どんな選択もわたしらしくありたい
朝、起きた時から選択の一日は始まっている。
例えば今日は休日。もう起きる?あと30分くらい寝る?何の家事からする?雨?洗濯は乾燥機にかける?それとも室内干しをしてして扇風機で乾かす?朝ごはんはご飯にする?それともパン?…と延々と続いていく選択の嵐。もはや細かいのを含め、選択しないでは生きていけないのだ。
いちいち迷っていては午前中は、一日はあっという間に過ぎていく。
「ぼくは国公立大学を目指そうと思う。だから、部活には入らず、勉強に集中したいと思う」
へ?まだ高校に入ったばかりなのに?もう選択するの?
息子ははいつのまにか人生の選択を自分でするようになった。ちょっと前までは一緒に考え、悩み、選択してきたのに。
寂しいような、嬉しいような。
思えばわたしも気づいた時にはいつも自分で人生の選択をしてきた。親にはもう決めたことを話すだけだった。自分で選択してきたから、後悔はない。選ばせてもらえて感謝している。胸を張って生きていける。自分で選択したことだからと。
息子もこれから色んな選択をしていくだろう。後悔してもいい。自分で選択した。という気持ちが大切なのだ。親はその選択をただ黙って応援するだけだ。
例え選択を間違えたとしても、また選択し直せばいい。そうやってひとつひとつ軌道修正しながら行きたい道へ進んで行けばいいのだ。いつだってどこからだって選択をし直すことはできる。選択肢は必ずしもひとつやふたつではない。複数用意されている時だってある。だから選択を恐れず、時には直感で選ぶこともいいだろう。
どちらを選んでも結局ここに辿り着いていた気がする。そんな風に思うこともある。それでも人生は選択の連続で、その都度悩みながら生きている。もうめんどくさい。どっちでもいいよ!と投げやりに人に任せようとしたくなる時もある。
でも思い止まる。いや、待てよ。自分で選択しないと後々モヤモヤするのは自分だ。どんな選択も、わたしらしくありたい。
今日もわたしは選択をする。
その選択間違えてたらどうしよう…
その時は風のようにふわりと方向転換だ!
わたしには迷っている時間はない。
よろしければサポートよろしくお願いします!