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信仰を問わず祈りを捧げられる空間"軽井沢 石の教会"

教会は、信仰する人にとって日常であり、おしゃれな青山などにもあるが、巣鴨にも浅草にもある、公民館のようなポジションである。しかしながら、教会が所在するロケーションは大切だと思う。私がよく知る巣鴨教会は近くに八百屋さんとクリーニング屋さんがあるが、この軽井沢にある石の教会は正に祈りに没入できる空間である。

内村鑑三はキリスト教指導者であり、軽井沢の星野を訪れ、島崎藤村や北原白秋とともに「芸術自由教育講習会」を開いた。
信仰が無くても誰しも自由に祈る空間があるべきだと解いた。彼の「無教会」の思想を記念して1988年、ケンドリック・ケロッグの設計により、石の教会・内村鑑三記念堂が建てられた。

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1.積層により人を吸い込むシークエンス

アプローチが特に印象的である。石積みのアーチが奥に行く程に広がり、高くなっていて自然と奥に誘導される感覚を覚える。足を踏み入れる程に、日常から段階的に祈りの場へと取り巻く空気が変わっていく。

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2.光と影がもたらす祈りの空間

この重なり合って見えるアーチの隙間はガラスで構成されている。祈りの空間における光は重要な役割をもたらす。宗教音楽における和声のように高いところから降り注ぎ、心の汚れた部分を洗い流すような感覚、が細く差し込む光に感じ取れる。

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3.自然界との境界をなくした建築

軽井沢という場所で、異質な建築を作ることは許されないだろうが、この教会は徹底して自然に溶け込んでいる。石が地下から隆起して、木のベンチやカウンターは自然の摂理によって削りとられたような形状を保つ。私たちはたまたまその場面に遭遇しただけ、数百年したらまた自然界に溶けて戻ってしまうのではないかと思う。

知り合いの牧師に宗教音楽を教わった際に言われた。信仰が無くても(別の信仰でも),身近な人やものを慈しむ、大切に思う気持ちで歌うことで、宗教音楽を理解することができる、と。パンやブドウ酒などの儀式はそれぞれ異なるが、祈る、という行為そのものに信仰の壁はないのだろう。この教会でも広く祈りを捧げたい人たちを受け入れている。

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