少しして男子の番。

 私は事務的な会話からそろそろ踏み込めそうな頃合いに、
「ごっつはよく観てましたよ」
 と同世代の相手に持ちかけることを交流の定番にしていた。同意を得られる確信と期待を込めて、実際思った通り、ネット普及前の暇つぶしなど大体がテレビ一択の上、その中から数個の似たり寄ったりの番組をぷちぷち回していたのだし、労働者階級の私と縁のある放映当時中高生だった頭頂部が薄くなり始めた決して目を合わせることのない男が日曜の夜にデートや読書に励んでいたという事はありえず、真冬の開館前にも関わらず「いまだにYoutubeで見るけど古くなってない」「キャシー塚本は衝撃だった」「最近のはコンプライアンスがあるから、あれを超えるのはもう出ないだろうな」とほんのり狭いバックヤードにどちらのものともしれない独特な脇臭が漂うのだった。そうして私たちは互いのギャグセンスの良さを認め合い、何だか中学からの友人に再会したかのような懐かしい気持ちに浸りながら手提げにタオルを詰める。
 親交が深まると同時に胸を満たすものがある。親交が深まらなかったとしても、むしろ青ウェアにアイロンがけをしない薄毛の男に怪訝そうな顔をされるほど、その際「九十年代の」と条件を加えることが重要で、続くその後松本人志が体制寄りになっていった事の非難は、一見大衆向けでありながら誰もが気づいていない本当の“笑い“を暗に私だけが理解していることの証明になる。中央監視室の社員に挨拶や排水管の吹きあげを褒められるような私だけど、実は心の芯の部分では「常人には理解できないギャグセンス、尖った感性、社会のつまらない大人たちへの反抗心」を少しも失っていない事が周囲にもアピールされ、たしか市営バスで来ているらしい近くで日付と体調を書き込んでいる決して互いに目を合わせることのない、青いユニフォームに毎回丁寧にアイロンがけをしている、親の面倒を見ている白髪のポニーテールの奥さんたちの間でも一目置かれ、昨日のGシフトの処理済みのタオルを畳んで渡す際などには、手の震えをなんとか抑えようとしてい、確実に伝わっているらしい。
 『ごっつええ感じ』という番組の存在が、自分がダサい人間でないことの証拠であり『ごっつ』リスペクトは私の名刺だ。
 パペット!
 もう『ごっつ』は言わない。『ごっつ』を言うのは恥ずかしいし、怖い。もしも言ったら、下品で暴力的で差別と偏見に満ちた、いじめといじりを混同したいつ襲いかかってくるかわからない人間だと思われる。時代遅れな人権感覚だと思われる。
 板尾係長もあんなシュールなものを俺たち小学生が見せられてゲラゲラ笑ってたんだから今思うとすげえよシンガー板尾もシュールだったし、お前とお前は帰ってよし、とかあとゴレンジャイで毎回カオスになっていくのがやばかった最終的にファルコンまで出て産ませてよ、とか食卓の凍りつき方が半端なかった。
 もう今時若い人もみんなちゃんとしてるのに、自分だけAbemaやNewsPicks見ていない斉藤先生や落合先生、成田先生のことも知らない世間の風潮を知らないようで恥ずかしい。私は知っているし学んでいるし気づき得てるし感謝してるし問題意識あるしロッカーでAmazon受け取るし投票いかない奴許せないマジで投票は行けって俺たちの世代だぞ。
 ごっつのせいで人生めちゃくちゃにされた!
 『ごっつ』を見たいと思わない。全く面白いと思わない。当時は何に笑っていたのだろうと思う。くだらない。虫唾が走る。疑問。実は、当時そんなに笑っていなかったのではないか。いや笑っていなかった。ディングディング、そもそも見ておらず、誰か兄のイニシャルがでかでかと縫われたグリーンのセーターを着たすぐに高いところに登る鼻垂らしが言っているのを聞いて記憶違いをしているだけだ。パペット! 私は、私一人だけは、周りの多くのクラスメイトがごっつに影響されていく中、寒ぅぅが口癖になっていく中、私一人だけがごっつ的なものを否定してきた。その空虚さを喝破してきた。というより否定せざるを得なかった。いつだって私は傷ついてきた。私は、ごっつ的な笑いにいつも傷ついてきたのだ。いつだって私は、ごっつ的な笑いに搾取される犠牲者だった。搾取の被害者だった。パペット! その暴力的、差別的、性的な「笑い」に傷つき、ごっつに影響された子供たちの暴力的、差別的、性的な「嘲笑い」にいつも傷ついてきた。しかし私はクラスメイトの誰一人だって責めようとは思わなかった。なぜなら彼らもまた犠牲者なのだから、ごっつの被害者なのだから。物事の分別のつかない上に多感な時期に、性的、暴力的、差別的な感性を、ごっつによって強引に植え付けられた被害者なのだから。
 私は昔から、たった一人ごっつ的なもの全てに異を唱えてきた。でも、他に誰一人として『ごっつ』を疑問視する者はいなかった。どの子供も、いや大人たちも暴力と性と差別に染まっていった。パペット! そんなの許されるわけがない。もうとっくに過ぎ去った過去だって? ふざけるな。
 セカイノゼツボウヲ見ロ。
 今、日本人のスゴさが消えてしまったのはどうしてだと思う? お前たちがテレビでいやらしいことをしていたせいだ。
 ごっつのせいで人生がめちゃくちゃになった。番組が終わって、それからずっとめちゃくちゃだった。何から何まで毎日だった。普通のことができなくさせられた。人の気持ちが読めなくさせられた。両親も毒親だったし、すぐリセットするようにさせられた。エナジーバンパイヤの餌食になった。
 最近わかった。僕らキッズはオールドメディアに洗脳されていた。テレビと新聞は洗脳装置で、ごっつさえ見ていなかったら私はしっかりしていた。確実に今が違った。幸せだった。ごっつさえなければ、全部うまくいった。今ごろベースボールキャップの女と結婚してスーツじゃない社員でサンバ履いて丁髷みたいにしても許されて子供にビームス着せてピックアップトラックも食浄器もシンニホンノカオク、土間2.0にグランピング用品も置いて、今なお持っていたはずのものたちがごっつにぜんぶ搾取された。ツインレイとのご縁、インナーチャイルドの声までごっつ如きにぜんぶかき消された。消えた消えた消えた ごっつ! 瞑想します。

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