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傷ついた分だけ優しくなれる論に思うこと

誰もが癒えない傷を心に抱えていて、それでも笑って生きているのだ、と思う。そしてその傷の深さや痛みの全てなど、他人には到底分からないのだ、と思う。

分かるのは「決して分からない」ということと、だから「言葉や心を尽くすべき」だ、ということ。 


自分がされて嫌なことを人にしてはいけない、と昔教わった。けれど本当に優しく在りたい、と思った時、それだけでは決して足りないように今は思う。

自分にとっては取るに足らない出来事が、誰かの傷を深くえぐってしまうことなんて往々にしてあり得る。

SNSは人と人との距離を格段に縮めた。遠くの誰かの生活が容易に垣間見れることは、会えなくなった人との縁を繋ぎ、あるいは新たな出会いを容易に叶えるようになった。

それはとても、素晴らしいことだ。

でもその一方で、見えない地雷が無限に増えたようにも思う。何気なくUPした言葉が、写真が、誰かの傷跡をえぐるキッカケになったかもしれない。

私たちは発信する自由とともに、遠くの誰かを傷つけてしまえる地雷を持ち合わせている。

その地雷の本当の恐ろしさは、爆発したことに気づかないところだ。知らぬ間にばら撒き続けた地雷で、やがては目の前の人をも傷つけてしまうことだ。


もしも「優しさ」に普遍の共通項があるとしたら、それは「想像し続けること」なのかもしれない。

目の前の相手が何に喜びを感じ、何に悲しみを覚え、どんな言葉に傷つき、そして救われるのか。

はからずも見えない地雷を踏んでしまった時、その悲しみに気付くことができるように。やり場のない気持ちに、せめて寄り添うことができるように。

不特定多数の人と関わりあうことができる世界だからこそ、目の前の大事な人と対峙することを、理解しようとすることを、諦めたくない。


こんなことを考えるようになったのはつい最近のことで、それまで私は私のことをそれなりに優しい人間だと思っていた。 でも、そんなものはとんだ思い上がりだったのかもしれない。

きっかけは、唐突に起きた悲しい出来事だった。

これまで人並みに辛い経験もしてきたつもりだったけど、こんな感情がこの世に存在したのかと思うほど、今も文字を打つ指が震えてしまうほど、

それは、それは、かなしかった。

悲観的な意味合いでなく、その出来事によって負った傷や悲しみの全ては誰にも分からない、と思う。
今も紐付く地雷に触れるたび、たちまちに思い出して動けなくなってしまう。その地雷は、多くの人には取るに足らないことだ。

そういう傷が、誰にもあるのだろう、と思う。

たとえば今朝バスで隣に座っていた人が、私には想定できない悲しみを抱えていたかもしれない。いつも何の悩みもなさそうに笑っている人が、誰にも計り知れない孤独を抱えているかもしれない。

そんなことを分かっているようで分かっていなかった。きっともしかすると、今だって本当の意味では分かっていない気もする。

けれど「分からない」と分かったぶんだけ、もっと人と寄り添いたい、と思うようになった。少しでも分かるように、分かってもらえるように、言葉や心を尽くそう、と思うようになった。

どんなに悲しいことがあっても朝はきて、季節は巡り、何事もなかったかのように桜は咲いて、散っていく。

生き急いでも立ち止まっても時間は変わることなく流れていて、それは時として冷たく、けれどそんな無常さに救われることだってあるのだと知った。

どうにもならない現実の中で、それでも桜は咲くことが、そして儚く散ることが、何度も悲しみの淵から動けなくなる度に、時間は流れるということを教えてくれた。


多かれ少なかれ、誰もが癒えない傷を心に抱えていて、それでも流れる時間に背を押され、朝陽や桜を見上げて笑っているのだということを、心に留めておこうと思う。

その笑顔を容易に壊してしまえる愚かさや、笑顔の裏に抱えた傷の全てを理解することなど出来ないという淋しさも。


それでも、想像することは出来るということ。抱きしめることは出来るということ。寄り添い続けることは出来るということも。

そうやって心を尽くし続けることで、少しは優しくなっていけるんじゃないか、なんてことを最近は考えている。

傷ついた分だけ優しくなれるわけじゃない。

勝手に優しくなれたなら、悲しみにも意味があったと思えるかもしれないのに。むしろ痛みが深いほど、傷跡が疼かぬよう愛する行為に臆病になる。

でも、優しくなりたい。振り返ればいつだって、優しい人に支えられてきたのだから。

彼らはきっと底知れぬ悲しみも分かち合えない孤独も知っていて、それでも優しくあるために、心を尽くしてくれたはずだから。





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