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私の経歴⑦コンハウス退職

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。


カップリングパーティとプライベートパーティの両軸を行っていましたが、パーティ業界の流れが少し変わってきたのが、ちょうど21世紀に入ったころだと思います。

端的に言いますと、コンハウス自体の業績が悪化していきます。

・参加者のパーティ離れ
・東京の業者の参入
・会社の方向性のブレ

簡単にいうとこの3つが要因として大きかったのと、それを食い止めることができなかったのは当時私がまだまだ力不足だったんだろうと思います。

・参加者のパーティ離れ

これは、前回も触れましたが様々な業者が参入して低レベルなパーティやひどいところだとサクラをいれたり、集金だけして当日開催されないなどパーティ業界自体のクオリティに問題が出だしたのと同時に、インターネットの普及により違う出逢いやサービスに人々の興味が移ったことが考えられます。

・東京の業者の参入

これまで意識していなかった東京の会社がこぞって関西に進出してきました。これまで関西は5強とよばれる地元業者(そのうち2ブランドがうちです)が占めてましたので入るスキがなかったのですが、徐々にそこにスキができてきたのだろうと。そして結果後々日本最大級となるパーティ会社の社長と会って話したことがあるのですが、その時言われたのが

「我々に中前さんたちがやっているようなクオリティの高いパーティは絶対にできない。誰も真似できない高級レストランのシェフのようなものです。だから私たちが目指しているのはマクドナルドなんです。」

当時の私は、「しょーもないな。マクドで満足するなよ、うまいもん作れよ」と思っていましたが、そうじゃないんですね。結果パーティを作品として捉えるか、事業として捉えているの差だったんだということが分かりました。(どっちがいい悪いではないのですが)

・会社の方向性のブレ

会社がどちらを向いているのか、これはとても大きなことですがこればかりは会社のオーナー(創業者)が決めることなので難しい部分ですが、コンハウスの場合もやはり大きくなって事業が多角化していました。

会社を存続させるために経営者は常に新たなことを考えるのは当たり前のことですが、その中でやはりオーナーと合わない部分が出てきて揉めることが多くなりました。お金の使い方や経営の方針など様々なことで意見が割れ、うまくいかないことが増えてきました。

そして、最終的には資金繰りも悪化し、給料が遅れ、出なくなり、支払いが滞り、個人的に立て替える(スタッフのアルバイト代や会場費などは個人的に払ってました)ことも増え、気が付けば借金が700万円を超えていました。さらに業績が悪いのはお前の責任でもあるから立て直すために、保証人になって融資を受けてくれと言われ、さすがに生活もできず苦しかったのですが、やりたいことができず、会社の業績が下がって、その責任を被るのはもう無理だ、ということで退職することにします。

結局コンハウスという会社はその一年半後になくなってしまうのですが、正直残念な気持ちと多額の借金だけが残る結果となりました。
勉強というには少し大きな金額ですが、そう思わないとやり切れない気持ちと、悔しさと切なさとで何とも言えない気持ちだったのをいまだに覚えています。

しかし、この会社があったことで、この企業に就職したことで、今の自分の人生に繋がっていることは間違いないですので、そこは感謝していると同時にそこで働いていた仲間とは今でもたくさんの方と繋がらせていただいているのでかけがえないものも沢山得られたなと思っています。

何よりも婚活パーティのノウハウというか、すべてにおいて自分よりも優れている人はいないと自信を持って言えるだけの経験と実績を持つことができたことは、大きな財産となりました。



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