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Cry For Smile

その日は季節外れの雪が降った。「揺れた電信柱や大樹の枝が、真っ白な空を引っ掻いたせいかもしれない」という空想も、不思議と現実味があるような気がした。

金曜日の昼下がり。やけに交通量が少ない車道を、自転車で駆け抜ける。学校に忘れ物をしてきたことなど思い出す気配もなく、私は仙台市街地のまっすぐで広い道をただ進んでいた。


青葉城の眼下に広がる城下町・仙台は静かな街である。その年の7月の時点で宮城県の人口の45%が市内に集中し、翌年には県内2位の石巻市の人口の7倍を超えたことが報じられたほどの密度であることなど普段は意識することもない。厳格なゴミ分別政策の下、清潔な環境が保たれていることも、この街の爽やかな雰囲気を形作っているのかもしれない。


その景観は、一瞬で壊れてしまっていた。自転車のペダルを漕ぐたび、杜の都に刻まれた傷跡が次々に眼に入ってきた。


柱からちぎれて落ちてしまった歩行者用信号機。

30センチほども飛び出たマンホール。

道路に走る無数の地割れ。

どこからか飛んできて割れた瓦。

傾いた家屋。

ビルから梯子で降りてくる会社員。

泣いてうずくまる女子高生。

なぜか直線道でハンドル操作を誤った私。

ラジオが教えてくれた未知の「大津波警報」という言葉。


すべてのものが異常で、すべてのひとが平常であろうとしていた。しかし、人々は自然の前に無力であった。なす術もなく、ただ立ち尽くすのみ。

「仙台に住んでいれば、一生の間に二度は大地震に遭う」と言われた小学生時代の一場面を、帰路の私はぼんやりと思い出していた――。


あの日から今日で8年。

今回は「平成最後の」を冠した表現も目にするが、そのことに感慨は覚えない。「平成は災害が多かった」との評価にも意義はないと思っている。

ただ、当時を思い、明日に備える小さな灯が消えないように心の中で温めるということを、何よりも大切にしたい。それは8年前の出来事に限らない。昨年の夏の雨、74年前の夏の灰。列挙すればきりがない。


だからといって、常に悲しみを抱えている必要はないと思う。笑って暮らせるのならそれに優ることはない。その中で、それぞれのタイミングにおいて、過去を顧みてふと立ち止まることは必要であろうし、また、それで十分であるはずだ。失われた命があるのなら、残された命を精一杯に充実させるほか方法はない。

笑おう。そのために、今日は悲しみを見つめよう。


私はあの日、友人を亡くした。

(文字数:1000字)

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