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私の経歴④あんずBOXパーティ

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。


カップリングパーティは当時関西では大手5社と呼ばれほぼ市場を独占するような状況でしたが、その中で最大級の規模を誇っていたのがコンハウスパーティでした。

そのコンハウスの社長が買収したのが(関西の50代以上の方なら知っている人いるかもしれません)「IT2001パーティ」というパーティブランドで、倒産寸前のようでしたが、なくなると市場バランスが崩れるから、という理由で買収し、再生させようとしていました。

私含め3名で、そのパーティを再生する、今でいう所のリブランディングということですが、カップリングパーティほぼ素人の私、女性社員、IT2001からそのまま来た気のいいおっちゃん、何をどうすんねんという状況からスタートしました。

確か社長からの命題は、まずは月30本くらい開催できるパーティにすること、名前は変更すること、コンハウスとは全く違うコンセプト、テーマでやること、くらいだったかと思います。

まずはコンセプト、これはコンハウスと違うものということで、当時のコンハウスパーティというのは非常にシステマティックで企画がたくさんありイベント感満載のパーティでしたので、真逆のアットホームを売りにしようと考えました。(日本で初めてアットホームをコンセプトにしたパーティブランドの誕生です)

当時は、どこのパーティ会社もパーティスタッフがお客様に必要以上に話かけることはNG(お客様は来ていると思われるのが恥ずかしいので極力タッチしないというのが当時の業界の考え方でした)とされていました。それをいや、アットホームだからとにかくお客さんと仲良くなろう、そのために積極的に話しかけるようにしよう。パーティのファンを作るのではない、あんずBOXのファンを作るのでもない、スタッフ個人個人のファンをたくさん作ることが大事だ。業界的には衝撃的だったようですが、とにかくやってみよう、と始めました。これは我々が素人だから出てきた発想なのかもしれません。

そしてテーマはおしゃれ。
おしゃれな会場(話題のレストランを会場に)、おしゃれな企画(シンプル企画、音楽をおしゃれに)、おしゃれな運営(服装を統一、司会を劇団員にしパーティを一つの作品化)、色々とこれまでにないことを取り入れることにし、とりあえずスタッフもおしゃれじゃないといけないといういことで採用はすべて見た目だけで集めました。(今なら大問題でしょうが)

そして名前は、色々出す中で、当時はタウンページもぴあの広告もたいていはあいうえお順でしたので「あ」から始まる名前にしよう、ということでアットホームなイメージでおしゃれ且つ、ひらがなが入った名前、そして年齢をフランス語で表すとansと書くことから最終的にあんずBOXという名前になりました。

例えば25歳から35歳の男性対20歳から32歳の女性
→25ans~35ans♂♡20ans~32ans♀

当初は、なかなか集客に苦戦していましたが、アットホーム作戦が徐々に浸透してきたのか、順調にファンが増えていき、動員も増え、月間30本以上の開催ができるようになりました。

このころは同じ会社でありながら、コンハウスパーティをライバル視して追い越してやる、という思いで一生懸命でした。
当初コンハウスの20分の1ほどの売り上げだったあんずBOXは何時しか2分の1ほどの売り上げにまで大きくなることができたのです。

パーティを一から作り上げる、ということに関してはこのあんずBOXパーティでの経験が今もとても役に立っています。

そんな中、今度はコンハウスパーティがやや低迷しているということで
そちらの立て直しをやらないといけないということで、あんずBOXはアットホームから、女性が女性のために考える、女性のためのパーティに舵を切り、男性はすべてコンハウスへ移籍することになります。

私は、今後裏方として、あんずBOXパーティのプロデュースをしながらコンハウスパーティも現場責任者として担当することになりました。


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