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自然の中の空調


しばらく更新していなかった、と言いかけたが、そこまで高頻度な更新をしていないことに気づく1月終了4日前の午前4時。

私は今、精神科に入院している。何回目かもう微妙に覚えていないのだが、回数は正直どうでもいい。まあ、入院はしているのだが、治療ではなく休息目的とした"レスパイト入院"であることと、今は金銭に余裕がないこともあり2週間を予定して、もう明日の午前中に退院ということは決まっている。もう今日には退院前の準備として荷物をまとめなければならないのだから、もう少し睡眠はとっておきたいところである


今回は、というか、この通院先に入院するときはほぼほぼ"レスパイト入院"だ。振り返ってみても、治療目的では入院したことがない。一昨年から今の主治医に主治医が変わり(厳密に言えば変えてもらった)入院の方針や約束ごとを決めて、入院は目標や目的は決めるが、根本の軸のようなのは変わらず"休息"で休むことが目的であり、それが必要性が認められているので許可されているというわけだ

私の通院先は公立病院でない割に、まあまあ比較的大きな規模であろう精神科単科の病院だ。病棟は10病棟近くあるのだが、ほぼほぼ閉鎖病棟で開放病棟は社会復帰病棟という名目の社会的入院の長期入院者や施設探しの患者に適用されるのでどう足掻いても任意入院か否か以前に開放病棟に入院は厳しいのだ。自動的に閉鎖に入院であるため、任意でも『開放処遇制限』は必然的である。任意入院であっても入院関連の書類にセットで渡され、改めて閉鎖病棟に足を踏み入れることを実感するのだ。開放病棟は夢のまた夢みたいなことだが、それよりも中学時代からこの病院に通院と入退院して今の主治医とも関係が良好であり、転医については考えていない

院内に10病棟近くあることは先述したが、私はそのうちの4つの病棟に入院経験がある。考えれば半分近い病棟を経験してることに改めて我ながら驚いてしまうのだが、そのような個人的感情は隅に置いて見守るとして、今までの通院や入退院で様々な医療者(職員)や支援者に出会い、優しさにも冷たさにも触れ、関わってもらっている中で嬉しいこともつらいことも経験した。だからこそ気付かされたことも、気づいたことも、山ほどあり、それは私の中での経験や思考の基盤の一部になっている


しかし、本来はそういうのは、病院の外の世界で、つまりは"地域"や"社会"に出て経験することが相応しいのかもしれないし、それに越したことない。だからこそ、入院の許可や協力を得られない通院患者や通院していない社会で生きてる人から見たり本人が思っている健常者からは『甘え』に見られるのかもしれないが、そもそも医者からの許可があり"休息目的"でも必要性を認められていることに変わりはないので『甘え』での入院でないことは明白であるし、それに対して他人から羨んだり嫉妬や皮肉を言われたとしても『そうですか』に尽きる

そして許可されたと同時に『休む必要性』は患者と主治医の双方の共通認識である以上、部外者や他人が苦言を(指摘)呈する理由もメリットも正直ないし、それにエネルギーや感情を揺るがし、消費するだけ疲労や自分をいじめていると、私の主観であるがそう感じてしまう。それに必要な成長などの過程やステップであるから、例え良かれと思っても、そもそも【私は私、貴方は貴方】理論はこういう時にそ、〈 自他の境界 〉が必要であり、それをするための自分を客観視することは大きな意味とメリットは大きいように思える


今回は非常に穏やかな入院で目的の"休息"はできた、と思っている。そして、様々な病棟職員に褒められたり、ここ数年、なかなか改善が見られなかった解離症状が起きることなく退院前日まで過ごせたことが、退院後も自信に繋がると思っている

実家に退院し、2月からは色々あった隣人も退去し、やっとアパートに戻ることができる。戻ってもやることはあり、ゆっくりする暇もそこまでないのだが、焦らずに頑張るつもりだ

閉鎖病棟退院前日の早朝からお届けいたしました

by.彩璃