承認欲求という魔物

最近、精神安定のために、イライラや不安を内観するっていうのをやっていて、自分がなににイラッときて、不安や恐怖に駆られて、カッとなるのかを観察してたんですが。

というのも、この歳になって、会社での立場とか将来が不安になったりで、なにかと精神が不安定気味だったりして。

同期たち、先輩たちが早期退職で会社を去ったり。

自分の仕事での立場がすごく難しいなーって思ったり。

まぁいろいろ悩ましい年齢なんですよね。40代半ばにもなると。


でね、たまたま仏陀の教えって本を読んでて、イライラや不安をちょっと後ろから客観的に見てみましょうってあったから、

最近、自分の感情のワッとなるポイントを、見るようにしてたんです。


そしたらさ。ほとんど100%、その根っこは「承認欲求」にあるんだ、と気づいたんです。


承認欲求。つまりは周りに認めてほしい、という欲求。

マズローの欲求5段階の中の、上から2番目に高い場所に鎮座している。(のは実はどうでもいい)

私の場合、他人に嫉妬するのも、

自分の成果が認められず落ち込むのも、

若い人に失礼な口を利かれてムッとするのも、

なんだか最近いい仕事来てないなとモヤモヤするのも、

すべて、承認欲求なんですよね。もとは。


自分が認められたいという激しい希求が満たされないから、

(ある程度は認められてるけど、自分が求めるレベルはもっともっと高い)

イライラして、ムッとして、逆に、「もう自分は必要とされないんじゃないか」と不安になり、居場所がなくなることへの恐怖を感じたりする。

若い頃はこんな風に、嫌な汗をかくような、

承認欲求の満たされなさにあえぐことはなかった。

若い頃も承認欲求の塊だったと思うけど、

まだ若いし、これからだと思ってたし、上の人にかみついて、「だからオッサンにはわからないんだよ」とか言っていれば、承認欲求は満たされていた。

たぶん、「頑張れば成功できる」と無邪気に信じていられたからだ。


でも、歳を取るとは恐ろしく哀しいもので、

チャンスを逃すたびに、徐々に徐々に、薄皮をはがされるように、

自分の自信がはげ落ちて行く。

自分の能力に自信が持てないわけではないのだが、何しろ結果がすべてだ。

結果が積み上がらない人間は、どんどん脱落して行くのが世の理だ。

そういう時に、若い頃に着こんでしまったプライドの鎧が邪魔をする。

「私だって、若い頃は・・」というやつだ。


昔、自分がもっとも輝いていた時代を思い出して、

そのころに比べて今の自分がみじめに思える。

周りに尊重されていない、と感じる。

もう私、必要ではないのかな?と感じる。


これがいわゆる、「定年を迎えたオジサンの気持ち」なんだなと。

(最近、内館牧子の『終わった人』を読んで、余計落ち込んだ)


でも、冷静に考えれば、私はまだ十分普通に仕事しているし、

仕事上で感謝されたり、「さすがですね」とか「○○さんのおかげです」

とか言われることは多い。つまりは、十分恵まれている。


私が、なんだかモヤモヤしていることのほとんどは、

若い頃の私との比較による承認欲求の痛みであって、

別に、ものすごく周囲に否定されているわけでもない。

大体、私には子供もいて、地域コミュニティもあって、

もちろん子どもからは誰よりも必要とされているし、

他のママたちとも友好関係を築いている。

誰かに馬鹿にされたり、いじわるされたりすることもない。

なのに、私の関心のほとんどは、

自分が「認められていない」「必要とされてないんじゃないか」の2点張りなのだ。


だとすると、承認欲求というのは、なんという化け物なんだ、と思う。


心の中に大きく根を張り、つねに、ものすごく認められているキラキラした人をスコープに収め、

「あの人はこんなに認められているのに、お前は何だ」と責めさいなむ。

いっそ、ここから逃げ出してしまおう、と。

何度も転職サイトのページをめくるほど。

それはすべて、承認欲求だ。

私は、認められたい。もっともっともっと。

誰よりも大事にされて、素晴らしいとほめたたえられて、

必要だとみんなに腕を引っ張ってほしい。


要するに、そういうことだ。

それがかなわないなら、恐ろしいから、恥ずかしいから、逃げ出してしまいたいだけだ。


自分が大事にされない場所になど、

いたたまれなくていられやしない。


それほどまでに、承認欲求とは根が深く、救いがない。


でも、ひとたびそのカラクリに気が付くと、なんだかものすごくバカバカしい

気がしてくる。

私は、どうしていつも、周りからの評価をそこまで気にするんだろう?

他人より素晴らしい、優れていると思われたくて、

頼りにされたくて、尊敬されたくて、

自分の人生は誰より美しいと胸を張りたい。


でも、それって、本当は自分が分かってればいいことだし、

自分が今できることを一心にやることしか、

私にできることなどない。

理想はいつまでたっても手が届かず、

何かを得れば、また次のものがほしくなる。


他人の評価など、当てにならないいい加減なものだと、わかっているのに。

なのに、たった一瞬でも、誰かの尊敬のまなざしを

縫いとめておきたいと願うものか。あさましい。


とてもぐらぐらする最近、とても心が弱くなっていると思う。

だから大したことないことが、ものすごく過敏に感じられて、

すごく落ち込むことがある。病んだ気持ちになることがある。


結局、結論も解決法もないんだけど、

ただ今自分にできることは、

せめてこの承認欲求の魔物に飲まれて、発作的に逃げ出してしまわないよう、冷静に自分の気持ちをみつめること。

過剰に反応しないこと。

今できることを精一杯やること。

一歩一歩できることから。できる限りの力を尽くして。

それしか今の私にできることはない。


承認欲求という化け物を克服して、

本当に自分のしたいことをする生活、仕事していてただただ充足感を感じる瞬間だけで人生が過ごせるのなら、

なんてすばらしいんだろうと思う。

そういう理想に向かって、私は、生きたい。


誰かに、褒められる、きらびやかにまつりたてられる、そういう存在への憧れをもう捨てたい。

そういう、青臭い承認欲求など、もうこの辺で脱ぎ捨ててしまいたい。


一体どこから来て、どれだけ深く根を張っているのだろう。

私の承認欲求。

どこかで解脱できる時が来たらいいのに。


そんなことを、つらつらと考える毎日。

(なんか暗くてすみません)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?