「翔べ! 鉄平」 エピローグ 25
気持ちは焦るが規則どおりに飛行機が滑走路に向かって列を作る。滑走路の右に左に、風を交わしながら、順に滑走し、舞い上がる。
啓二と鴨志田の乗る月光は高度を上げ、敵機をレーダーで補足しようとし、また無線で連絡を取りながら千葉から東京の上空をさまよった。B‐29に追いつこうと更に高度を上げる。
そして地上を見ると、深川方面の東の大地が燃え出していた。そして町を焼く炎の光が敵の大群を映し出したのだった。
「中尉殿、十時下方にB‐29。上から見ると丸見えです。大編隊です!」
B‐29は爆撃の精度を高めるためにいつもより高度を下げて飛んでいたのだった。
「舐めやがって!」
啓二たちの飛行隊は敵を捕捉すると散開した。敵の護衛戦闘機もそれに合わせ流ように広がった。
啓二たちは降下をしながらB-29に機銃を掃射した。
「一時方向、ムスタング!」
鴨志田が叫ぶと前方からムスタングが迫る。
それを交わすと敵機は旋回し、再び上を目指す。啓二も右に旋回しながら上昇へと反転する。
機首が暗い千葉方面に向かうと肉眼では天地がわからなくなる。再び炎の上がる方角に向かうと前方上に大きな機影が数機見えた。
啓二はそのまま旋回を続け、爆撃機を追う。爆撃機は山羊の群れの糞のように焼夷弾を投下しながら南に向かう。
撃墜された飛行機が炎を上げた。その横をムスタングが飛びすぎる。後部座席の鴨志田が機銃を発射した。
数弾が大きな機体に当たったのを感じたがそのまま上昇し反転した。高度5千メートル。
「機体が持ちません!」
機体を捩って下方へ反転させた。翼が風に乗って浮いた。座席から少し体を持ち上げ体を前のめりにし前方を窺った。
すると下方十一時に赤く照らされた東京を下敷きに黒い機影がかすかに見えた。
「鴨志田! 行くぞ!」
「はい! 覚悟はできています!」
その言葉に啓二はまた迷った。
――怖い!
迷いながらその機影に向かって急降下を始めた。体に強い重力を感じ、目眩を感じると、気が遠のいていく。
そのまま真っ逆さまに急降下を続け、上向き斜銃の銃身を爆撃機に合わせる。機体がもたない。
「鴨志田! 今だ!」
機銃の響きが操縦桿を通して伝わってくる。
『あの攻撃はやるな!』
大佐の言葉がよぎったその瞬間、機首を起こすと同時に二時の方向からムスタングが上昇してきて機銃を鳴らした。
――ダン! ダン!
機体のどこかに被弾した。
啓二は背後に連続した鈍い大きな音を聞いて我に帰った。驚いて操縦桿を引き、右上方を振り返る。B-29への銃撃の機会を逃し、その大きな黒い機影を逃した。後部座席の鴨志田の声が聞こえてこない。
「鴨志田!」
返事がない。
「鴨志田!」
啓二は一人で反転し上昇を試みるが思うように高度が上がらない。上空からムスタングが迫ったと思うと機銃の音がし、啓二も機銃を鳴らすと、一瞬ですれ違った。
「鴨志田!」
啓二は何度も繰り返し鴨志田を呼び続けた。
失速する。フラップを操作し機体を立て直そうとする。機体は安定したが高度がどんどん下がる。鴨志田の返事がないことで突然孤独感に襲われ、気持ちだけが焦る。
――やられた。4500m、4200m……『撃墜されたら落下傘で飛び降りるンだ』
誰かの声が聞こえたように思った。啓二は何かに流されてゆくような感覚に陥った。
真っ赤な東京の街の空を機体は風に乗って滑り降りる。北西の風に向かえば浮力は維持できる。
しかし火の手の上がらない多摩地区までは持たない。不時着しようにも、灯火管制の敷かれた町では不時着する場所を探せない。
啓二はフラップとそして自分の体重をも使って操作し機体を東の東京湾に向けた。
――機体を捨てるなら今だ。しかし鴨志田をどうしよう。
追い風になると機体は急降下を始める。翼が音を立て始めた。
啓二は一瞬躊躇ったが、狭い操縦席で落下傘を取り出し背負うと風防ガラスを開けた。
風に吸い込まれ飛ばされそうになる。
鴨志田は座席の上でうなだれていた。
啓二が月光の操縦席から足を蹴った瞬間、垂直尾翼が右足にぶつかった。
啓二は背中から回転し落ちる。
上も下も右も左もわからなくなる。
ただ自分の体だけがある。何にも触れない自由な体は足の痛みを感じず、ただ無意識に胸の開傘索を探して引っ張った。
蝶が蛹から生まれるように、落下傘が背中の背嚢から飛び出す。落下傘を繋ぐ紐を探って掴むと、引っ張るように、もがくように体を振って落下傘を広げた。
突然背中から引っ張られたと思うと、重力が体から消え、空中で大きく体を揺らしていた。開いた。まだ寒い3月のそれも3千メートルであろう高度でも妙に風が熱い。
機械の唸る音と誰かの視線を感じた。
と、突然、啓二の左下方から近づいたムスタングが目の前で旋回し掠めていった。
ムスタングのパイロットと目が合ったような気がした。
*
「脱出した飛行兵がいる! 気を付けろ。巻き込むな」
ムスタングから電波が放たれた。
「OK、そいつはカミカゼじゃないらしいな」
つづく