十数年前の自分への対抗心

noteへ登録してみた。
これが初投稿の記事となる。
記事というのか、投稿というのか、noteのルールはなにもわからない。

とにかく書いてみたくなった。
Twitterみたいに文字数制限なく、facebookみたいに知り合いばかりに見られるわけでもなく、ただただ書いてみたい。
その衝動にもう何年も蓋をしていた。

十数年前、女子高生のわたしは、毎日日記をつけていた。
個人ブログ最盛期。自分好みに背景や文字色、タイトルロゴなんかまでアレンジとカスタマイズをして、毎日毎日書き綴っていた。
ときにはポエミーに、ときには怒りのままに。

そのせいで彼氏に振られたりもした。
友達と喧嘩したりもした。
それでも懲りずに、それすらネタにして書いていた。
ほんといい性格をしているもんだ。

個人ブログの文化が廃れると、mixiで書き、facebookで書き、Instagramで書き、それはもう至る所で書いた。
10年ほど続いたその習慣のお陰で今でも、何かあるとなしとに関わらず、日記口調で語るストーリーテラーが脳内に存在する。

ただ、それらを長々と文章に起こして投げ捨てることはなくなった。
日に何度か、短文かつ単文を超閉鎖的な空間のTwitterに投げて、生存確認程度に数名のフォロワーさんが見てくれるだけだ。

社会に出て、立場というものを自覚し、人間関係の円滑さに重きを置いたら、脳内を晒すことに抵抗が出てきたのだ。

羞恥心とも責任感ともちがう、諦めに近いような感覚だった。
本音を隠して笑顔を貼り付けて与えられた役割をこなす、ただそれだけの方が、楽だったんだ。
体裁のいいブログを、年に数回かくこともあった。
報告書やセミナーレポートを書くこともあった。
しかしそこには、「言葉を選んで書かなくては」という義務感しかない、なんなら(書きたくもないのに)と枕詞までつきそうな気分だ。


半年ほど前、mixiからメールが来た

DMがきましたよ、と。
そのDM自体は詐欺だった。よく聞く、妙齢の独身女性から外国の軍人さんに成りすまして金をせしめるという逆ハニトラ的、アレだ。

それでも、なんだか懐かしい気分になって、マイページを開いてみた。

何気なく自分の書いた日記を開いてみた。

嫉妬心が開かれた。


なんて面白いんだ!
こんな面白いものを書けたなんて!
ずるいぞ!くやしいぞ!


羨ましくて仕方なくなったけれど、脳内ストーリーテラーだけの日々は続いた。
でも、梅雨時よりもたくさんの雨が降る毎日を行動を制限されながら過ごしていたら、わたしの中の蓋を吹っ飛ばしてみたくなった。

誰かに読んでもらえたら、それはこの上ない喜びだけれど、こんなつまらん文章を高尚なSNSであるnoteに置いていくんじゃない、などと罵られたら縮み上がってしまうので、そんな方々はどうか目をつむってほしい。

ただ、若い自分への対抗心と、隅に追いやった子供心を、こっそり投げ捨てたいだけなんだ。