将来の心配

 子供のとき感じたのは、目が覚めないとはどういう感覚だろうという怖さと、二度と世界を体験できなくなることの寂しさだった。
 四十二になって感じるのは、誰が片付けるのだろうという半ば投げやりな気持ちと、赤の他人に負担を強いることへの申し訳なさだ。

 コンビニ居抜きの会場でなんて嫌だと思っていたこともあったが、今にしてみるとお門違いである。

 当分先のこととは思いつつ、朝、ゴミ出しの時に大家と挨拶をするとき、悪いなあと思う。場合によっては、床を全部剥がして、大掛かりなリフォームが必要になる。資産価値は如実に落ちる。下の階の若者は出ていってしまうかもしれない。汁がこぼれなかったとしても、大島てるへの掲載は避けられない。Amazonで展開しているB級ブランドが、縁の高さがあるシングルサイズのトレーのようなものを一万円以内で出してくれたら買う。奇跡的に床に接しない構造になっていて、それを使えば住所の判定ができなくなるとか。

 奇跡的にスマートに運び出せた先はどうなる。私が全部自分で手配したいが、あらかじめ契約としてというのはまた別の話でそれはできない。場合によっては一年くらい保管することにもなるらしい。私に協力できることは何一つない。今、腰を上げるつもりもない。十分タダ乗りしてきたのに。
 最終的なプロセスに至るまでに、何名かと直に触れ合うことは避けられない。嫌だろうなあと思う。大家の舌打ち、役人の舌打ちが全てだった、という話である。

 まあ警戒していると思う。挨拶を無視したかと思うと、通り過ぎた私をちらちら伺ってる時がある。その反応は正しい。しかし彼はセーフだったとしても、今後どこかの大家が痛手を被るわけだ。賃貸オーナーは独身の低所得者に貸す際に、ババ抜き感覚だろう。この先、年を重ねるにつれ、貸し渋りされることが増えていくことと思う。

 大家と下の若者が煙を嫌うので、夜たまに出かける。十分くらいかけて歩く。
 パッとしない公園にある閉鎖中のプール物置横のジメジメしたスペースか、仮眠をするトラックやタクシーの運転手が駐車するためだけにあるような工業地帯の道路沿いの空き地。
 嫌な場所だ。消去法でここが残った。
 もし最後がいつかわかる能力があれば、ここをゴールにすると思う。


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