらいのモチベーションしかなかったのです。

それよりも大事だったのは「音楽を表現し続けられる環境をつくる」ことだったように思います。

目先ではなくて、本当に音楽と向き合う方法を考えるべきだったなのではなかったかと思います。

仕事と音楽の関係

そんな中、最近はパラレルキャリアという選択肢を聞くようになりました。自分が大学生の時は、自分自身の意思で「就活はしない」と決めていたのですが、時々もう少し視野が広かったらなぁと思うこともあります。

ちなみにですが、下の記事はアーティストと仕事の関係についてNYタイムズが非常に良く取材されていて、大変興味深い内容となっていますので、ぜひ最後までご一読を・・・・!

アーティストたちのもう一つの仕事
https://www.tjapan.jp/art/17198587

冒頭に出て来る「フィリップ・グラス」という作曲家、現代音楽の授業なんかでは絶対名前が挙がる作曲家の一人です。

最後の部分を一部引用します

芸術家には、寄り道をすることも必要だ。創造力が沸騰し、ほとばしる瞬間はいつ訪れるのかと気をもんでいたりせずに、外に出て人と交わったほうがいい。当然ながら、ただじっと待っていてもインスピレーションは湧いてこないのだから。創作からいったん離れることが、必ずしも傑作の誕生につながるとは限らない。だが、自分の足で歩かなければ何も見つからないし、ひたすら考えていてもアイデアは浮かばない。

もしも音楽と違う仕事をすることに罪悪感を覚える方がいたら、その思いが少し薄まればと思いますし、むしろ自信になれば、とも思います。

仕事をしながら音楽を続けるのは大変ですが、

個人的には、会社である程度の収入が担保された状態で、時間の制限はありますが自身がやりたい活動を選べる、という状態は有り難く、しばらくはこちらのやり方で生きていこうと思います。

会社で得たスキルは、もちろん音楽のスキルだけでなく事務処理やマナーなど、間違いなく糧になっています。

また色々書きましたが、結局私は「クライアントワークとしての音楽制作」も好きみたいなのです。クライアントに喜んでもらえることや、自分1人と向き合っては生まれなかった音楽や作品と出会えることなど、喜びも多くあります。

つまりは現状1番大切なことは「バランス」なんだと思います。自分に最適なバランスを見つけること。

私の場合は音楽制作と作曲、その2つの軸でバランスを取ってキャリアを組み立てていきたいと思っています。

自分にあった選択肢を持つこと

私は職業作曲家としてお金を得ていますが、「作曲だけはどうしても他人やお金のためにできない」という人も周りには多いです。良い悪いの話ではなく、その人がどう思い、どう感じるか。感じたものが正解なのです。

また、アーティストとして収益を上げる方法も、現代はインターネットを通じて実現しやすい状態にあると思います。

自分はどのように音楽と向き合っていくのか。

どのようなスタイルが自分には合うのか、模索しながら自分だけの道を探していければと思います。

最後に

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
音大生にとって選択肢が一つでも増えることを願っていますし、

「音楽で食っていく」の意味と、その先を、少しだけ考えてみることのお手伝いが出来ればと思っています。
私も自分の人生を使って大実験中です!

皆様が、どのような形であっても、
少しでも長く、
音楽と表現に携われますように。


芳澤奏

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