「翔べ! 鉄平」  15

 龍宮中尉の自宅は鉄平の町の駅から一つ目であった。鉄平の兄金平が時々豆腐を売りに来る町でもある。

 大きな木々に囲まれた広大な寺の境内の一角にある駅は小さく、駅前はひっそりとしている。鉄平が狭い改札を出ようとすると、その手前奥にある便所の方から熊沢の声が太く響いた。

「おい、カラス」

「ああ、熊沢さん」

「お前、ここはよく知っているのか?」

「まぁ、少しな。海軍の偉い方々が住んでおる」

 鉄平は改札を振り向き熊沢を待ってから答えた。そして二人で駅の時計を気にしながら他の仲間を待つ。

 蝉の声が煩い。
 その煩い蝉の声を打ち消すように、下りの電車の発車を知らせるベルが鳴った。三十分ほど待って次の電車が来ると、ほとんどの小隊の仲間が揃った。

 駅前からすぐに正面の坂を登り出すと、すぐに切り通しの崖の間に入る。そして竹やぶのトンネルが迫ってくるとそこで両脇が生垣の連なる小道に入る。

 道と階段が不規則に連なる。人一人が歩くと道幅がいっぱいになってしまう。

 そんな小道の坂を一列になって歩いていると、飛行機の中で降下が開始された時の出口への列のように思えてくる。

 途中どんな山の中に入っていくのかと思うが、道が広く平坦になると、その両脇には大きそうなお屋敷が連なっていた。

 鉄平はそこで着いてくるみんなを振り返った。

「おい、ここは、海軍通りと言ってな、将校さまたちが多く住んでおられる所だ。会ったらちゃんと敬礼せねばならんぞ」

「お、おお……」

 全員に緊張が走った。

 龍宮中尉の家は、そんな邸宅街にあっても、門構えは確りしているが、平屋で梅の木が二本庭に植えられた小さな一軒家だった。

「おい、正面から入るのか?」

 犬飼が門の戸を開けようとする鉄平に聞いた。

「そうだな、裏口がいいか?」

 鉄平も開ける手を止めて振り向いて聞く。

「いやぁ、それも、こそこそしていて失礼だろう」

 熊沢が犬飼と鉄平を伺った。
 戸惑う三人を前に辺り近所を伺う者たちがいる。するとそれがまるで集団の空き巣狙いのように見えてしまう。

 門の奥から石を打つ下駄の音が聞こえてきて、そして門が開けられた。

 ガラガラ!

「まぁ、いらっしゃい。龍宮の家内です」

 それは龍宮中尉の奥さんであった。鉄平はその若い、まだそれほど歳の違わぬ女性を見て、風子と重ね合わせ、一人で照れて俯いてしまった。

 総勢一二人で押しかけると玄関は靴で溢れかえる。

 奥へ招き入れる奥さんは時々振り返っては熊沢や犬飼、鉄平らを見て笑う。

 座敷に通されると、近所から借りてきたのか段違いのお膳が二列に並べてある。お膳の上には猪口も並べられ酒の用意もしているようであった。
 お膳に沿うようにその両脇に座布団が並んでいる。

「どうぞ、お座りください。龍宮は今お豆腐を買いに飛び出して行ったンですよ。すぐに戻りますから」

 鉄平はもしかしたら金平の売る豆腐かもしれないと思った。手伝いの女が料理の盛られた皿を運んでくる。

「おい、この豆腐、冷奴で出してくれ」

 龍宮が帰ってきた。奥さんが桶を受け取り台所に運ぶ。

 座敷に入ってきた龍宮の口元には髭が無かった。髭が無くなると、他の若い兵隊たちとさほど変わりの無い無垢な顔立ちに見えた。

「オオ、みんな集まっているな。美味い豆腐を買ってきたンだ」

 と言って座を見渡した。集まった小隊の者たちが立ち上がろうとすると龍宮は掌を上下させて座らせる。

「かまわん。今日は私の個人宅だからな。ただ、内緒だ」

 そう言って上座に座った。

「本日は、お招きいただき、ありがとうございます」

 熊沢が丁寧に頭を下げて小隊を代表して礼を言うと、熊沢が一番年長に見えた。

 酒と小鉢が運ばれてきた。豆腐は小鉢に鰹節とネギ、そして卸し生姜が載せてある。鉄平は一目見てそれが烏山豆腐店の豆腐だと判った。

 鉄平はそれまでさほど豆腐に関心を持っていなかったが、自分の

家の豆腐を美味しいと言い、待っていてくれる、時間を割いて息せ

き切って買い求めに出る人がいると言うことに驚いた。そしてそういった豆腐を作っている両親や兄たちが自慢に思えてくる。家族というものを意識し始めた。父親
、母親、祖母、金平、銀平、と顔が浮かんでくる。そして風子の顔が思い出される。

「諸君、やっと実験も成功して、連続降下の要領も出来上がってきた」

 小隊はじっと中尉の話を聞いている。

「来月には再び部隊が増員され、新しい編成がなされるであろう」

 龍宮は言葉を切った。奥さんと女中が杯に酒を注いで行く。

「みんな。ありがとう」

 龍宮が杯をかざした。小隊は中尉がありがとうと言った事に少し戸惑ったが、すぐに笑って杯を掲げる。熊沢が音頭をとる。

「では、一〇〇一部隊、行くぞ!」

 オオョ!

 小隊が杯を飲み干し顔が綻ぶのを見て龍宮も杯を干した。龍宮が

後から小隊に編入されてきた鶴田に声を掛ける。

「おい、鶴田。もう何回降下した?」

 小隊の視線が鶴田に集まった。

「は、はい。五回です」

「どうだった。最初の降下は?」

「は、はぁ……」

 鶴田は答えに躊躇した。勇ましいことを言わなければ兵隊として恥ずかしいが、一〇〇一の雰囲気では正直に言わねばならないような気もするからだった。小隊の中では古参の熊沢と犬飼、鉄平は目で笑っている。

「私は、怖かった」

 龍宮は鶴田の目を確りと見据えて言う。そして小隊を見回した。

「俺もだ」

 犬飼が鉄塔から飛び降りたときの話をする。

「わしは柿木に突っ込んだぞ」

 熊沢も気を許して笑いながら自分の体験を語る。

「烏山なんぞは、最初の降下の時、腰を抜かして機内でへたり込んだからな」

 少尉が大きく笑いながら言うと、

「そりゃぁ、怖わかったぜ。こうへたり込んだ」

 と言って、鉄平は座布団の上でへたり込んだ真似をしてみせた。

 小隊が大きく笑い始めた。

「みんな最初は怖いンだ。沈着冷静に判断し、自分を見つめれば、正直、怖がっている自分が見えてくる。冷静さを失って自分を見失い、判断を誤ることはするな」

 龍宮が小隊を見回して言った。

               つづく

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