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千夜を超えて 一夜を見つめて

例年ほどではないにせよ、昨日、今日とクリスマスの街並みに多くの人影がきらめいていた。自粛はしなくてはなるまい。ただ、幸せそうに寄り添って歩くカップルなどを見ると、心が揺れる。この一年、会いたくても会えない日々を重ねてきたのなら、一晩くらい思いのままに過ごしても責められない気がしてしまう。千夜を待って再び巡ったこの一夜。その意味では、ある種の千夜一夜物語かもしれない。

今日の仕事帰りのことである。一年分の幸せが弾けたようなイルミネーションの下、人混みの合間を縫うようにして私の前を歩いていた男性が、ボーイフレンドと手を繋ぎながらすれ違った女性と肩をぶつけたようだった。狭い道に人々が行き交っているのだから、珍しい光景ではない。しかし、その瞬間に事は始まった。

ボーイフレンドは、既に後方の人波に溶け込みそうになっていた男性を追いかけるようにして呼び止め、何か文句を言い始めた。触らぬ神に祟りなし。その場に追いつきつつあった私はその脇をすり抜けようと考えた。

ただ、ボーイフレンドは大きな声でまくしたてながら、私のすぐそばで男性の胸を突いた。よろける男性に、周囲の人のざわめきが起きる。それを間近で見ていて無視できるほど私は賢明ではないので、仲裁に入った。一方の男性は怯えきった表情を浮かべているし、ボーイフレンドも紅潮させた顔で私に何か言いたげにしている。

ボーイフレンドの言い分はこうだった。ぶつかったのに「すみません」の一言もない。新型コロナウイルス感染症が流行している中で、もっと他人との距離をとるべきではないのか。肩を当てるつもりで歩いてきたようにも思える。

――いいがかりの二言目には社会的距離である。正直なところ、うんざりしてしまった。この一年、確かに他人との物理的距離を空けることが日常化している。しかし、それに伴い心理的距離まで遠ざかってはいないか。わざわざ誰かに当たろうとして歩いたなどという難癖が通るはずがない。

本家の「千夜一夜物語」では、妻の不貞に腹を立てた王様が、女性不信のままに街の女性を次から次へと殺してしまう。それを憂えた女性が、王様に毎晩物語を話して聞かせることで、王様の心を融かすのである。

「誰が陽性者なのか」を気にして他人との接触を避けてきた一年。いわば「他人不信」の感染が広がりつつある人々の、冷えた心を温めてくれるものとは何だろうか。そっと寂しいクリスマスが終わる。

(文字数:1000字)

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