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セルフィーユ の 函

                流音

🔳 第二の函


うららかな日差しが、ぴんチャンの体を包んでいた。
田んぼに横たわり、ゴロゴロ、クネクネと、モモはレンゲ草をなぎ倒している。
心なしか、三毛猫は春の到来を喜んでいるようだった。
田んぼにはまだ水が張られていない。

「モモの真似っこ」

ぴんチャンはゴロリとレンゲ草の上に寝転んだ。

ぴんチャンの家の周りは、田園が広がっていた。
それは遥か遠くまで続いているようにも見えた。
優しい風が吹き渡る。
レンゲ草は、ユラユラ体を揺らして.微かに甘い香りを放つ。
ぴんチャンは右手を伸ばし、レンゲ草の数本を掴むと、茎からもいで花の香りを嗅いだ。
赤紫色の花達の上を、青紫色をした、無数の小さな蝶がヒラヒラ舞っている。
ぴんチャンは、紫色が好きだった。
それは、
薄紫のスミレの花。
朝陽が昇る直前の空の色。
夕陽が沈んだ直後の空の色。
お母さんが時々着ている着物の柄と、お菓子を包んだ風呂敷の色。
ぴんチャンの目の中を飛び回る〝色々とヒカリ虫〟の仲間にも、紫色のヤツがいた。
ふと、ぴんチャンは空に目を向けると、雲が浮かんでいる。

「あっ」

ぴんチャンは、声をあげた。

ー 雲、動いてる ー

小さなぴんチャンからすれば、それはとても不思議なことだった。

雲は形を少しずつ変えてゆく。
薄くなって消えていったり、後ろからやってきたクジラのような塊に呑み込まれたりして、青い空を流れて行った。

ー 雲って生き物なんだ ー

その時、カサカサと草がこすれる音がした。
ぴんチャンは、ハッとして起き上がった。
ぴんチャンがそれまで頭を置いていたすぐそばの地面を、オレンジ色のヘビが這っていた。
小さなシマヘビだったから、ぴんチャンからすれば怖くなかったけど。
近くで転がっていたモモも、きちんとお座りして、シマヘビをジッと見ている。
シマヘビは、右、左と蛇行して進む。
そして不意に、スクッと首を立てて、ぴんちゃんを見上げた。

小さく閉じられた口から、先が二又に分かれた赤く細い舌を出して、チロチロと動かしている。
そして、

ー オトウサン ト オカアサン ドコ? ー

と、ぴんチャンに話しかけてきた。

ぴんチャンはしばらく考えてから、

「あんたのお父さんとお母さんを、私、見たことないよ」

と、答えた。

シマヘビは、

ー オトウサン ト オカアサン ズット サガシテル ー
ー ワタシ モ オトウサン ト オカアサン ミタコトナイ ー
ー キョウダイ イタミタイ ダケド アッテイナイ ー

ぴんチャンは、キュウちゃんを思った。
キュウちゃんは、ぴんチャンより4っつ年上で、頭が良くて、かけっこも速い。
習字も習っていて、字がとても上手だった。
性格はおとなしいし、何よりハンサムで、キレイなお兄ちゃんね、と、周りの大人が言う。
キュウちゃんはお母さん似で、お父さん似のぴんチャンは、そのことが羨ましかった。
でも、キュウちゃんはぴんチャンの味方をしてくれる。
ぴんチャンを、
「賢いね」
と言って、頭をなでてくれる、優しいお兄ちゃんだ。

モモは、シマヘビから視線をぴんチャンに移して、緑色の瞳を細めた。

「そうか、あんた寂しいね」

ぴんチャンは、シマヘビの家族を捜してあげることにした。

まずは、ぴんチャンの足元から。
四つん這いになって、レンゲ草をかき分ける。

いつの間にか、モモはピョンピョンと、レンゲ草畑を走っている。
どうやら、ウラナミシジミを追いかけているようだった。

「ヘビのお父さんとお母さん、いますかあ?」
「ヘビの兄弟、いますかあ?」

呼びかけるたびに耳を澄ますけど、返事はない。

しばらく捜し回り、ぴんチャンは疲れたので、田んぼの畦道に腰かけた。
畦道は、田んぼの土を盛った細い道だ。
雑草がちびちびと生えている中、小さな黄色い花がちらちら見える。

