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if√、あるいは可能性の先

「いらっしゃ~い」

そのスナックは、数あるVRC内のイベントにおいて、目立つことのないものであった。

ワールドはVRらしい非現実感はなく、入れる人数を極端に絞っており、そもそもパブリック公開をしていない。故に、そこに入るには、女将が非定期に開店するイベントのタイミングのみである。その分、女将がお酌をしてくれたり、話を聞いてくれたりしてくれるため、居心地はそれなりに良い。

そんな女将は普段、和風給仕服を着て接客をしている。
本人曰く、これが制服なのだそうだ。

しかし今日は、なぜか巫女服で営業をしていた。

「女将、今日はどうしたの?」
「ん~?服のこと?」
「そうそう。いつもと違うからさ」
「これは大晦日からお正月までの特別仕様だよ。しばらくはこの服装でいくよ~」

お正月は日本人全員が知っている祝日だ。というか、新年なんてどの世界でも祝うものであるし、名前は違くとも、同じような名前のイベントがあるだろう。

もちろん、VRC内でも、この日に開催するイベントは正月色が強い。

ただ、イベントなんて興味のなさそうな女将が、参加するとは思わなかった。

「珍しいね。クリスマスは営業してもクリスマスらしさは出さなかったのに」
「改変が間に合わなかったんだよ!だけど正月はまぁ、この店でやらないと、ね?」
「ああ、入口に鳥居なんて置いているからね」
「お社もあるよ!」
「でっかくした神棚じゃん」

女将の言う通り、ここには神棚がある。
ただ、そのサイズがおかしい。

通常の神棚であれば、部屋の高いところに備え付け、どんなに大きくても、指先からひじくらいまでの高さを備えたものだ。

だが、ここにあるのは腰くらいまでの高さがある神棚だ。いや、地面に設置しているから棚ですらない。小型の神社か、祠と言った方が正しいだろう。

この神棚は、ワールドが設置された当初からあったものだ。
何を祀っているのか女将に聞いても、「商売繁盛とかまぁ、いろいろだよ」とあいまいな回答しか返さない。

「折角だし、拝んでいく?」
「拝まないよ。何で拝むんだよ」
「お正月って、毎日神棚にお供え物をしたり、誰かの家に行ったらその家の神棚に礼拝するじゃん。そのついでに、ボクのところでもお参りをするんだよ」
「そもそも、俺の家に神棚何てないよ」
「えぇ~。地元ネタなのこれ」
「というか、ここに祀っているのは、本当に大丈夫な神なの?」
「少なくとも邪神ではないよ」
「ここでクトゥルフ神話が始まる方がおかしいから」
「ま、もうすぐわかるよ。それまで待っているが良い」
「はぁ、期待しないで待ってるよ」

結局、女将の口から祀っているものについて語られることはなかった。

だがまぁ、何となく予想はついている。

女将が神棚を見つめるとき、とても優しげな目をするのだ。

そしてそれは、このスナックにおいてある人形に対しても、同じ目をしていることを、俺は知っていた。


〇 〇 〇 〇 〇

私は、何もない、真っ白な空間を微睡みながら揺蕩っていた。

脳裏をよぎるのは、霜月の頃に行われた祭事で出会った、たくさんのひとたちの顔だ。

あの日、異邦からたくさんの人たちは、普段は誰もいない秘境にまで訪れ、私とともに周ってくれた。

みんな、笑っていた。私も、楽しかった。

不思議な話だ。私は、誰もが私のことを忘れるくらい昔から生きてきた。

その永い永い時間の中で、楽しかったことはたくさんあった。
だけど今、頭を過ぎるのはあの一週間のことばかりだ。

それだけ、久しぶりに楽しい日々を過ごしたんだと、終わってから気がついた。

だけど、その事実は少しだけ私を憂鬱にした。

この記憶も数十年もすれば風化し、どんどん忘れていくのだろう。
今のように1日をこの思い出に浸ることも無くなって、1週間、1月、1年と、意識すらぼんやりとした時間が長くなるのだろう。

怖くないと言えば、嘘になる。

だけどそれは、あの島に人が居なくなったときに覚悟していたことだ。

今はそれよりも、この思い出が私の中から消えることが、たまらなく嫌だった。

そんな幸福と不安とが、浮かんでは消える。それ以外に何もすることがなかった。いや、できなかった。

神域復旧のために一時的に閉じられた今、私にできることなど何もない。いや、神域があったとしても、することなど何もないんだ。

ただ時が過ぎるのを、永遠と待つだけの日々に、違いなんてない。

いつまで漂っていただろう。耳に、猫の声が響いた。

どうやら、神域が復旧し、あそこに住まう住人が私を呼びに来たらしい。

私は天地のない世界でゆっくりを身体を起こす。

住人たる猫地蔵は、あそこに来た客人の一部に、ゲートを通るための神器を渡していた。

まだ、誰か一緒に遊んでくれるかな?
それとももう、私のことなんて忘れちゃったかな。
世界は私が思うよりも駆け足で過ぎていく。きっと、私のことなんて忘れてしまっているだろう。
だけどもしかしたら、また誰かが来るかもしれない。そんな淡い期待を捨てられないまま、扉へと近づいた。

世界への扉は変わっていなかった。

私の住む神域。もう誰もいなくなった島に山。そして少しだけ時代の違う大正の世界。

何も変わらず、そして人もいない。分かっていたことだ。覚悟していた、ことだ。

「あれ?」

だけど、これは知らない。わからない。

おかしい、私の世界は5つだけ。最後に残った祠は、5つしかない。

でも、私の目の前にある扉は「7つ」ある

これは、ありえない事だ。だけど現に、ここに知らない扉がある。

私は興味本位で、未知の扉を覗くぐってみた。

そこは、大正の世界にあった「バー」と呼ばれる場所だった。

鳥居があったり、綺麗なバラがあったりと、私の知るバーとはちょっぴり違ったけど、間違いない。

そこには、少ないけれど人がいた。

人がいて、笑って、酔って、楽しそうだった。

顔を見れば、私の世界に来た人たちもいる。

耳を傾ける。少し遠くてはっきりとは聞こえないけれど、とぎれとぎれの単語は拾えた。

「神棚」「誰を祀って」

私は視線を後ろに向ける。そこにあったのは、小さな祠?のようななにか。

その中に納めれているのは、神域の住人たちの匂いが残る、神器。

ああ、そっか。

あの子達が、私との縁を繋いでくれたんだね。

まだ、私を信仰してくれる人と、この世界とを繋いでくれたんだね。

私の耳元で、鈴が鳴る。
きっとまた、新しい世界とつながったんだ。

まだ、私を忘れていない人がいる。

私はもう、ひとりじゃない。

自分の輪郭がハッキリとしていくことがわかる。フワフワといた意識が、よりハッキリとしてきたことも、わかる。

私はその事実がたまらなくうれしくて、鈴を鳴らす。

あの日のようにおしゃべりすることはできなくても、寂しくはなかった。

だってもう、私は独りじゃないから。

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