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もっと台湾という国を知ってもらうために

 さて、今回は台湾語について書きます。多民族との共生を認めない、日本を含めた国民国家というシステムが今や現代の基本であるとされる中、台湾という国家は今でも、様々なルーツを持つ人が共存し、國語・閩南語・客家語・原住民族言語、少数ですが日本語が飛び交っています。
 よく我々は、台湾は中国であるとみなしてしまいがちですが、その判断基準はやはり彼らが國語を喋っているという点にあると思います。國語とは、大陸では「普通語」と呼ばれ、いわゆる標準語です。台湾では國語と呼ばれます。我々が思い浮かべる中国語はこれです。おそらく、現代の台湾人で國語が話せないという人はいません。ですから、私たちは中国人と一緒くたにしがちですが、その起源は異なります。
 原来、台湾に漢民族はおらず、フィリピンやインドネシアなどから移住した民族がいました。その後オランダの統治期に、オランダが対岸の福建省や広東省から大量の漢民族を移住させたことをきっかけに、以後台湾には漢民族が住み始めたのです。しかし、この頃はまだいわゆる標準語は話されていません。福建省と広東省は、それぞれ閩南語と客家語という独自の中国語を話していました。特に閩南語を話す人が今の台湾にはとても多く、それが今では一般に台湾語と呼ばれています。國語と閩南語の両方を話せるという人が人口のほとんどを占めています。(現代の若者は國語しか話せないという人が増えているらしいですが)ちなみに、閩南語と客家語、國語(標準語)はそれぞれお互いに通じません。ですから、中国大陸の人が台湾人に話しかけると、台湾人は國語(標準語)を理解できるので問題ないですが、標準語しか知らない大陸人に台湾人が閩南語や客家語で話しても全く理解できません。私たちの方言とは、全く異なるレベルで通じません。まるで別の言語のように。
 では、なぜ台湾は標準語を話せるのか。それは国民党が台湾を統治した際、國語を話すことを強要したからです。それ以前は日本による統治時代だったので、彼らにとって「國語」とは日本語でした。それが急に、標準語を話せと言われたわけです。中華民国(国民党)は戒厳令を敷き、台湾人の大陸人化を推し進めます。國語以外を話すと厳しく罰せられたのです。彼らはどんどん台湾語を話さなくなっていきました。日本によって日本語を強制され、守らなければ鞭で叩かれ、国民党によって國語を強制され、ひどい場合牢獄に入れられ、台湾語や台湾人の文化は軽んじられました。支配国の言語を話すよう務めれば、それなりの待遇を受けられました。逆に努力を怠れば生活は困窮しました。仕方がなく話すようになった人も数多くいます。それでも、彼らは決して台湾語を話すことをやめようとはしませんでした。日本人や国民党の目を盗んでは台湾語で話し、家族や友人たちと台湾語で話し、子供が産まれれば台湾語でそっと話しかけた。そうやってなんとか紡ぎ続けた。あの時、全員が國語だけを話していたらどうなっていたのでしょうか。國語が台湾の言語の中心となっていたのでしょうか。
 結局台湾語は、日本や国民党が制圧できるほど小さく、そして弱いものではありませんでした。だからこそ、今では息を吹き返しほとんどの人が台湾語を話せるという事実がある。1987年のついこの前まで戒厳令によって台湾語は禁止されていたにもかかわらず。もはや國語だけでも不自由ないのに、学校で台湾語を勉強する機会が設けられる。やっと不自由なく自由に台湾語を口にできる。
 それでも日本を友好的に思ってくれる。対して我々はそれに見合うお返しが出来ていない。私は彼らの歴史を見つめるとどうしても目頭が熱くなります。自分たちの文化や歴史を決して絶やさないという情熱に心を動かされる次第です。どこの国も長い間ずっと不自由なく過ごしてきた。日本という国は長年、今日まで「日本」であり続けてこれた。それが当たり前だと思っていた。しかし、彼ら台湾という国は、1987年に始まったばかりです。実に36年しか経過してないのです。決して台湾という国を潰してしまってはなりません。やっと自由になれたのに。台湾有事が報道されるたび、私の心は締め付けられます。

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