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ちぎれた破片は胸の中に

答案がビリビリに破かれていくのを、ただ無感情に、しかし涙を流しながら眺めていた。中学一年の夏のことである。


一学期の期末考査。数学の試験範囲は文字式の計算であった。授業中に特に難しさを感じるようなものではなかった。

返ってきた点数は96点だった。失点の原因はケアレスミスである。問題用紙に計算していたときは「b」と書いていたものが、解答用紙には「6」と書かれている。マイナスとプラスを書き間違えている。冷静に考えれば防げるミスだった。思えば、中学校に入って初めての数学の中間考査も、正負の数で不注意の失点を山のように重ねてしまっていた。

ただ、周りの友人の点数を見れば、私の点数は悪くないようだと感じた。他の科目でも負けていないようであったし、問題ないだろうと楽観視して家に帰ったのである。ミスの数も、中間考査と比べれば随分減っている。


小学生のときからの習慣で、返されたテストは両親に見せていた。学校からのおたよりを出すのと同じような感覚である。その日も、ためらうこともなく答案を手渡した。受け取った父の表情は徐々に険しくなってゆく。

やがて父は口を開いた。

ケアレスミスの重さを説く。それは確かに私自身も分かっていることであった。英検4級を小学三年生で受けた頃から、英語を教えてくれていた父から「解ける問題を絶対に落とすな」と言われてきている。そして、試験を受けるときには内容を全て理解するようにと教えられてきた。つまり、限りなく100点を目指さなくてはならないということになる。同じ話を前回の考査の後にも聞いていた。

――まして、中学一年で習う数学ぐらい。

父の言葉の意味がよく分かっているからこそ、涙は止まらなかった。そして父は答案を破り、ゴミ箱に捨てた。


しばらく沈黙が流れた後で、父は言った。

「勉強をしてどうにかなるようなものではない。気持ちの問題だ」

結果的に、一次方程式と比例が範囲となったその次の二学期中間考査は満点であった。しかし、それ自体の印象は私の中にはあまり残っていない。欲しいものを得た喜びよりも、得られない悔しさを覚えているからこそ、今の私があるのかもしれない、とも思う。


最近、会社で「君は自分に厳しすぎる」としばしば言われる。それは学生生活の名残だ。それが間違いだとは思っていない。しかし、この10連休くらいは、少し自分に甘くゆっくり過ごそうかなと思っている。

もう4日目を迎えてしまった。

(文字数:1000字。
下は実際の考査成績表の該当部分)

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