見出し画像

口下手だって叫んでみればいいじゃない

「おしゃべりな口下手」
人とのコミュニケーションについて、僕は自分をこう表す。矛盾してると思ったかもしれない。
だが、調べてみると、
「おしゃべり=とりとめのない会話。口数が多いこと(そういう人)」
「口下手=ものの言い方が巧みでないこと」
と書いてあった。
なので、僕は、「無駄話はできる、でもいざという時に思いをうまく伝えられない」という意味で「おしゃべりな口下手」と表現している。

人と話すのが苦手なのかというとそういうわけではない。
友達とは何時間でもしゃべっていられるし、初対面の人ともそれなりにうまくコミュニケーションをとれる方だと思っている。
だが、自分の想いを言葉で伝えるとなると、途端に苦手意識を感じてしまうのだ。緊張しいな性格も重なってのことだと思う。しかも厄介なことに、家族や友達のように自分との関係が密であればあるほど、余計にその意識が強くなって、どう伝えていいのかわからなくなる。それは、今でも治らない。

でも、不思議なことに僕は小・中・高と、学校行事の実行委員、生徒会、部活動の部長、その他諸々の人前に立って話さないといけない役職をたくさん経験した。しかも自分から立候補して。
きっとそれは、誰かの役に立ちたいという思いがあったからで、決して人前に立つことが得意だったからではないと思っている。

だからこそ、大勢の前で堂々と自分の意見を言える人や、好意を抱いている相手に素直に「好き」と言葉にして伝えられる人を羨ましく思う。
人の心を動かしてきたのは、きっとそういう人だから。

そんなコンプレックスから、僕でも自分の気持ちをうまく伝えられる方法はないかを考えた。
そんな時に、学生時代、文章能力検定というのを受けた時のことを思い出した。その時、普段のテストでは真ん中ちょい下くらいの僕が、クラスの上位に入る点数を取ったのだ。
自分は文章を書くのが多少なりとも得意なのかもしれない。文字でなら素直に気持ちを表せるかもしれない。そんな風に思った。田舎の学校のたかだか数十人のクラスで上位に入っただけだが、僕にとっては、それがぼんやりと突破口に思えた。

思い返してみると、生徒会では司会原稿等の書類作りをよく任されていた気がするし、部活の先輩や後輩に送った手紙は評判が良かったような気がする。思い込みかもしれないが。

さらに思い返すと、好きな人へ想いを伝える時も手紙だった。当時は、直接言えない自分に落ち込んで、情けないと思ったものだ。だが、もしかしたらそれも無意識に自分が言葉よりも文字にする方が得意だと感じていたからで、傷つかないための防御ではなく、特技を生かした攻撃だったのかもしれない。

そして、今、自分の書いた物語を多くの人に届けることを夢見ている。今でも想いを言葉にするのは苦手だ。そんな自分を情けなく思うし、うまく言葉にできていたら、いい方向に転んだのかもしれないと思う瞬間は数え切れないほどある。
それでも、文字という形で言葉を届けることに可能性を感じているのも確かだ。

友達が呆れるくらいおしゃべりなくせに肝心なことは何一つ言葉にできない。それが僕だ。

でも、学生時代にかすかに見えた光に向かって進んだ先で僕だけの武器が手に入ると信じて、これからも「想い」を「文字」に込めて自分なりに届けていきたいと思う。

はじめましてのあなたにも。
大好きなあなたにも。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
また、ぼくのはなしを聞いてください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?