「ヘビいちごの花」

ぴんチャンは、かがむと、ヘビいちごの花に顔を近づけて、香りを嗅いだ。

花らしい香りのない、ただ土と草の香りがするだけ。
たぶん、もう少ししたら、花の付け根は赤い実を作り出す。
ぴんチャンは、初めてソレを見た時、思わずちぎって口に入れた。
しかしその途端、一緒にいたお母さんに、口の中に手を突っ込まれて吐かされたので、どんな味なのか結局分からず仕舞いだ。

ー 本当はどんな味なのだろう? ー

ぴんチャンは、ヘビいちごの味をシマヘビに聞いてみようとしたが、肝心のシマヘビの姿が見えない。

ー お父さんとらお母さんと兄弟が見つかったのかも ー

すると今度は、遠くに見える畦道に、ぴんチャンは何かを見つけた。

レンゲ草をなぎ倒し、走ってその何かに近づけば、それは田んぼの土を丸く盛った  丸く盛った…      まるく…

ー なんだコレ? ー

どこかで見た形。
ボウルを逆さにしたような。
ボウルよりは大きくて、スイカよりは小さな半円球の土の塊。
しかも、猫の手が入るくらいの小さな入り口まである。

ー そうだ。テレビで見た ー

ー 〝かまくら〟という家だ。
でもあれは、雪を固めて、みんなで中に入って、お餅を焼いたりして食べたり、甘酒飲んだりする。 ー

でも、畦道の上にある土の〝かまくら〟は、人間が入れる大きさではない。
そこで、ぴんチャンが結論づけたのは、妖精の〝かまくら〟だった。

ー きっと中に妖精が隠れているんだ。ー

土でできた小さな〝かまくら〟の前にしゃがみ込んで、妖精が中から出てくるのを待つことにした。
モモは田んぼに横たわって、目を閉じて眠っているようだったが、長くてまっすぐな尾は、パタンパタンと、干してカラカラになり、地面に倒れた稲穂をを叩いている。

お日様が頭の上にきていた。
ぴんチャンのお腹が切なげな音をたてた。

ー 今日のお昼ご飯は、なんだろう。 焼きそばは好きだけど、豚肉はきらい ー

だけど豚肉はお母さんの好物だから、ことあるごとに、料理に使われた。
ぴんチャンは豚肉の脂身がどうしても食べれない。
口に入れた途端に吐き出してしまう。
そのたびに、お母さんから「もったいない」と叱られた。

「お家に帰らなきゃ。モモ、モモ」

ぴんチャンは、モモを呼んだ。
三毛猫は面倒くさそうに顔を上げ起き上がると、のっそりとぴんチャンのいるところまで歩いてきた。
ぴんチャンは、畦道の上のかまくらに向かい、

「妖精さん、また来るね」

と、声をかけて、田んぼを後にしようとした時、細い水路の側の畦道に、先程のシマヘビを見つけた。
シマヘビは地面に全身を這う格好のまま、一点を見つめて、ジッと動かない。
赤い舌だけチロチロさせている。
シマヘビが見つめていた先には、トノサマガエルがいた。

高い空には、二羽の雲雀が呼び合いながら、円を描いて飛んでいる。
水路では、水がクスクスと笑い声をさせて、停めどもなく流れていく。
春の陽気はまるで生きとし生けるものを急かすように輝きを増す。

白砂の遥かなたに見えた、横一直線の青のひと筋。

ぴんチャンは、ぴんチャンの中に入り切れないほどの何かに目を回し、その場に倒れ込んだ。
幸い、土や草が、ぴんチャンを優しく受け止めてくれた。

小さな若いヘビと、大人のカエルは、微動だにせず至近距離で見合っている。
どちらが捕えられてもおかしくはない。

だが、いきなりだった。

勝負は決まった。

容赦なく、三毛猫がシマヘビの喉に喰らいつき、トノサマガエルは跳ね上がり、水路の流れに飛び込んだ。

シマヘビは大きく口を開け、鋭い歯を見せながら、苦しそうにウネウネと体を激しくくねらせている。
尻尾をモモの顔や胴に打ちつけていたが、やがて弱々しくなり、ぐったりと静かに、動かなくなった。
そして、倒れ込んでいるぴんチャンの目の前まできて、ボイッと死んでるシマヘビを、ぴんチャンに献上した。

モモは、初めから終わりまで無表情のまま、仕事をやり遂げご満悦の様子だ。

ー ワタシ スゴイデショウ ー

ー オウチ カエロウ ー

モモは目を細め、微笑んだ。



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