本の感想8『世界は分けてもわからない』福岡伸一
今回は高校の国語の評論みたいな話。人間というものにまた一つ迫ることができる本。
ちなみに俺は国語の教科書が好きだった。
人々は物事を分けて考えている
歴史でも生物でも、人々は物事を理解しやすくするために区別し、枠組みを作ってる。
例えば、ここからここら辺までが白亜紀、何年から何年くらいまでがカンブリア紀、といった具合に。縄文時代、弥生時代といったものは、「枠組み」に過ぎないのだ。
これらは小学校の時から当然の事実のようにして教えられる。あなたもそうだろうし、俺もそう教えられた。国が発行した教科書にも載ってた。
でもそれって、「真実」だろうか?当たり前だからあまり気づかれないことを言うと、当時の人(生き物)たちは「自分は今、弥生時代に生きている」という自覚はない。「あとから生まれてきた人間たち」が、歴史というものを理解できるように、わかりやすくするために、勝手に区別をしただけだ。もともとランダムに、境界線もなく進む時間を、意識的に作り上げたのだ。
生存のため、有利に生きるため
こういった理解の仕方は、ある一定の主観的な物事の枠組みから見た、「妄想」に過ぎない。人間を例にしてみよう。肌の色、宗教、国籍などを図式化、定義化し、区別して考えることは、自分たちの生存に有利に働く。なぜならそういった区別は団結力を強め、誰が見方で誰が敵であるかをはっきりとさせるから。
つまり「分けることで、分かりやすくなる」のだ。
しかし、もともと人間そのものに境界線はない。
「これを境界にしよう」「これを違いとしよう」と作った瞬間に境界が生まれるのだ。国境も、人種も、肌の色も、人間がこれを違いとして定義づけ、区別としたことによってそれらが生まれたに過ぎない。進化論の考え方を使うとさらに裏付けができる。人間という種は、神のような誰かによって恣意的に作られたわけではない。同じ細胞から始まり、自然選択によって、進化圧によって、盲目的に混沌と進化して誕生してきた。
わたしたち人間というのは、本当は無関係な事柄に因果関係を付与しがちなのだ。それは、連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足を補ってみることが、
・生き残るうえで優位に働くと感じられたから
・もともとランダムに推移する自然現象を無理にでも関連付けることが安心につながったから
・世界を図式化し単純化することが、理解することだと思えたから
なぜ勉強をするのか?
あれ、じゃあ俺らが身に着けてきたもの、あるいは知識として蓄えてきたものは、世界に対する本当の理解ではなくて、ヒトの目が切り取った人工的なものなのか?
悲しいことに、それは事実だ。ニーチェもこう言っている。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
世界は分けないことにはわからないしわかりづらいが、分けても本当にわかったとは言えない。しかしだからといって、すべての枠組みを外して世界を理解することは不可能だ。
大切なのは、まずは見方(考え方)を知ること。見方を知ることで、世界はより濃く映りこんでくる。例えば観光。その場所の歴史を知り、建物を理解してから見る人の方が、何も知らないで見る人間よりもより濃厚で意味のある時間を楽しむことができる。1つの建物に、幾重もの見方を見出すことができる。
そしてさらにもう一歩。
その一方で、その見方(考え方)や枠組みが絶対的ではないということも知る必要がある。例えば、「肌の色」のによる差別化が、もとから人間に存在していた差別化ではなく、人間が勝手に作り上げた境界線であることを知りその枠組みから自由になることで、肌の色にとらわれず、その人自身の魅力に気づくこともできる。
まず多くの見方を知り、そしてそれらが一つの見方に過ぎないことを知る。それによって人生は豊かに、自由になっていく。これが、勉強することの意味の一つであると思う。
感想
色々な角度の本を読んでるけど、同じ考え方に行き着くことが多い。
・価値観は人それぞれ、善も悪もない、全ては洗脳
↓
・過去や経緯を学び、解放されよう。選択肢を増やそう。
歴史の本でも、生物学でも、評論文でも、ビジネス書でも、この考え方が大事なようだ。
知識は付ければ付けるほど、勉強するほど、多様な価値観に触れるほど、世界のしがらみや妄想や洗脳から解放されることができる。想像力不足なのは勉強不足。なぜ本を読むかもわかる。