中心に据えられた存在感のある階段が、未来に"建築"であることを担保するーー御手洗龍による「stir ステア」
こんにちは。
アーキテクチャーフォトの後藤です。
今日は先日、内覧会に伺った、御手洗龍建築設計事務所が設計を手掛けた、東京・目黒区の店舗・住宅「stir ステア」について書いてみたいと思います。
御手洗さんは、東大にて安藤忠雄さん・千葉学さんに師事し、伊東豊雄建築設計事務所にて経験を積んだのち独立した建築家です。(詳細はこちらのプロフィールにて)
東横線の最寄駅から、数分歩いていくとこの建物はあります。
Googoleマップに導かれ、細い路地を入っていった、突き当りに、白く塗装された階段が目に入るのですが、これが建物住宅部分のエントランスです。
敷地は、線路の高架の真横に位置します。写真右側に映っているコンクリート製の高架と、コンクリート打ち放しで仕上げられた建物の素材感は、その表面の滑らかさは異なるものの、お互いが呼応しているような印象を受けます。
それは、新築でありながら、この場に馴染んだ雰囲気を生み出すと共に、白い階段と対比的で、背景となり、その階段の白さを際立たせる効果もあるように見えます。
この建築は、じつは路地からだけでなく、その反対側にある、幅約20mの計画道路(2020年開通予定)とも面しています。
上記写真は、計画道路から撮影しました。一階は店舗として計画されており、天井高も確保されています。
建物真ん中に配置された、開口部は、上層の住宅部分にも連続しています。そして住宅のリビング部分が2層吹き抜けとなっており、そこにも開口があてはめられていることで、一般的な住宅とは異なる都市スケールに対応した外観になっているように感じます。
将来的に、こちらの面が「メインファサード」になることを考えると、一見住宅らしくない表情を建物が持つことは、一階の店舗にとっても良い効果があると思えました(上階の生活部分が建物外にあふれ出ることをどのように捉えるかは、店舗併用住宅を設計する際の課題と言えます)。
窓を通して、ダイナミックなスパイラルを描く階段が見えます。(後の模型写真を見ると分かりやすいのですが、この階段は、1枚目の写真に写っていた外部階段が、素材と寸法そのまま、内部でも連続しています。)
上階に上がっていきます。幅900mmという、住宅の階段からすると、少し大きめに設計された階段は、踏面と蹴上の関係が良く、非常に上りやすい勾配に設計されていると感じました。
こちらが、路地側の一面の壁をはがした状態の模型です。建物の構成がわかりやすいと思います。
路地に飛び出した、白い階段を上った2階に、エントランスポーチ。玄関を入ると、2層分吹き抜けたリビングとキッチンダイニング、さらに階段を昇って行った3階に水回りと、個室。さらに階段を上ると、個室とルーフバルコニーがあります。
先にも書きましたが、ちょっと大きめスケールの階段は、外部と同仕上げで、室内に存在しています。一般的な910mm(3尺)グリッドで建てられる木造住宅の場合その階段幅は、おおよそ750mm程度になるので、若干余裕をもった大きめのスケールであることが想像できるでしょうか。
螺旋を描くように、吹き抜けの中を階段が、伸びやかに存在しています。
そして、その階段を中心とするかのように、そのカーブに合わせて、収納壁面や、トイレ・お風呂などの水回りの部屋が配置されていることがわかります。
踊り場が設けられているのですが、リビングから階段を見上げた時の連続性にも配慮して側桁(階段を支える側面の部材)の寸法が決定されているとの事でした。
4階に続く階段部分。
コンクリートの塊の中に入っていくかのような印象。
屋上バルコニー部分にも、階段のカーブが表れています。
以上が建物全体を歩き回った紹介となります。
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建物全体をぐるりと回って感じたこと。
それは、設計者の御手洗さんが、螺旋状に上がってく階段を最初に構想したのではないかということでした。
そして、その階段を敷地の中心に配置し、建物のヴォリュームは、敷地の形状から導き出される。そしてその螺旋を生かすように、それぞれの部屋が配置されていく。
少し大きめのスケールで作られたこの白い階段は、一見すると、この都市住宅にとっては、大きすぎるように思えるかもしれません。
しかし、そうであるがゆえに、生まれている存在感が、広場にあるシンボルツリーのような、クライアントにとっての心のよりどころになるような機能を果たすようにも感じられました。
また「建築」としてこの階段のことを考えてみると、篠原一男の「上原通の住宅」の内部にある存在感のある柱を思い出しました。
以下に写真を引用しますね。
(引用:http://www2.momat.go.jp/Valerio_Olgiati/chapter3/)
ぼくは、篠原の作品集の中でも、2Gから出版されたものに掲載されている、クライアントが自由に暮らしている様子をとらえた写真が大好きです。そこには「クライアントの自由な生活」と、「建築としての存在感」が同居している様子が写し取られているからです。
建築家の建てた住宅というと、その美意識に従って、使う家具や住まい方までも建物に合わせなければいけない。と想像する方も多いと思います。実際にそのような使われ方を想定して設計をする建築家もいます。
しかし、篠原の住宅はそうではありません。クライアントによって使い倒されているにも関わらず、その建築は篠原一男の作品なのです。
なぜ、そうなのか、と考えた時に、ぼくは、この一見無駄とも思える、コンクリートの柱が重要な役割を担っているのではと思いました。
あえて、異物感のあるオブジェ的な要素を挿入することで、建築が空間的な強度を維持することができているのでは、というのがぼくの見解です。
(何故、空間的強度が必要かと問われると、コンパクトに答えるのは難しいのですが、建築家が作品を作って、歴史にそれを残していくという視点でも、ビジネスとして自身の作品にしかない特性を作り出すという意味でも、強度を持った空間を作るということは重要です。)
そのような作り方をすることで、クライアントが自由な生活をすることを許容しながらも、強度を持った建築になるのではないかと。
今回拝見した、御手洗龍さんの「階段」もそのような役割を果たすであろうことが想像されました。
そして、御手洗さんのアプローチは、篠原の建てていた時代よりもより合理性が推し進められた現代に沿っているようにも感じます。つまり、ただオブジェ的なモノを建物内に挿入するのではなく、「階段」という実用的な、必ず建物に必要とされるものを、ちょっとスケールを変えることで、その役割を担わせたのだと。
これは非常にクレバーな態度だと思いました。
この建築を見学して、クライアントが自由に楽しくこの住宅を使い倒す未来と、それでもそこに毅然として存在している階段の姿が思い浮かびました。
見学の機会をくださった御手洗龍さん、どうもありがとうございました!
アーキテクチャーフォトの後藤でした。
皆様に、有益な情報をご紹介できるよう活用します!