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何故アフリカ人は声がでかいのか

アフリカから帰国して、1番最初に驚いたことはバスの中の静けさだった。縦断をしていたため移動の時間が多かった分、その違いは如実に現れた。席は満席、立っている乗客も点在するこのバスで物音ひとつ聞こえず、エンジン音のみが響き渡る。そこには有機物がまるで存在しない、倉庫ような場所にいる気がして、生きた心地がしなかった。

アフリカではとにかく人の声が大きいのだ。電話をしているとき、2人で話している時の声量のバランスがおかしい。日本だと声がでかいと言われる私でさえ耳を塞ぎたくなる。車内で深夜であるにも関わらず、大音量でサッカーの試合を見たり、コメディ映画をイヤホン無しで流された時の不快さといったら形容し難い。

それから、彼らにはプライバシーの概念が極めて緩い。ベッドの上に裸足で平気で乗ってきたり、窓から顔を出してきたり距離感が非常に近い。挙げ句の果てには、机の上に置いてある物をかってに使ったり、食べたりすることもある。でも彼らは決して謝らない。よほどのミスを起こした時以外、ごめんなさいと言わない。相手の間違いだとしてもno problem と答える。

何故これほどの違いが起きるのだろうか。まず電話に関しては、前提としてネット環境の悪さで説明が少しつく。断続的な切断に対応するため、常に相手に接続を確認するために大きい声で話す人が多いと言われている。ではほかの側面から見える箇所はないのだろうか。

私は人口密度が深く影響していると推察している。
日本人は小さな島国にたくさんの人が住んでいる。お互いにパーソナルスペースに気を遣わないとカオスになりやすい。想像してみてほしい、東京で一人一人が大声で会話をしていたり、人のスペースに簡単に踏み込んでくるとしたら。

一方、人口密度の低いアフリカでは大きな声でコミュニケーションを取ることがむしろ物理的に離れた人との繋がりを維持する手段になりうる。

このことは田舎と都会という二項対立でも成り立つ。田舎の方が自然発生的なコミュニケーションが歓迎されるのは人々が持つパーソナルスペースに余裕があるからだと考える。ものをあげたり、人のものを使うこともパーソナルの領域に入りやすいことの現れとも見ることもできそうだ。

何はともあれ、声が小さいことは日本生まれの私にとって“適切な文化“であり、日本に来たことを知らせるものとして強く心に刻まれた。

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