究極の本質

幸せって何だろう。
もし私が一人の生命の苦しみを和らげ、
一人の苦痛をさますことができるなら。
気を失った駒鳥を巣に戻すことができるなら。
私の生きるのは無駄ではない。

お金は必要なだけあればいいし、あるいは少し足りないという程度が一番いいと気付いた。

「 毀誉は他人の主張 」

と言った人がいる。
まことにそのとおりで、社会的成功などは時代の変化でどう崩れるかわからないのだ。
ならば生きるに値する行為とは何か。
持って死ねるものとは何か。

エミリ・ディキンスン の詩は読む人にその究極の本質を明示している。

ひとりで苦しんでいる人たちがたくさんいる
私のひとことで蘇るかもしれない
道に迷って正気を失った若者が倒れている
私の差し伸べた手で立ち上がれるかもしれない
それだけが私が人間として生きた証となるだろう
幸せなことだと思う

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