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時の針は頂点を指し示した

昔、よく訪れていたワールドが閉鎖することを、Twitterで知った。

そのワールドで何かトラブルが起こったわけではない。ワールド製作者の私生活が忙しくなったことで、立て続けに行われた大型アップデートへの対応が間に合わなくなったらしい。

そのまま放置してもワールドはトラブルもなく残るだろう。だが、製作者は閉じることを選んだらしい。

そのツイートを見て、僕は久しぶりにそこへ向かうことを決めた。

VRCに入り、そのワールド情報を見ると、数多くのインスタンスが立てられていた。僕以外にもツイートを見た人が、別れを惜しんで集まっているのだろう。普段は閑散としているワールドは、過去1番とも思える活気に満ち溢れていた。その中にはフレンドの姿もある。顔を出して思い出話に花を咲かせるのも良かったのだが、なんとなく、独りで入りたくて、わざとプライベート設定にしたインスタンスを作り、逃げ込むようにワールドへとアクセスした。

少しの待機時間の後、視界に広がったのは、小さなバーだった。

薄暗い店内には弾くことのできないピアノに食べることのできない料理、呑むことのできないお酒が並んでいる。窓から見える、建物の明りに彩られた夜景も変わらない。初めて訪れた頃のまま、何も変わっていなかった。

聴き慣れたBGMを聴きながら、バーカウンターのいつもの席に座り、飾られた酒の列を眺め、記憶の海に沈む。

ここでは、色々なことがあった。

集会の会場として利用されたこともあれば、ピアノの演奏会が開かることもあった。もちろん、フレンドと他愛もない話をするために集まったことも幾度もある。

あの時の僕らは、何時までもここに集まってくだらないことを駄弁りながら、また次の日を迎えるのだと無邪気に信じていた。

だけど、ワールド製作者が新作を公開すると、僕らはすぐに新しいワールドに夢中になった。そして、行われていたイベントが終わり、または場所を移転して、日に日にここを使うこともなくなっていった。

そんなワールドが今日、なくなる。

ここで撮った写真は、ストレージにたくさん残っている。
ここで知り合ったフレンドとは、未だに繋がっている。

ここが無くなっても、私の日常は、なんの問題もなく、続いていく。

けれど、僕の胸には言葉にできない気持ちに溢れていた。何か、大切なものが消える瞬間に立ち会っているのだと、直感で理解できた。

おかしな話だ。今まで放置していたのに、なくなる頃になって惜しくなるなんて。

そこにあることだけで救われるなんて、身勝手にも程がある。

視線は徐々に上がっていき、天井の近くに設置された時計に行き着いた。

リアルの時間とは連動していないそれは、いつも11時59分を指していた。

前に製作者から聞いたことがある。ここは永遠のシンデレラ城である、と。

シンデレラにかけられた魔法は、12時になると溶けてしまう。だけどここは12時になることはない。永遠に幸せな時間が続くのだ、と。

今、この世界の魔法は解け、シンデレラの魔法も解けようとしていた。

バーカウンターに突っ伏す。現実世界の頬が感じる冷たいテーブルの感触は、このガラス張りのカウンターに触れているような錯覚を覚えた。

このまま眠ったら、この時間が永遠に続くのではないだろうか。
バカげた妄想だ。叶うわけのない願いだ。

だけど僕は、そのすがるような想いに突き動かされて、目をつむった。

ここで起こったこと、出会った人。当時の記憶が矢継ぎ早に浮かんでは消えていく。

少しだけ、この気持ちの理由がわかった。
僕にとって、ここはもうひとつの故郷なのだ。
ここで生まれたわけでも、ここで育ったわけでもない。だけどこの場所は、僕のVRC生活の始まりで、たくさんの縁を繋いでくれた、大切な場所なんだ。

傲慢でも、自分勝手でも良い。それでもこの場所がずっと残っていてほしい。そう思うほどに、大切に思っていたんだ。

そんな単純なことに今、気がついた。気がついてしまった。

なんで今なのだろう。なんでもっと早く、気づけなかったのだろうか。

早ければ、もしかしたらーー。






私はハッと、目を開いた。

温かくなった机の感触と真っ暗な視界。
どうやら、寝落ちしたらしい。

どのくらい眠っていた?いや、確認する時間が惜しい。

装着したままのHMDを起動する。またあのバーに入るためだ。

普段よりもゆっくりとした起動時間にヤキモキをしながら、ふと、頭によぎるもの。

僕は眠る前に、何を考えていたっけ?

とても大事なことに、思い至ったような気がする。もしかすると、大したことではないかもしれない。

けれど、どんなに記憶を掘り起こしても、あのバーについて考えていた、という事実しか思い出せない。どんな思考を巡り、どんな解答を得たのか、思い出せない。

そんな焦りにも似た不安感を覚えていると、ようやく、VRCへのログインが終わった。

メニューを開くと、先ほどまでいたバーを探す。

だけど、あのバーはなかった。

ホームの時計を見ると、あれから数時間がたっていたらしい。インスタンスも全て閉じられ、バーのあった痕跡など、どこにも残ってはいない。

あの、夢のような時間は、終わったのだ。

何故か、目頭が熱くなる。

もう良い年だ。ワールドがひとつ無くなっただけで、自分がこうなってしまうだなんて、思いもしなかった。

それほど、あの場所は大切だったのだろうか。それすら今は、分からない。

あのバーのなくなった世界で、私は目元からこぼれたものをぬぐうために、HMDを外した。






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