Salon de Ren In Aomori に寄せて

フライヤー

今、東北の人口は860万人前後です。

東北6県を集めても、東京の人口1300万人に届きません。
生産人口は400万人ですから、音楽をやるどころか、生活するための仕事をするということさえ、普通に困難になると思います。

その中で、どうやったら自分の音楽を守れるかは、重要なカギになるでしょう。

私が30年前に、東北から東京に出て音楽活動を開始した時よりも、ハードルは格段に上がっている、と考えた方がいいのかな、と思います。

恐らく、北海道と東北は、日本でも相当に割を食ってる地域ではないでしょうか。正直、18歳の子たちを比べても、壮絶な情報格差に晒されているのですよね。

私が子供の頃でさえ、CDを図書館で借りられる、とか、楽器や音楽の事を教えてくれる先生の数や、先輩後輩間の間での情報共有など、音楽をいともたやすく子供の頃から手に取れる距離にある東京や大都市部の子たちとの壮絶な情報格差との闘いだった気がします。

その事も分からずに、いきなり専門学校入った所で、そこでさえ、みそっかす扱いにしかされませんよ。

同期の子と同レベルで語り合えない、楽器も弾けない、バンドできない状況で、そのまま学校に入って、どんな思いをするかは、この話を読んでいただければと思います。

これは料理を志して、九州から東京に来た男の子が、同じグループの若者たちから、できない子のみそっかす扱いされて、学校を休学して寮を飛び出し、ホームレスになって辞めていくまでのお話。

私は、RYOさんが、地元に戻って、そこに音楽を育てようとしている気持ちが痛いほど分かるのですよ。

で、たまたま運よく上に昇れた人の話などを参考になどできないんですよ。そんな人は1/100000位の幸運なのであって、全員が夢見られる話などではない。

私みたいに東北から出て、東京で音楽をやってきた奴の話、聞いてみません?大々的に成功してる訳でもないからこそ、リアルなのだと思いますよ。

東北の置かれたこの状況、80年代のアメリカの地方の状況にそっくりなんですよね。

隣と隣の町の間が数十キロで連携が無い町同士。

どうやって、アメリカのローカルバンドたちが活動することが出来たかって話が、一番重要なカギになるんだと思います。

そんな話をしてください、とRYOさんにお願いされています。

私は東北に生まれた事を後悔はしてないですよ。
親ガチャだの生まれの不運なんて言わせてたまるものですか。

東北の人間が、東北の人間のまま、東京で戦ってるからこそ、今でも生き残ってるんだと思ってますよ。

東北の親御さんは、今、私と同期のはずだけど。

その人たちの子供たちに、東北に生まれた身の不運だの親ガチャに負けた、みたいな事は言わせちゃなんねぇなと思ってます。

そんな世の中だの価値観だの、クソだろ?

そういうことを話したいと思う。別にミュージシャンの人だけが見るものとは限らない。これは、自分と同期から少し下くらいの親御さんたちに一番聞いてもらいたい話なのかもしれない。

もし、自分の子供が、突然、何かの拍子で「自分、ミュージシャンになりたいんだ!」と言い出した時。

アホな事言ってないで、勉強せい!と言うにも。
夢に向けて頑張って!と言うにも。

世の親御さんたちが、少し、こういう話を知っといてもらいたい、と思ってるんですよ。当然、自分と同期なら、青春がバンドブームの真っただ中で。

少しは音楽の事を知っている、と自負する人たちもいるかもしれないけど。

坂を転がり落ちて行った子供たちが、どんな事になっているのか。
本当の意味で、知っといてもらいたいのです。


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