見出し画像

リモートワーク~米国での振り子の揺り戻し~

(リモートワーカー協会代表理事 中島洋)

 日本より早くから、働くスタイルとしてリモートワークが定着したかと思っていた「先進国」のアメリカで思いがけない揺り戻しが起きている。働き方の自由度が大きく、リモートワークの先輩であるアメリカで何が起ころうとしているのか、気になるところである。

 典型的なのが世界一の大金持ち(今年はトップから陥落したようだが)のイーロン・マスク氏が買収したツイッター社である。ツイッター社の全株を買い取ってCEOに就任し、独裁者となったマスク氏は、社員のリモートワークを否定し、全社員に出社しオフィスで勤務することを義務付けた。「リモートワークは生産性を低下させる」というのがその理由である。「それが嫌なら辞めろ」と、現在の日本だったらパワハラで訴えられそうな通告を発している。

 「生産性を低下させている」というのは、特にデータを提示しているわけではないので何を根拠にしているのか不明だが、本当の理由は別のところにあるのではないか。

 まず考えられるのは社員数の削減だ。日本の例では、経営が悪化してコスト削減に走る経営者が打ち出す手の1つに、遠隔地への本社の移転である。すでにマイホームを通勤しやすい沿線に取得した社員は、通勤時間が長い場所への本社移転は苦痛である。場合によっては通勤不能な社員も出てくる。転職できる社員は多少割高な退職金を得て退社してゆく。アメリカでこの手法があるかどうかは分からないが、リモートワークを前提にして本社とは遠く離れて暮らしている社員は数多いだろう。オフィス出社を義務付けられるのは、日本で言えば本社の遠隔地への移転と同じ意味を持つ。実際、リモートワーク禁止で多くの社員が退社することになったようだ。

 ツイッター社買収とともに社員のおよそ半分を退職させたマスク氏だが、さらに退職者を増やすための新手法がリモートワーク禁止だったと考えてもそう見当外れではあるまい。

 次に考えられるのが、日本の会社でも起きている在宅勤務からオフィスへの回帰論と同様の理由だ。リモートワークに抵抗した管理職層の本当の理由は「部下を目の前で支配したい」という欲求ではないか、という説がある。管理職者はオフィスの中を見回して部下を確認し、いろいろな指示を与え、それに従う部下の姿をみて充足感を覚える。それがリモートワークになると、管理職としての充足感が味わいにくい。そこでオフィスへの回帰論がコロナの猛威の衰退とともに声が大きくなった。日本生産性本部の調査によると、現場の社員では在宅勤務を継続したい、という声が73%に及んでいるらしいが、経営者や幹部層は「在宅勤務は能率が落ちる」と主張し、オフィスへの回帰論を訴えている。

 マスク氏もツイッター社の専制君主に就いた。

 ところが、数千人の社員を見下ろしながら訓話を垂れようとしても、オフィスに人はいない。支配下に置いたという実感を得られない。オンラインの向こう側にいる社員を画面で見るのでは、専制君主の甲斐がない。目の前でひれ伏してくれる多数の社員がいなければ拍子抜けである。

 もちろん、コロナによって強制的にリモートワークが広がったものの、リモートワークになじむ業務・なじまない業務、リモートワークに適応する個人的な資質・適応しない資質など、いろいろなことが分かって来た。リモートワークの際のセキュリティー確保もまだ十分でない。マスク氏の「全社員リモートワーク禁止」は論外としても、様々なリモートワーク環境を準備した上で個人の選択の自由があっても良いはずだ。

 アメリカでは、ツイッター社以外でもオフィス回帰の動きはある。報道によると「アップルが週3日のオフィス勤務を義務づけ」たようだし、「写真・動画共有アプリのスナップチャットを運営するスナップ社も来年2月末から勤務時間の80%をオフィスで働くようにする方針だ」という。多くの企業でリモートワークとオフィス出社を組み合わせたハイブリッドワークを基本に、リモートと出社のバランスを模索する段階に入ったと言える。

 ただ、マイクロソフト社の調査では、従業員の87%が「リモートワークで生産的になっている」と回答、アップルでも「週3日の出社義務化」に従業員が激しく抵抗したとも報道されている。リモートワーク支持が本流であるのも確かで、「オフィスで勤務」に重心を置くことへの社員側の抵抗感は強い。果たして、マスク氏や経営者側の思惑通りになるかどうかは疑問である。実際、マスク氏は思いの通りにならないツイッター社に業を煮やし、「CEOにいるにふさわしいかどうか」という投票を呼び掛け、「ふさわしくない」という投票結果を得て、巧みにツイッター社の経営から逃げ出す道を選んだようでもある。

 アメリカの動きは時間を経て日本にも波及してくる。

 こういう揺り戻しは日本でも起き始めているが、リモートワーク環境を整備したうえで、どういうハイブリッドが生産性の面で、従業員の満足度の面で、カーボンニュートラルの面で、など、多様な要素を検討して、リモートワークをどこまで取り入れるか、データを基にした議論が必要なのではないか。

 30数年前、現役の新聞記者時代から、先駆的に執筆活動をリモートワークにした(取材は対面だったが)筆者の経験で言えば、圧倒的にリモートワークが優れているという結論が出るのは当然だと確信している。30数年前、今日のようにインターネットがなかった時代、原稿の送信には自宅からファクシミリを使っていた。今やパソコンで作成した原稿をインターネット経由でやり取りできる。この先、まだ、リモートワーク環境はあれこれ整備されて進展するだろう。

 しばらくの揺り戻しがあったとしても、それは途中経過。リモートワークの時代はさらに進展するはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?