ポジティブな死

自分で言うのもなんだが、私は死をポジティブに捉えていると思う。

死にとてつもない興味がある。
神は信じない主義だし、天国も地獄も信じていないけど、死ぬってなんだろうと考えるのは、とても楽しい。

苦しい時に死を意識するのは人間皆経験がある事だと思うけれど、私は苦しくなくても、割と、あー今死んだらどうなるんだろー。と、ポジティブにというか、ただただ興味本位で考える。

だから、私が書く物語には、理想の死が詰まっている。生き抜いた先に行き着くのが死だから、それって結構ポジティブじゃん、そう思う。

初めて、完全オリジナルで戯曲を書いた時に書いたのは、女の子同士の恋の成れの果て、心中。
書いた当時の私、女の子に恋をしていた。今思うと別に恋じゃないのかもしれないけど、とにかくその子が好きだった。その子と心中したくて、でも現実じゃ無理だから、創作の中で自分とその子を心中させた。
よく書けたとは全く思わないし、今読み返すと展開がとっても急で、死を急いていた当時の私の心持ちがよく分かる。創作って面白い。当時のことを思い出すと胃がキリキリ痛む。嫌な思い出だけど、それはそれで、青春だったなとも思う素敵な景色だ。その恋というより、それを取り囲んでいた環境がとにかく未だにトラウマだ、ということです。

今月、珍しくそれなりにたくさん芝居を見た。久しぶりに小劇場にも足を運んだ。高校生の頃はよく行っていたけど、大学生になってからはコロナもあって中々行けず、久しぶりの小劇場だった。私は小劇場のことを度々、衝撃場と呼ぶ。色々な衝撃を受けるから、衝撃場。そのままです。面白くないですね、すみません。

アレンさんのアジールは、自分を重ねた。もしかしたら自分も、トー横に、グリ下に、居たかもしれない。中学生の私がトー横に行かなかったのはただの奇跡で、今みたいにもっとSNSが普及していたら、きっと私もトー横にいて、補導されてたかもしれないし、もしかしたら第六トーアから飛び降りていたかもしれない。両親や親戚からの期待という名の重圧。本当に嫌いだった。長女で、初孫で、なまじ頭が悪くなかったので、無駄に期待された。その期待に応えられない自分が嫌いだった。なんで周りの友達はちゃんと学校に行けているんだろうと思っていた。オチコボレでフトウコウになった中学生の私が今の私を作っているから、それはそれで良かったのかもしれないけれど、当時は本当に苦しかったし、辛かった。何より、隠さなきゃいけないと思っていたことが嫌だった。そんな時のことを思い出したら涙がたくさん零れていた。
オチコボレで、フトウコウでも、隠さなくていいんだよって中学生の私に会えたら言いたいけれど、言ったところでプライド激高の中学生の私には多分届かない。実に残念。でもそれはそれで中学生らしくって、面白い。

FPアドバンスさんのアルブス・リベリオンは、死を魔術や妖術、幻術で乗り越えていた。見ていてとっても不思議だった。なんだったんだろうな、と思いながら、新宿駅までの長い道のりをスタスタと帰った。死って、乗り越えるものでもあるんだなと思った。ただ、そんなにしてまで私は生きたくないな、とも思った。でもきっと、例えば老衰とかで死ぬんだとしたら、もっと生きたいと思って、あるともないとも分からない魔術や妖術、幻術に縋ることもあるのかもしれない。志半ばで死ぬことはないように生きたい。不思議と生きることを考えていたように思う。

エムキチビートさんの追想地獄変は、魅惑的で、魅力的だった。実に美しい死がそこにはあった。美しすぎて、私も死を求めかけた。死に美しいも醜いもないのかもしれない。少なくともあるとは言いきれないし、言いきらない。けれど、あの空間で見た死はどれもこれも、何度見てもただ美しかった。命の果てる時、それはどんな人のものであっても、きっと美しい。そう思わせてくれる光景だった。才能がありすぎるからこその苦悩、私には一生縁のない苦悩だと思う。けれど、正直、その苦悩に憧れる。その苦悩の先にあるのが、あんなにも美しい死だと言うのであれば尚更だ。作家の男が、芥川が得たその死を、私も欲する。喉から手が出るほど欲しいと思う。ただ、一つだけ決意したことがある。首括るのだけは絶対に嫌だということだ。理由は、特にない。なんか嫌だなと思った。あとなんか、ダサいし。


