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カーネーションのかけら

今日は母の日。スーパーマーケットで女性に配っていたというカーネーションを母が持ち帰ってきたのを見て、ふと思い出したことがある。

それは小学5年生ごろだったと思う。母の日にカーネーションを渡すという世間の慣例を知り、自分もそうしようと思い立った。その年のゴールデンウィーク前のことだった。

学校から帰宅し、すぐに宿題を済ませる(宿題が終わってから出かけなくては落ち着かない性質だった)。それから自転車に乗り、近所のお花屋さんへ向かった。少し肌寒い風の吹く、よく晴れた午後だったのを覚えている。

私にとって初めてのお花屋さんであった。注文の仕方など知っているはずもない。さまざまな花で彩られた店頭でもじもじしながら、これもまた実物を見たことのないカーネーションを探した。

そこへ、店員のお姉さんが気づいてやって来た。

「どうしましたか?」
「母の日のカーネーションを一本下さい」
「ごめんなさい、まだお店に並んでいないんです。ゴールデンウィークが終わる頃には、あるはずなんだけど」

分かりました、と言って店を出た。ただ、一度その気になってしまった以上、連休明けまで待つ余裕はなく、他のところを当たってみようと思った。

しかし、他にお花屋さんがどこにあるのか、当時の私には皆目検討がつかなかった。この年齢になれぱ、スーパーマーケットにも売っていることを経験上知っている。ただ、そんなことを考え付くはずもなく、少し自転車を走らせたところにある園芸ショップへ行くことにした。ただ、残念ながらそこは盆栽や大型の観葉植物を扱っている店で、カーネーションの扱いはなかった。

私が今思い起こすことができるのはこの辺りまでで、途方にくれた私がどこをどのようにさまよったのか分からない。ただ、暗くなる頃まで色々な場所をめぐって、最後に訪れたホームセンターで、ようやく一輪のカーネーションを買えたのだった。

家に帰ると、暗黙の了解だった門限をとうに過ぎてしまっていて、母に咎められた。ただ、母の日にサプライズで渡そうと思っているカーネーションのことは言えずに、ただ「道に迷ってしまった」と答えて、随分叱られたものである。

そして母の日当日。机の中に隠していたカーネーションを取り出すと、すっかり枯れてしまっている。とても空しく、悲しかった。結局誰にも話せないまま、父と二人で例年通りにケーキを買いに行ったのだった。

そんなほろ苦い母の日の記憶である。

(文字数:1000字)

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