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坂本龍一の海外での評価は正当か?教授の曲に唱歌を感じる。


坂本龍一やYMOの音楽は日本趣味や東洋趣味を打ち出したことで海外で受けたと見る向きもあり、日本はまだまだ西洋音楽の本流には程遠いと言う人もいるが、私はそうとは思わない。日本人が日本趣味を打ち出して認められることこそ普通のことで、日本人としての感性を消して西洋で認められる音楽を作ることだけに価値を見出す方が、グローバル化を黙って受け入れてるみたいで、変じゃないのだろうか。

批判する人は、東洋趣味を打ち出すことで、評価に下駄をはかしてもらってると思うんだろうけど、坂本龍一の音楽には西洋音楽の基準だけでは測れない良さがあると思うのだ。それを理解せず、東洋趣味がエキゾチックというだけで、評価して賞を与えているとしたら、それは審査員の問題である。

昨年末に公開された坂本龍一の最後のピアノ演奏。亡くなった後に追悼番組として放送されていたのを見て、あらためて、坂本龍一の音楽はとても唱歌的だと思った。

音楽の素人の私の印象批評なので的外れかもしれないが、彼のメロディーは一拍一音節の日本語が乗っかりやすそうだし、明るい歌の奥にも切なさを感じられる唱歌独特の情感があるのだ。
しかし、そのせいで彼の曲は単純に聞こえてしまっているのではないか、、、。
でも、唱歌というのはシンプルながら決してレベルの低い音楽ではない。

以前、坂本龍一は大貫妙子と「UTAU」というライブツアーを行った。坂本のインストゥルメンタルの曲に大貫らが歌詞をつけ、同時に「赤とんぼ」や「この道」など、日本の唱歌も歌うライブだった。坂本の曲に歌詞を乗せたいと思った大貫妙子は坂本の曲と日本語の親和性を感じていたに違いない。

その後、坂本は日本の唱歌をさまざまなアーティストが歌う「にほんのうた」というアルバムも監修。日本の唱歌の音楽的価値を認めていた。
過去のインタビューの中で、西洋音楽が入ってきて、山田耕筰ら一流の音楽家が子供のためにこれだけ上質な音楽を残したのは日本だけだと、当時の日本の文化的な風潮を絶賛し、唱歌を「やさしくて高級な音楽」とも語っている。

日本の四季や自然豊かな日々の暮らしの風景を切り取った日本の唱歌は、子どものための歌とは言いながら、切なさや儚さを感じさせ、大人もホロリとしてしまうものも多い。大貫妙子も歌った「この道」や、音楽教科書の常連「小さい秋見つけた」、「椰子の実」などは夏の青い海と青い空を見つめる主人公に自らの人生を感じたり、、、。

唱歌というのは、日本の細やかに移りゆく季節を描いているからだろうか。時々刻々色を変える空、季節ごとに咲いては散っていく花、水温み、また凍える。雨の音、風の声、、、。大人だろうが子どもだろうが、私たちはそういう美しく常に変化していく世界に住んでいて、そこで育まれた感性こそが日本的であり、私たち日本人の心をうごかす。そういう意味ではユーミンの曲なんてまさに日本的と言える。

そして、坂本龍一の曲の奥にもそうした日本的な感性を感じるのだ。ユーミンは歌詞に負う部分も多いが、坂本の場合は多くは歌詞がない。曲の表現だけで、それを感じさせる。いわゆる日本の伝統音楽的な要素を取り入れているとか、そういうことではない。表面的には日本の要素は感じられない。けれど、曲を聴いていて感じるのは、日本の唱歌を聴いていて感じるようなやさしさであり、切なさなのだ。

やはり坂本龍一は東京芸大出の「教授」だったのだなあって思う。ロックに触れポップに目覚め、現代音楽を実験し、さまざまな方面から音楽を突き詰めたが、彼のピアノ曲を聴いていると、日本人にとっての西洋音楽を求め続けた山田耕作など、日本の西洋音楽の黎明期を支えた音楽家の姿が重なる。そして、そこにあるのは、自らも音楽とは何かを追究し続けた「教授」の姿だ。

坂本龍一が世界に認められることは、山田耕作、滝廉太郎、中山晋平などなど、往時の名作曲家が日本人の感性に合った西洋音楽を根付かせようと苦労して生み出した音楽が、その後の時代の変化や日本の変化を織り込んで、さらに発展し、その結果が認められたようなものだ。

明治になったばかりの頃、まだ人々の中には日本人としての誇りが健在で、西洋の文化に迎合するばかりではなく、日本のものとして取り込み、世界に肩を並べようとしていた気概があったように思う。それが現代まで耐えることなく受け継がれたのが坂本龍一の音楽で、それが世界に認められたことは、西洋を真似ではない、日本人ならではの西洋音楽が世界に認められた気がするのだ。

唱歌なんて子どもの歌と思われるかもしれない。そんなものを持ち出して、世界の坂本の音楽は唱歌であるなんて、低く見過ぎだと思う人もいるかもしれない。日本を代表する音楽を唱歌を引き合いに出して語るなんて、、、と思う人もいるかもしれない。でも、唱歌ほど日本的な西洋音楽は無いと思うし、日本を代表する一流の音楽家がこぞって作曲した 西洋音楽も唱歌である。実際、唱歌は老若男女、広く日本人に愛されている。若い世代でも、音楽の教科書で知る唱歌が実は結構好きなんじゃないだろうか。

坂本龍一の音楽に感じる歌謡曲的キャッチーさとか愛嬌とか、リリカルな感じとか、これらはすべて、日本の愛すべき唱歌に感じられるものだ。音楽に貴賎はない。

坂本龍一が日本的だということで評価されるということは、日本に輸入された西洋音楽は日本の感性をうまく取り入れ、こんなに素敵に生まれ変わりましたよということが認められたみたいで、それはそれで良いことなのではないかと思うのです。

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