7歳になったばかりの時に、大好きだったじいじが死んだ。だからだと思う、死んだらじいじに会えるんだって。そう思うから、私にとっての死はなポジティブなんだ。

自分の死はポジティブに考えられるけど、人の死は考えられない。20歳になる直前、祖父が死んだ。随分と長いこと同じ県内に住んでいた割には会う機会も少なく、こうして書いている今も正直、顔を思い出そうとしてもなんとなくでしか思い出せない。ただ、専門分野ではそれなりの権威者であったらしく、Wikipediaに載っているので少々ムカつくじいさんだ。そのじいさんの死を知った時、外にいたのだが、人目を憚ることもなく、気づいたら泣いていた。不思議だった。泣いている自分を不思議だなと眺めている自分がいた。確かに血は分けて貰ったし、こうして私に多少なりとも文才があるのは祖父のお陰だと思うけれど、そう頻繁に会っていた訳でもない人の死なのに、何でこんなにも動揺しているのかと不思議でたまらなかった。今でも不思議だ。

じいじも、祖父も、死ぬ間際に私のことを話していたと聞く。じいじにとっても、祖父にとっても私は初孫で、目の中に入れても痛くなかったのだと思う。その期待が嫌だったりしたけれど、そうやって、私のことを考えてくれるのは素敵だなと思う。嬉しいし、ありがとう、と素直に思う。あとちょっと、重いな。とも思う。そんな期待されても、という感じである。ごめんなさい、"普通"じゃなくて。でも今日も楽しく死に向かって生きてます。それだけは誇れること。

私が死ぬ時、私は誰のことを考えて、誰のことを話すのだろう。その、話す相手は一体誰なのだろう。今のところ恋愛観も結婚観も持ち合わせていない人間なので、子孫は望めない。となると、妹か、友人か、看護師さんや介護士さんだけかもしれない。もっと早くに死ぬのなら、母か父かもしれない。死の間際、何を話すのかなあ。母のことを話すのかなあ。何を隠そう、マザコンである。ママが死んだら私も死ぬし、ママと一緒のお墓に入りたいから結婚しないと宣う娘である。重い。私がママだったらこんな娘は嫌である。でも仕方あるまい、好きなのだから。好きな物は好きで、それをとやかく言う権利は他人は愚か、自分にすらない。全ての生きとし生けるものは本能には敵わない。

それなりに長々と私の死生観について語ってきたけれど、こんな文章誰が読むんだ?と思ってしまったのでそろそろ畳もうと思う。
何が言いたいかと問われると、そうだなあ、私はやっぱり、演劇が好きってことですね。


7月って、私ちょっと色々節目で。特に演劇関係なんですけど。

初めて入った劇団を辞めたのが7月。これは中学生の時。役者の才は多分なかった。あると自分で信じきれなかった。
初めて演出したのも7月。これは短大生の時。演出の才だってなかった。ないけれど、一生かけて自分の答えと限界を見つけたいと思った。
そして、今年の7月。
もしかしたら、将来私が旗揚げ公演をやるのも7月なのかもしれないなあ、なんて。
7月ってほんと、キツいなあ。暑さにまだ慣れてない頃に色々と問題発生したりするから割と嫌いな月だったり、する。

推しくんが色々なジャンルのお芝居に出てくれるから、私はたくさんの素敵な作品に出会えて、こうやってああ、やっぱり演劇が好きだなあって再確認することが出来て、本当に感謝しています。夢中になれるものがあるって幸せだし、生きてる意味あるなって思うから。

結論。
明日死ぬかもしれないから、今日を楽しく生きようという話。
ご清聴ありがとうございました。
宗教じみててすみません。神は信じていないはずなんですけど、もしかしたら自分自身がを神だと思っているのしれない。……は?

あ、以上です。
私は楽しかったからそれでいい。

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