自分で選んだことは我慢して続けないといけないって、それ本当?
「転勤族と知ってて結婚したんでしょ」
引っ越しが大変。転勤がツラい。しんどい。
そんな嘆きに対して繰り出されるこの言葉に、
うぉぉぉぉーなに言っとんじゃい!!
愚痴くらい言わせてくれぇぇい!!
と、怒りを感じる転勤族妻はたくさんいる。
本当にたくさんいる。
おそらくこの後に続くのは、「自分で選んだ道なんだから、我慢しなよ」だと思う。これね、本当に我慢する必要ある!?って思うんです。
過去の自分が選んだ道
たしかに過去の自分は、納得してその道を選んだ。
でもさ、どんな生き物も生きていればどんどん変わっていくものじゃないですか。
肉体も、生活環境も、付き合う人たちも、価値観も。
生き物じゃなくたって、どんどん変化していく。時代とか、常識とか。
むしろ、変化していくことこそが生きているってことだと思う。変化しないものなんて、もはや化石じゃん。
だから、過去の自分が選んだ道を、今の自分が我慢しながら進んでいく必要はないと思うのね。
嫌だなと思うようになったことは、嫌だと言っていい。
それは責められることじゃない。
嫌だと言うことでスッキリできるならそれでいいし、嫌で嫌でどうしようもないならまた違う道を選び直せばいいと思う。
みんな我慢して生きているんだから、あなたも我慢しなよ
「あなたが選んだ道なんだから、我慢しなよ」と言う人は、きっとその人も何か我慢して生きているんだろう。
みんなそうやって生きているんだから、そうするべきでしょう、と。
あなた、和を乱さないでよ、と。
集団行動とか、連帯責任とか、そういうものが大事だって教えられてきたわたしたちは、自然とそう思っちゃうんだよね。
そこから自由になれたら、もっと生きやすくなるのに。
私もまた、そう思ってしまうひとりだ
えらそうにこんなことを言ったけれど、私も「自分で選んだんでしょ。」って言ってしまうときがある。
たとえば、子どもが習い事を辞めたいと言ってきたとき。
「やりたいって言って始めたんだから、もう少しがんばってみたら?」の言葉の裏には、
・初期投資したんだからもう少し続けてもらわないと困る
・すぐ辞めたら、何も続けられない子になるのでは?
なんて思いがあったりする。
口に出してしまってから「失敗した...!」と思うときもあれば、言葉にして伝えなくてもとっさにそう思ってしまった自分にがっかりすることもある。
私もまた、「自分で選んだことは、我慢して続けるべき」に通ずる考え方を教えられてきたひとりだ。
でも、そう気づけたことが変化への一歩。
気づけたところから少しずつ、自分が思う生きやすい未来に向かっていけたらいいな。
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