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神様の統治―生死禍福

主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。詩篇139:1~8

神様の統治―生死禍福

神様は私の生死禍福をご存知です。中国語の聖書では『生死禍福』と使われていて、日本語の聖書では『私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。』申命30:19と表現されています。また申命30:15でも『見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く』と言われています。

いのちとは何でしょうか?詩篇139:13を見ると『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。』神様が私を造られたのです。『私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が』139:15~16

死とは『たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます』詩139:8 死も神様が主権されています。

禍はのろいやわざわいです。この詩篇139章はダビデの詩です。ダビデは王になると油注がれたのに、サウル王から殺されそうになったり、また息子に命を狙われたりしました。しかしそれらはダビデには呪いや災いではなく、その中でもレムナントとして『私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください』詩139:24 導きを受け、勝利する姿を見ることができます。

福は祝福、幸いです。ダビデの告白のようにすべては神様から与えられるものです。『富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。 』Ⅰ歴29:12~13

ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。