見出し画像

楽しそうだね、に縛られない。

いつもなんとなーく、心の指標になってるのは、「楽しそうだね」って言われてたいってこと。
お金稼いでたり、社会的に意義のあることをやってたり、誰か役にたててたり。そんなことは、全部詳細言わずともこちらでいろいろと努力をしているけれど、細かいところまで伝わらないし、伝える気もない。
けど、総じて家族や大切な人たちには「なんかいつも楽しそうやん」と言っていてほしい。
それが機動力な気がするし、自分が間違ったところにいないかの判断基準だと思うし、大げさにいえば子どもたちに見せれる自分なりの人生の示し方な気がしていた。

この指標を大切にしていたのは、これと出会うきっかけをくれた、昔働いてた会社の上司がとても好きだからだと思う。たしか配属されて早々の個人面談だったと思う。
「君はなんて言われたら、嬉しい人なの?」
クロスに組んだ脚をテーブルにあげて、胸元さらしながら聞かれたような記憶がある。そんな人いるの、と思うかもしれないけど、いたんです、リクルートには。
まだ知識も経験もうっすい20代中盤の私をよく飲みに連れっててくれて、たくさん言葉をくれた人。
「知らないことがひとつもない状態になって死にたい」って言っていて、ほとんどデスクにいなくって、夕刻頃になると「俺、帰るけどみんな大丈夫だよね」的な言葉をかけて、とんがった靴カツカツならして帰って言ってた。楽しそうだよなぁ。

そう、でも最近は、この言葉にしばられすぎないようにしなきゃって思ってる。誰がどう思おうと、自分が楽しいのが一番だから。
かつての大好きな上司への憧れのなかにいる安心から少し踏み出せた35歳。改めてありがとうございましたの気持ちが溢れてくる。また会いたいなぁ、いっつもウーロンハイ飲んでたなぁ、結婚式のスピーチもしてくれた、いつかは急に家にも泊めてくれたなぁ。ガキンチョロだった私は、いっちょまえに楽しく働いてます。やーまだまだこれから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?