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外国で子供をバイリンガルに育てるということ

4年間の韓国での子育てを通して、日本で子育てをする外国人家族の心境を多少理解できるようになった気がする。

いろいろな困難があるが、例えば言葉の問題。
母語とその国の言語(日本なら日本語)のバイリンガルに子供を育てる難しさ。

例えば、父親が韓国人で母親が日本人なら、子供は韓国語と日本語の両方を自然に習得していくものだと思っていた。

でも現実は、違った。
周囲の日韓ハーフの子供たちを見ると、日本語が流暢な子からあまり話せない子まで様々だ。

こういった言葉に関する問題も、韓国で子育てを始めてから、初めて知ったものだ。

外国で子どもを育てる中で、母語をどこまで習得させるかは、悩ましい問題であり、家庭によってその考え方はそれぞれである。

もし母語をかなりの水準まで伸張させたいと思うならそれなりの覚悟とコスト(お金・時間)がかかるなと最近よく思う。

特に、日本や韓国のように特定の1言語のみが社会的なパワーを持つモノリンガルの国で、他の言語を維持発展させていくってけっこう大変だ。

人は、自分と同じイントネーションの言語を話す人に親近感を持つ本能があるという。

日本や韓国のように、特定の言語が社会的なパワーを持つモノリンガルの国では、子どもはその社会の要請に応えて、その国で生きる上で有益な言葉を習得することを本能的に選択するという。

だから、そのような環境の中で、他の外国語(母国語)の力も同時に伸ばしていくことは容易いことではない。

子ども側だけでなく、親側の心理的な負担もある。

例えば、人には周りに合わせようとする本能があると思うが、
その本能に逆らいながら、別の言語を使い続けるというストレス。
うちの場合は、親戚や友達との集まりなんかで、みんなが韓国語を話しているのに、私と子供だけ日本語を使い続けるという環境。これも地味にストレスだ。

かといって、公共の場で日本語を使わないようにすると、特定言語が強い社会においては、外国語(母語)がますます隅に追いやられてしまう。
子供の立場から見ても、その社会の言葉のパワーをますます感じやすくなると思う。

というわけで、私は子供の母語伸張を優先して、子供と話す時は可能な限り日本語を使うようにしている(もちろん、最初は韓国語が全然できなかったので、そうせざるを得なかったが、ある程度できるようになった今も)。

その分、私の韓国語能力の向上は妨げられていると思う。
それに、夫(日本語苦手)とは韓国語で話し、子供とは日本語で話すという作業も正直疲れる。でも仕方ない。

こういった言葉の問題について、日本で日本人として生活している時は全然わからなかった。
以前、日本に暮らす外国人の子供たち向けの学習支援教室を開いていたことがあるが、今なら、その子供たちや親たちに、もっと寄り添える気がする。


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